以下は、全国商工団体連合会「全国商工新聞」2011年10月3日、2993号の「視点」欄に掲載されたものです。
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「野田新政権の今後の見通し/『財界いいなり』路線に矛盾深まる」
9月13日、国会で野田首相が所信表明演説を行った。自分の政治方針を開会の冒頭に総括的に語るという例のあれである。
内閣発足直後の一時的な「好感」という御祝儀相場はいつものことだが、演説の内容は自民党時代と変わらぬ「財界・アメリカいいなり」路線。
われわれ市民に、前向きな政治の変化を期待させるものは一つもなかった。菅内閣末期の高い不支持率の再現も、そう遠い先のことではなかろう。
演説は、被災地の「復旧・復興」が「最優先」だとしたが、具体的な政策は、大資本の競争力強化のための「復興特区」、「今を生きる世代全体で連帯し、負担を分かち合う」消費税増税、道州制導入につながりかねない「復興庁」の創設など。
さらに原発については「『脱原発』と『推進』という二項対立でとらえるのは不毛」と言いつつ、安全が確認された原発の「再稼働」を進めるとした。
いずれも日本経団連はじめ財界団体が求めてきたものばかりである。
さらに日米同盟をわが国外交の「基軸」に据え、普天間基地移設については「沖縄の皆さまに誠実に説明し理解を求めながら」と負担の押し付けを明言した。
話しあう相手はアメリカだろう。この期に及んでいったい何を言っているのか。
「中小企業」については一言ふれただけで、具体的な支援策は何も語られない。
◇ ◇ ◇
しかし、幸い、政治は政府や財界の方針だけで動くものではない。そんなに単純なものなら、菅首相もあんなどん詰まりになるはずがなかった。
この国の主権者は財界人ではなく国民であり、野田首相をふくめ政治家の「当選と落選」を決める権利をもっているのも国民である。
だからこそ政治と経済の権力者は、いつでも「原発安全神話」に代表されるマスコミと教育を通じた「世論操作」に金と時間を費やしてきた。
先日、私は『人間の復興か、資本の論理か 3・11後の日本』(自治体研究社)を出版したが、実際の政治の成り行きはこの二つの力――一般国民と財界団体――の綱引きによる。菅内閣を退陣に追い込んだ力に自信をもって、われわれは綱を持つ力をさらに強めていかねばならない。
財界団体にとって重大なのは、この15年ほどの「自民・民主二大政党制」の企みが、じわじわ土俵際に追い込まれていることである。
振り返れば90年代終わりの自民党凋落に危機感を抱いた財界が、「二大政党制」への転換をはっきりさせたのは2003年のことだった。
当時の自由党と民主党を合併させて今日の民主党をつくり、以後、自民・民主の双方に「財界通信簿」に応じた企業・団体献金をあてがってきた。
政権がどちらに転んでも「財界いいなり」政治を継続させるというのが狙いである。
だが、財界の準備がまだ整わぬ2009年に、国民は早くも自民党を野に下らせ、それから2年後の今日には、民主党政権への不信と絶望を深めている。
「自民もだめだが、民主もだめだ」。それが多くの市民の実感である。「民主頼み」は急速に過去のものとなっている。
◇ ◇ ◇
では、どうすれば日本は変わってくれるのか。その道の切実な模索に、国民は足を進めている。
野田内閣の「財界いいなり」路線、特に「原発しがみつき」の政策がますますそれを加速させる。
「脱原発」の一点での共同を、政治改革の国民的な「成功体験」に結実させることができるなら、「被災者支援で」「失業・貧困対策で」「中小企業支援で…」と、改革の幅を広げて進むことは、さらに容易になっていく。
いまこの瞬間に、財界の全力あげた「原発しがみつき」を押し返すことができるかどうか。文字通り歴史的な正念場といえる。
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