以下は、『経済』2011年11月号(№194、2011年11月1日)掲載された座談会の石川発言分です。
ご一緒させていただいたのは、岡田知弘(京都大学教授)・鳥畑与一(静岡大学教授)・増田正人(法政大学教授)・米田貢(中央大学教授)のみなさんでした。
【座談会】
3・11で露呈した日本資本主義の矛盾
(1)復旧・復興をめぐって問われる国のあり方
石川 震災復興を口実にした財界団体による経済改革・社会改革への攻勢が、非常に強くなっていると思います。「復興のため」「日本再生のため」を口実に、震災前から財界が求めていた大資本本位の諸政策の全面的な実施を求め、また被災地の「復興」政策も「創造的復興」の名で大資本の新たな利益機会の獲得を求めるものになっています。マルクスは、「資本とその自己増殖とが、生産の出発点および集結点として、生産の動機および目的として、現われる」のが資本主義の特徴だと述べていますが、それが非常に野蛮なむき出しの形であらわれていると思います。
経済同友会は「東日本大震災からの復興に向けて(第二次緊急アピール)」を4月6日に発表しましたが、この文書には家族や家や仕事を失った被災者の立場や心情に寄り添う姿勢がまったく見られません。「東北の復興を、『新しい日本創生』の先進モデルとして、国際競争力のある、国内外に誇れる経済圏を創生する」という文章に、その問題意識ははっきりと現れています。「東北」を「先進モデル」にして、「新しい日本」の全体を大資本にとって「誇れる経済圏」につくりかえていく。その改革の絶好の口実として「復興」の二文字を高くかかげるということです。私は先日『人間の復興か、資本の論理か 3・11後の日本』(自治体研究社、2011年8月)を出版しましたが、タイトルにあえて「資本の論理」という言葉を入れたのは、本当の意味での復興は、こうした財界・大資本とのたたかいをつうじて勝ち取るしかないということを強調したかったからです。
石川 95年1月17日に起こった阪神淡路の大震災は、まだ雪の降る時期のことでした。それにもかかわらず震災1週間後に、当時の笹本神戸市長が力を込めたのは「神戸空港をつくろう」「それが震災復興の希望の星だ」ということでした。震災の中でかろうじて命をつないだたくさんの被災者が寒さにふるえている時に、市長は、震災前から計画されていた神戸空港建設の大型事業を打ち出したのです。震災を絶好のチャンスとして――予想される関東大震災を「絶好のチャンス」と述べたのは、後の井戸兵庫県知事ですが(08年11月11日)――あらゆる開発計画を「復興」の名目で実行していこうという姿勢でした。
住民は「神戸空港建設の是非を問う住民投票条例」を求め、直接請求署名を30万筆以上集めますが、神戸市と市議会はこれを拒否します。2001年には元空港整備本部長だった矢田氏が市長に当選し、空港建設は加速しますが、建設作業は東京に拠点をおく大手ゼネコンにまかされたため、地元の被災者には何の支援にもならず、さらに事前の需要予測が過大だったこともあって、今日では神戸市財政を圧迫するものにしかなっていません。
神戸市住民の生活には、今も「7割復興」といわれる現実があります。背の高い大きなビルは立ちましたが、再開発事業が大々的に進められた神戸市長田区などでは、裏の路地にいくらでも空き地が残っています。ここは所得水準の低い地域でしたが、立ち退きを余儀なくされた人たちは一体どこに暮らしているのか。こうした問題がたくさん残っているので、震災後16年が経過した今日も「阪神・淡路大震災救援・復興県民会議」が、住民生活の完全復興を目指した取り組みをつづけているわけです。
現在、日本経団連は震災復興特別委員会をつくっていますが、委員長は最高責任者の米倉経団連会長で、共同委員長は三井不動産会長の岩沙弘道氏と小松製作所会長の坂根正弘氏です。土地利用の大規模再編と新たな大型開発の推進に焦点をあわせた布陣にしか見えません。震災直後から財界は、TPPへの参加、税と社会保障の一体改革、財政の健全化、道州制その他、財界の要求を「遅滞なく」実施することを求めてきました。その点で、組閣前に財界三団体へのあいさつをすませ、財界人をトップにくわえた「国家戦略会議」の設置を表明した野田首相の登場は、菅内閣以上に政治の「財界直結」を深める危険性をもっているといえるでしょう。
石川 少しご意見をうかがいたいのはTPPの位置づけについてです。経済同友会の「第二次アピール」は「農地の大規模化」「法人経営の推進」「漁港の拠点化」などの「構造改革」により第一次産業を「強い産業」として「再生」するとしています。TPPは農林水産業の切り捨てと引き換えに、自動車・電機機械など輸出大手製造業資本の利益拡大を追求することにくわえて、東北の農林水産業を意図的に窮地に追い込み、それを新しい大資本の儲け口に転換する――先程、岡田さんから「新しい原蓄」という言葉も出ましたが――、農漁民の手から生産手段を奪い取ってそれを大資本のもとに集積させるための追い風として活用する面もあるという理解でよいでしょうか。さらに国内生産にせよ輸入にせよ、食料品価格を低下させることで労働者の人件費を抑制する新しい条件をつくるということも指摘されていますが。
(2)福島原発事故とエネルギー問題をめぐって
原子力発電からの撤退を決意する
石川康宏
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福島の原発事故をつうじて誰の目にも明らかになったのは、原子炉内に生まれる「死の灰」を処理することができず、それを外部にまきちらす事故を防ぐこともできない原発技術の水準です。
マルクスはむき出しの「資本の論理」が人間と自然の物質代謝を「攪乱」し、それが両者の関係の体系的な「再建」を社会に余儀なくさせると述べましたが、その物質代謝には廃棄物の自然への返還が含まれます。したがって、これは「死の灰」の処理不能という問題にも通じる指摘といっていいでしょう。このような危険を人間社会から除去する取り組みが緊急に求められているということです。
◆「安全神話」を作り出した原発利益共同体
具体的な課題は、社会に必要なエネルギーの生産を、人々の生命と健康、くらしの安全・安心と両立できるものに転換すること、つまり「脱原発」を達成し、自然エネルギー中心の社会への転換を実現することです。
そのためには、原発への依存度を高めようとし、これを海外にも輸出しようとする力とのたたかいが不可欠です。原発推進政策の根本に「原発利益共同体」の経済的利益があることは、社会的に広く認知されるようになりました。東京電力はじめ各地の電力資本、三菱重工、東芝、日立などの原発メーカー、発電所を数社の共同で建設する大手ゼネコン、鉄鋼やセメントの資材メーカー、これに融資する銀行などが利益を分かち、さらに建設地域での利権や官僚組織からの天下りなどが絡みつきます。「安全神話」を吹聴する御用学者や、電力会社等に紙面を買収された原発御用マスコミをここに加えることもできるでしょう。くわえて原発の輸出は、輸出先の東南アジア等に進出している製造業資本の電力確保を大きな動機としています。いわゆる「原発ムラ」は相当に大規模なものであるわけです。
この中心勢力は、日本財界の傍流ではありません。日本経団連には19名の会長・副会長がいますが、先の原発メーカー3社すべてと鉄鋼最大手の新日鉄、さらに事故当時までは東京電力さえもがここに加わっていました。日本経団連は1603社・団体の代表で構成されていますが、その一握りの指導部の19分の5を直接の「原発利益共同体」が占めていたわけです。
こういう勢力が長く歴代自民党にも、03年以後は民主党にも政治献金を重ねてきました。結党時に原発を「過渡的エネルギー」と位置づけていた民主党は、06年5月に日本経団連の要望を受け、これを「基幹的エネルギー」に格上げしています。また、電力会社の労働組合の連合体である電力総連も07年~09年の3年間だけで、民主党に9100万円もの政治献金を行っています。先の民主党代表選で「脱原発」が選挙の争点にさえならなかったことの背後には、こうした金の動きがあるわけです。
菅内閣は2010年6月に、2030年までに原発14基以上の増設を含む「エネルギー基本計画」を決定しましたが、これもそうした「利益共同体」の要望にそってのことでした。
◆「脱原発」とマルクスの資本主義改革論
「脱原発・自然エネルギー中心社会への転換」をつうじて、人間社会をより安全なものに発展させるという闘いは、マルクスの資本主義発展論にピタリと重なるものになっています。大資本による「後は野となれ山となれ」式の自己中心的な利潤追求に、「社会」的なルールを「強制」していく。マルクスはそれを資本主義がその枠内で発展する筋道の本道だととらえていました。
剰余価値(利潤)の追求を原動力とする資本の運動は、人間社会の生産力を多面的に急速に発展させるが、同時に貧困や恐慌や環境破壊などの害悪をともない、さらに害悪の是正を求める労働者や市民の闘いを余儀なくする。生産力の発展とこのたたかいの力関係の変化が、具体的な資本主義の発展を形づくり、その積み重ねが資本主義を乗り越える物質的・主体的な準備ともなっていく。こうした論理を、マルクスは端的に「資本主義的生産の真の制限は資本である」といった言葉で表現しました。「資本の論理」というのは、野蛮な利潤の追求のみを意味するものではなく、それを通じて資本主義を改革させる力を生み出し、最後には資本主義を乗り越える力を生み出していかずにおれないものである――そういう意味が、これらの言葉には込められています。
こういう論理を引き出す上で、マルクスが重視したのは、労働時間の上限規制を求めて行われた19世紀イギリス労働者の「内乱」でした。その内乱に労働者が勝利をおさめる過程を分析して、マルクスは「労働者の健康と寿命」を守るには、「社会」による資本へのルールの「強制」が必要であり、資本主義はそのような避けようのない切実な闘いをつうじて発展するという結論を導いたのです。
現在「原発利益共同体」によって「健康と寿命」の深刻な危機に直面させられているのは、原発とその周辺ではたらく労働者だけでなく、この列島にくらす例外なしの全国民であり、「脱原発」の達成は、日本社会の絶対的多数者にとって避けることのできない課題となっています。
「脱原発」の推進には、地球環境問題にも配慮した自然エネルギー中心社会への転換が必要ですが、そのためには、いつまでに、どれだけの転換を図るかという社会全体の目標が必要で、目標の達成に向けた社会的な合意と努力が必要です。自然エネルギーの潜在的な資源は十分だという専門家たちの指摘があり、デンマークやドイツなどの具体的な先進事例の紹介も進んでいますが、自然エネルギー生産の多くに適合的な地域単位での小規模発電所づくりは、地域の中小企業を巻き込んだ新たな産業の形成や雇用の拡大にもつながります。その推進には国政のイニシアチブが必要ですが、それをまたずに個人や市民グループ、自治体などで自立したエネルギー施策を実施することも大変に重要です。
◆日米関係と核兵器開発の潜在力
なお日本の原発政策を見るときには、原発の基礎技術とウラン燃料の多くを提供しているアメリカ大資本との関係、またエネルギーの対米従属を日米安保と結びつけるアメリカ政府との関係を見落とすわけにはいきません。野田内閣と民主党はすでに日米同盟一辺倒の外交姿勢を強く示していますが、これは「脱原発」の一つの障害となるでしょう。
また最近も石破自民党政調会長の発言(8月16日)がありましたが、日本の保守勢力の内部には、経済の論理から相対的に自立して、核兵器製造能力を保持するために原発が必要だという主張があることにも注意がいります。これもまた「脱原発」への強い抵抗力の一つとなるものです。
われわれの「健康と寿命」を守るために、原発からの撤退という一点で広く共同し、原発ゼロの社会を実現していくことは、結果として財界・大資本と「社会」の力関係を大きく転換し、また従来のエネルギー分野での対米従属に拘泥せず、すでに多大な迷惑をかけている国際社会に重要な責務を果たしていくことにもなっていくでしょう。その意味でこの課題の達成は、日本資本主義の民主的な発展を推進する上で重要な戦略的な位置づけをもつものといっていいでしょう。
石川 財界は「成長戦略」の「遅滞なき」実行をいい続けていますが、2010年6月18日に菅内閣が閣議決定した「新成長戦略-『元気な日本復活』のシナリオ」は、第3章「7つの戦略分野」の第一に「グリーン・イノベーションによる環境・エネルギー大国戦略」をかかげ、「原子力や再生可能エネルギーを含むエネルギー部門」には「巨大な需要が広がっている」と述べています。また同じ日に決定された「エネルギー基本計画」は原子力を「わが国のエネルギー戦略上、基幹となるエネルギー源」であるとした上で、「経済成長と国際貢献を同時に達成するため、高成長をつづけるアジアをはじめ海外市場を開拓していく」、そのために「官民の一体化・連携した戦略的取組み」を推進すると述べています。内外双方で、原子力発電は戦略的な成長分野として最重視されているわけです。
これらの政策は、日本経団連の「豊かで活力ある国民生活を目指して-経団連 成長戦略 2010」(10年4月13日)や総会決議「民間活力で経済を再生し世界に貢献する」(5月27日)、また「エネルギー基本計画の見直しについての意見」(4月7日)を下書きとしたもので、財界・大資本の要望を政府が積極的にくみ取ってつくったものです。
歴代の日本政府は、かつては原子力長期計画を、今日では原子力大綱をつくって原発推進政策を総合的にすすめていますが、そこには「資本主義的生産の国家化の原理、すなわち、資本主義の巨大な力と国家の巨大な力とを単一の機構に――結合する」という、100年近くも前のレーニンの資本主義分析が生きています。8月5日に政府は「世界最高水準の安全性を有するものを提供していくべき」だと、原発輸出の方針をあらためて確認しましたが、その異常さの背後には、こういう日本資本主義の構造上の問題があるわけです。
石川 もう一つは、アメリカとの関係ですね。アメリカ政府は、6月の記者会見での菅首相の「脱原発依存」発言に、その真意を問いただすというかたちで圧力をかけてきました。また、日本の原発の輸出先は、アメリカと原子力協定を結んでいる国に限られるといった報導が、週刊誌などで行なわれています。核物質の管理という軍事戦略の一環を日本が担わされており、日本が原発や原発輸出を止めるとアメリカも困るのだという指摘です。
(3)日本の経済・産業への影響と再生の課題
石川 東北に復興庁をつくり、復興後にそれを東北州の州都に転換することで、これを全国的な道州制導入の突破口にしようという、この発想には驚かされました。経済同友会の「第二次アピール」には、東北の「産業復興」にかかわって「規制緩和、特区制度、投資減税、各種企業誘致策などあらゆる手段を講じ、民の力を最大限に活かす」という文章がありますが、復興庁をつくるというのは、これを推進する新たな産業育成機関を設立するということです。
かつて日本経団連の御手洗会長(現名誉会長)は、道州制が実現した日本社会について「国は国防・外交など国の根幹にかかわる政策に特化」し、「地域がそれぞれ自らの地域を経営し、その結果責任を負うという『地域経営』が実践できる」と説明し、そうして新たにつくられた道州の最優先の役割を「第一に、道州が権限・自主財源をもつことにより……効率的な産業育成」ができることだとあからさまに述べました(08年9月)。各都府県がもっている財源を全国10ほどの道州に集中し、これを各地域の大資本に一括して投下するということですが、こんなものをよく「復興策」だなどと平気で言えたものだと思います。
石川 政府がようやく示した7月29日の「東日本大震災からの復興の基本方針」には、水産業での特区の創設、拠点漁港の機能の高度化と漁港の集約化など、財界が要望し、全国の漁民が反対している内容が盛り込まれました。農業でも、土地利用の再編や大資本を含む新たな担い手の創出、「高付加価値化」・「低コスト化」・「農業経営の多角化」といった3つの戦略を組み合わせるなど、3・11以前からの「構造改革」農政を進めるものとなっています。「東北を新たな食料供給基地として再生する」といっていますが、再生の主体はこれまでの地元の農漁民ではなく、彼らから生産手段、生活手段を奪い取って新たに参入する大資本ということでしょう。心底「財界いいなり」の政策です。
石川 先日(8月27日)、私も役員をつとめる「憲法が輝く兵庫県政をつくる会」で、「脱原発・自然エネルギー中心の社会へ」をテーマとする学習会を行いました。福島とならぶ原発の集中立地地域である福井原発群の危険から、いかにして住民の命と健康を守るのか、それを自治体行政の転換と結んで考える企画です。ダブル選挙が予想される11月の大阪市長選と府知事選、そして前回951票差まで迫った来年2月の京都市長選でも「脱原発」は重大争点となっていきます。この点では、財界・大資本への「反公害」の大きな市民運動と、最高時には全国住民の43%が革新自治体に暮らした地方政治の刷新を車の両輪とした、1960~70年代の社会改革の歴史に学び、さらに新たな歴史をつくる大志が求められていると思います。
国政レベルでも3・11以後、民主党政権に対する市民の期待は急速に冷めています。自民党政治への強い批判が2009年夏に鳩山民主党政権を生みましたが、期待は見事に裏切られ、「新しい日本」を求める国民的な政治の模索は、さらに新しい段階に進まずにおれません。これまでは日本の現状による『資本論』の実証といえば、大資本による非文明的で野蛮な利潤追求の行動ばかりが話題になってきましたが、今後はそれを乗り越える市民のたたかいと、大資本にルールを「強制」する取り組みの勝利によって、より前向きな実証の材料を提供していかねばなりません。何としても、そのような現実をつくりだしていきたいと思います。
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