以下は、 歴史教育者協議会『歴史地理教育』2012年1月号(第784号、2012年1月1日)に掲載されたものです。
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学び・驚き・考え・育つ-「慰安婦」問題を学ぶ学生たち
1・原点--学びを呼びかける熱意の問題
「慰安婦」問題を学ぶゼミの取り組みを通じて考えたことを、みなさんに議論の材料を提供するということで、述べてみます。
ここにいう「ゼミ」は、私たちの大学で「専攻ゼミⅠ・Ⅱ」と呼ばれているものです。3年・4年の2年間を同じ顔ぶれで学ぶもので、3年生10数名が「専攻ゼミⅠ」、4年生10数名が「専攻ゼミⅡ」に所属します。両者は互いに独立した集団であり、教員の側からすると、個性や学びの到達度を違えるゼミが同時に2つあるということです。ゼミは学生たちが2年生の後期に選んで志望してきます。
私がこの大学に「経済学の教員」として赴任したのは1995年のことであり、その後しばらくは「アメリカ経済入門」「日本経済の基本」「女性の労働条件」「女性にとってはたらきやすい経済とは」といったテーマでゼミを行っていました。それが「慰安婦」問題へと大きく転換したのは、2004年4月のことでした。すでに47才になってのことでしたが、きっかけは直前の私自身の体験でした。
ゼミの卒業旅行で韓国を訪れ、その自由時間に「ナヌムの家」(韓国の「慰安婦」被害者10名ほどが暮らす社会福祉施設、日本軍「慰安婦」歴史館が併設されている)を訪れたのです。そこで、私はそれまでの私の「慰安婦」問題に対する理解が、「被害者」の「身心の痛み」に気持ちを及ぼすことのできない非常に皮相なものだということを痛感します。その点の気づきは、父や祖父の世代によるアジア侵略の意味をあらためてとらえ返し、「慰安婦」に限らず様々な戦争被害者の苦悩を現代も継続させる日本の戦後史を、しっかりと学びなおす必要を痛感させるものでもありました。さらにいえば、それは18才で学生運動に参加し、以後、多くの社会問題に長く関心をもち続けてきたと自負する私の無知と傲慢の鼻をへし折るものでもありました。
あわせて、この訪問が大きな意味をもったのは、日本軍「慰安婦」歴史館の見学の後、元「慰安婦」のおばあさん(朝鮮語ではハルモニと呼びます)と1㍍に満たない距離で向かい合い、笑顔で差し伸べられた右手をつらい気持ちで握り返さねばならなかった体験でした。「被害者はいま生きて、謝罪や賠償など問題の解決を他ならぬ日本の市民に求めている」。この事実にどういう態度をとるべきか。「逃げることなく正面から受け止めよう」。それが私の下した結論でした。
駆け足で紹介すれば、私がゼミで「慰安婦」問題を取り上げることになったきっかけは、以上のようです。最初にこの体験を記したのは、その瞬間の思いと判断がその後のゼミの「原点」となっているからです。
2・学びの方法についての工夫
ゼミでの学びは、年を重ねて、次第にひとつの形を整えました。大学の授業は1コマ90分ですが、私たちのゼミは、少なくとも3年生時には毎回5時間となっています。教室での学びの他に、一泊二日で東京に出かけ、女たちの戦争と平和資料館、靖国神社と遊就館、しょうけい館などを見学し、「夏休み」には三泊四日の韓国旅行で、「ナヌムの家」・日本軍「慰安婦」歴史館、タプコル公園、水曜集会、西大門刑務所などを訪れます。秋以降には、すでに紹介したような本をつくり、講演依頼にも応えていきます。学生による講演は、「『慰安婦』問題で謝罪の必要はない」と発言した安倍首相の在任期間には年間30回を超えました。その多くに私は同行していません。
学びの方法について、気をつけていることのいくつかは次のようです。
➀学生を探求の主体とする。
これは私が「教え込み」をしないということです。「慰安婦」問題をめぐり社会には大きな意見の対立があります。したがって、「私が答えを教える」というやり方で学生たちは納得しません。そこで私は、学生が自分で答えを見つける筋道のアドバイス係に徹します。主な役割は、各種の文献・資料の紹介と、時々の学生の判断に「根拠を求め」「疑問を呈する」ということです。
②生の情報に接していく。
二度の旅行では各種の史料にふれ、韓国では被害者ご本人にもお会いします。教室でもたくさんの映像をながめています。戦争の悲惨を、その時代に生きた人の息づかい、一人一人の人間の体験にそって、できるだけリアルに理解するためです。それは学生たちの事実を考える姿勢の真剣さを深める役割を果たします。
③社会と自分のつながりを考える。
「戦争は70年近くも前のことだけど、必要な反省や清算をしない現在の政治をつくっているのは、ぼくと君たち(学生)をふくむ現代日本の主権者だ」。こういう見方を正面から突きつけてみることも、学生たちの学びを深める原動力のひとつとなります。そして「慰安婦」問題に限らず「自分と社会」「責任と権利」を考えることは、各人に狭い個人主義でない、自分の幸せと社会の幸せを関連づけて生きることを考えさせるものともなっています。
④社会を考える大人たちと接していく
大学の外にも、社会や政治のあり方を熱心に考え、行動する大人はたくさんいる。そのことの実感は、「慰安婦」問題に取り組む学生たちの「孤立感」を和らげ、大学卒業後の生き方を広げることにもつながります。学生を講演に招いてくれる主催の人々、「慰安婦」問題に取り組む私の仲間たち、卒業生の同窓会など、様々な大人との交流で、学生たちは多くの励ましをもらい、自分の未来を考えるヒントを受け取ります。
⑤歴史の知識をていねいに。
ゼミに入るまで、日本の近現代史を系統的に学んでいる学生は非常に少ないのが現実です。明治からの50年に及ぶ侵略の歴史を知らず、戦後7年間に渡った米軍による軍事占領の歴史を知らない。これでは現在と未来の日本、またアジアとの関係を考えることはできません。それらの知識の欠落は、時間をかけてしっかり埋めるようにしています。
3・2011年夏の韓国旅行
今年も9月5日から8日まで、三泊四日で韓国学習旅行にいってきました。今年の3年ゼミ生は10人ですが、夏から3人が中国・台湾に留学し、旅行の参加者は7人だけとなりました。
5日の朝に関西国際空港に集合し、11時半には金浦空港に降り立ちました。5日は午後から夜までは自由時間です。
6日は朝のうちにソウルを出て、昼過ぎには「ナヌムの家」に到着します。日本軍「慰安婦」歴史館を見学し、ロビーでくつろぐハルモニたちともふれあいました。
7日は午前中にタプコル公園へ。ここは「3・1独立運動」が始まった1919年3月1日に、独立宣言が最初に読み上げられた場所なのです。昼には日本大使館前に行き、被害者や支援者が日本政府に抗議と要求を行う「水曜集会」を見学しました。昼食は、集会参加のみなさんといっしょです。
最終日の8日は、西大門刑務所を見学しました。植民地支配の時期に、朝鮮の独立運動家を投獄し、拷問し、殺害し、放棄した場所で、いまは関係史料を展示する歴史博物館となっています。
これらの旅行の様子については、毎年、私のブログ「はげしく学び、はげしく遊ぶ」http://walumono.typepad.jp/)に、写真入りでアップしてありますので、関心のある方はご覧ください。
この韓国旅行について、学生たちが書いたレポートからいくつかの声を紹介してみましょう。
〔歴史館・ナヌムの家で〕「(再現された慰安所のようすに)恐怖を感じた」「ハルモニが声を張り上げる姿を見て、(レイプが)実際にあったことなのだと痛感した」「(ハルモニの)震えている姿を見て日本は本当に早く謝罪して欲しいと感じた」「(日韓の教科書の展示を見て)日本の歴史教科書にもきちんと記載し、教育していくべき」「ナヌムの家に行き、迎え入れてくれたハルモニ達の笑顔は忘れることができない」「韓国語が全く分からないため、隣に座らせてもらったのになにも話せなかったのが心残り」「(賠償の)お金よりもむしろ青春時代を返してほしい(のだ)と思う」。
〔水曜集会で〕「大使館の敷地の中では日本人が笑いながら横切っていた。毎週苦しみの声を聞いているのに何も感じないのか」「ハルモニたちの日本政府に対する訴えがとても伝わってきた」「(集会後の食事の際に)一人のハルモニが私たちに『良い大人になってね』『隣の国だから仲良くしないとね』と言った言葉をはっきり覚えている。・・日本が変わらないといけないと強く実感した」「(集会での)みなさんの力強い発言に、言葉がわからないながらも圧倒され、鳥肌が立ちました」。
〔タプコル公園・西大門刑務所で〕「正直信じられない事実であった」「18歳の女子学生、ユ・ガンスさんが立ち上がった。同じ女性として、立ち向かっていった彼女を誇りに思う」「刑務所内は怖くてあまり見ることができなかった。模型の日本兵ですら怖かったのに実際はもっと怖かったんだろうなと思った」。
〔現代の韓国社会・旅行の全体をつうじて〕「正直、この努力は報われるのかと疑問がありました。しかし・・8月30日、韓国憲法裁判所が、韓国政府に『慰安婦』問題の解決のためにしっかり努力することを求めた判決を出したことで、少しずつだけど、前へ進んで行っているのだと実感しました」「ニュースなどで見るような反日の様子は・・見受けられなかった。それどころか、道を尋ねると丁寧に教えてくれた。そう思うと、メディアだけを信じ込んでしまうと怖いなと感じた」「自分の目で見て、聞いて考えることが大事であると改めて思った」「私にできる事は限られているかもしれないけれど、一人でも多くの人に『慰安婦』の事実を伝え、知ってもらい考えてもらうことだと思う」。
ご覧のように、誰が何を言っていたという第三者的な立場の文章ではなく、その場に立った自分が何を感じ、何を考えたかという気持ちの表現がならびます。歴史知識の確認や充実にとどまらず、それぞれの生き方を揺さぶる体験になっているのだと思います。
4・いま、それぞれの学生たちは
韓国からもどった3年生は、現地での体験をふりかえり、今後の学びについて相談しました。「慰安婦」問題をふくむ歴史問題が、東アジアにおける経済・政治の共同にどういう影響を与えているのか。まず、そこに進むことに決まりました。韓国での学びを神戸や奈良の学習会で紹介し、学内の女性学インスティチュートが主催する公開講座を担当する準備もすすめています。
4年ゼミ生たちは、全員が見事に「内定」を得て、就職活動を終了しました。「慰安婦」問題の学びが就職にマイナスにならないかというご心配をいただくこともありますが、多少のマイナスを乗り越えていく活力を、学生たちは毎年発揮しています。同時に4年生たちは「夏休み」後の最初のゼミで、卒業論文の初稿(2万字)を提出しました。12月にもう一度まとめ、年末年始にさらに加筆して正月明けの大学に提出するという段取りは、私たちのゼミ独自のスパルタ・ルールとなっています。
こうした学びをベースに、神戸女学院大学石川康宏ゼミナールの編集で、次のような本を出してきました。
➀『ハルモニからの宿題』(2005年、冬弓舎)
②『「慰安婦」と出会った女子大生たち』(2006年、新日本出版社。2008年にソウルの東文選から韓国語版も出版)
③『「慰安婦」と心はひとつ 女子大生はたたかう』(2007年、かもがわ出版)
④『女子大生と学ぼう「慰安婦」問題』(2008年、日本機関紙出版センター)
これらの経験が、卒業後の人生にどのような影響を与えるものなのか。そこに明快な答えが出ているわけではありません。しかし、あえて私の願いを書けば、狭い意味での知識や技能の伝達でなく、全人格的な成長の場としてのゼミの役割が、学生たちのからだに記憶され、生き続けることを期待したく思います。
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