-------------------------------------------------
いまマルクスがおもしろい
第5回 よりましな社会をつくっていこう
神戸女学院大学教授 石川 康宏
みなさん、こんにちは。今回は「資本主義をつくりかえていく」筋道や方法についてです。「革命論」なんて言葉で、表されるような問題ですね。(7回連載)
「革命運動」ってどんなもの?
「革命」と聞くと「ただちに資本主義を打ち壊し、明日にでも共産主義をつくろう」といった、そういう勇ましい考え方が思い浮かぶかもしれません。しかし、マルクスの革命論は、そんな空想的なものではありません。
まず『共産党宣言』を見てみましょう。
「共産主義者は、労働者階級の直接に目前にある諸目的および利益の達成のためにたたかうが、彼らは、現在の運動において同時に運動の未来を代表する」(古典選書版、106ページ)
マルクスは共産主義と呼ばれる新しい社会に、できるだけ素早くたどりつくことを望んだ共産主義者ですが、しかし、ここでは、資本主義の枠内での労働者の「目前」のたたかいについて語っています。
ここで、ちょっと思い出しておきたいのは、マルクスは「夢の社会にしようと、みんなで思い込めば現実はかわる」といった観念論の立場に立った人ではなかったということです。
資本主義の「運動法則」を正確にとらえなければ、社会の改革を目指すとりくみは科学的なものになっていかない、そう考えて資本主義の研究につきすすんだ人でした。そうであれば、マルクスの革命論は、マルクスが解明したその「運動法則」に沿ったものにしかなりようがないのです。
資本主義の改革を積み重ねる
では、マルクスの革命論はどういうものでしょう。ぼくが、特に大切だと思っているのは、『資本論』の次のような考え方です。
①「資本は、社会によって強制されるのでなければ、労働者の健康と寿命にたいし、なんらの顧慮も払わない」(新日本新書版、第2分冊464ページ)
実際、生まれたばかりの資本主義は、たくさんの過労死を伴う資本やり放題のものでした。しかし、その中で労働者は労働組合をつくり、資本家とたたかい、労働時間を制限する法律をかちとります。その意義をマルクスはこうとらえました。
②「工場立法〔労働時間法〕、すなわち社会が、その生産過程の自然成長的姿態に与えたこの最初の意識的かつ計画的な反作用は…大工業の必然的産物である」(第3分冊828ページ)
機械にもとづく大工業は、労働時間をどこまでも延ばしたいという願いを資本家たちに生みだしますが、労働者のたたかいは、それへの「反作用」をつくりだす、マルクスはこのように、誰の制約も受けない資本主義の「自然」な野放しの姿に、「計画的」な制御の手が加えられていく過程を、資本主義発展の「必然」としてとらえていました。
そしてマルクスは、そうした必然が共産主義への転換を準備するものになると考えました。
③「工場立法の一般化は、生産過程の物質的諸条件および社会的結合とともに、生産過程の資本主義的形態の諸矛盾と諸敵対とを、それゆえ同時に、新しい社会の形成要素と古い社会の変革契機とを成熟させる」(第3分冊864ページ)
労働者を守る「計画的」な制御が重なれば、資本主義は制御を受けない分野で新しいもうけを追求するしかなく、またそうしたたたかいは、資本のもうけを目的とした経済の問題点を誰にも分かりやすいものにしていきます。
マルクスは、そうした資本主義発展の道筋が、資本主義を超える「新しい社会」(共産主義)の成立を可能にする客観的な条件を形成し、資本主義を抜け出そうとする労働者の変革への動機を強めていくというのです。
こうして目の前の労働者の利益を守る資本主義の枠内でのたたかいが、共産主義の実現を手前に引き寄せる社会変革の過程に連なっている、これがマルクスの革命論、資本主義改革論の本道です。どうです、革命のイメージが変わりませんか?
議会を通じて平和的に
もう一つぼくが強調しておきたいのは、こうした経済や社会の改革には、もちろん政治の改革が必要ですが、それを、マルクスは議会を通じた、平和的なものと考えていたということです。「革命=暴力」などではないのです。
これについては、少し歴史があって、マルクスは『共産党宣言』では「強力によるブルジョアジーの転覆」(古典選書版、68~69ページ)を主張しました。しかし、それは選挙を通じて政治を転換するという、政権交代の民主的なルールがまだ確立していない、当時の歴史的な条件によるものでした。
その後、ヨーロッパ各地の政治の変化がすすみ、権力に占める議会の役割が、次第に大きくなっていきます。48年に、ドイツで21歳以上の男女全員に選挙権と被選挙権を与えること、議会に労働者代表を送り込めるようにすることを求めていたマルクスは、51年には早くも「普通選挙権は、イギリスの労働者階級にとっては政治的権力と同意義のものである」と語るようになります。
そして、それからも、選挙と議会を通じた革命の道の具体的な探究を深めていきました。その過程は、最近出版されたエンゲルス『多数者革命』(新日本出版社)に詳しいところです。
晩年のエンゲルスは、その経過をふり返ってこう言います。
「普通選挙権が…有効に利用されるとともに、プロレタリアートのまったく新しい一闘争方法がもちいられはじめ、急速に発達した」「あの旧式な反乱、つまり1848年まではどこでも最後の勝敗を決めたバリケードによる市街戦は、はなはだしく時代おくれとなっていた」(「『フランスにおける階級闘争』(1895年版)への序文」、古典選書版、256~257ページ)
今の日本社会は、多くの人をさまざまな苦労に陥れています。しかし、ぼくたちは、それに耐えることしかできないわけではありません。そういう社会を、力を合わせてかえていく、そういう生き方ができるのです。よく考えてみてください。
最近のコメント