大阪民主新報社「大阪民主新報」2012年1月15日(4176号)に掲載されたものです。
鼎談のお相手は、森裕之さん(立命館大学教授)、藤永延代さん(大阪市民ネットワーク代表)でした。
以下には、見出しと、石川の発言のみをアップします。
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新春鼎談
この国の政治、自治体のあり方を問う
大震災・原発事故後の日本、ダブル選を振り返って(下)
日本の政治と地方自治体の役割
■自民党政治と2大政党制の破綻
地震対策予算を削った橋下府政
石川 国政の問題に触れておけば、今日のような貧困と閉塞を市民に与えてきたのは、「構造改革」の政治でした。その発信源は日本経団連などの財界です。
その財界が自民党の不人気に危機感を覚え、03年に今日の民主党を生み出し、自民・民主両党に財界通信簿に基づく献金を進めてきました。それが「財界言いなり」の2大政党制づくりです。
財界のトップが政治の最前線に
ところが、それが完成しないうちに、自民党政治が国民によって拒否される。それが09年の民主党への政権交代です。国民のあまりの怒りに驚いて、鳩山内閣は一定の路線修正を試みます。しかし優柔不断な右往左往の末に、財界・アメリカの巻き返しによってつぶされてしまう。
そして菅政権で元の自民党政治路線に完全に戻り、野田政権はますます悪くなっています。
野田政権は、国家の重要問題についての長期戦略を決める国家戦略会議を設置しました。そこに出席する民間議員5人のうち2人は、経済同友会の代表幹事と日本経団連の会長です。小泉政権時代の経済財政諮問会議と同じく、財界トップが政治の最前線に出てこの国の進路を指揮しようとしている。これは、もっと強く告発されてよいことです。
そういう動きがあるから、何があってもTPP(環太平洋連携協定)とか、大企業減税のための庶民増税、さらには消費税増税という政治路線が固執される。政治権力の背後に経済権力があるということを、いつでも明確に打ち出す工夫がいると思います。
アメリカに物言えない日本政府
■小さくても輝く自治体へ
古い自民党政治を新しい看板で
石川 財界が橋下・維新の会をとらえる角度についてですが、せっかく育ててきた「2大政党」が国民の支持を失う中で、民主党や自民党とのパイプを大切に維持しながら、併せて橋下・維新の会にも期待をかけるというスタンスだろうと思います。維新の会に全面的な信頼を置いているわけではないが、財界の意に沿って走る限りは、走れるところまで走らせてみようということです。
石川 その限りでは、橋下・維新の会は、古い「財界・アメリカ言いなり政治」を看板の目新しさで継続させる役割を担っており、政治の基本的な内容については何も新しいものはない。当面の焦点となるのは道州制ですが、これに関連して私たちも、あらためて自治体のあるべき姿を考える必要があると思います。
市町村合併にせよ、道州制にせよ、財界による改革は、自治体を巨大化させる路線になっています。そのほうが効率的だからという理由で、市民生活を支える業務を切り捨て、政治を市民の日常から遠ざけている。それは結果として、政治への不信や無関心を強め、大企業本位の地方政治を継続させる役目も持っていると思います。
互いに顔の見えるコミュニティ
それに対して、本来、地方自治というのは、互いに顔の見える範囲の小さなコミュニティを基礎的単位とするもので、そのコミュニティの自主的な取り組みを応援するのが地方政治の役割ではないか。そういう小さな自治体論をはっきり対峙する必要があると思います。そのことの必要は、東日本大震災の復興過程でも明らかになっていると思います。
この問題では、フランスの社会が参考になります。日本の自治体は1724まで減りましたが、フランスには3万6500の自治体があります。日本のおよそ20倍ですが、人口が半分なので、結局フランス人は平均して日本の40分の1の人口の自治体に暮らしていることになります。人口5万人以上の自治体は112しかなく、全自治体の67・6%はなんと人口700人未満です。そんな小さな自治体が多数派です。
日本でいえば都市部の小学校の生徒数くらいですが、そこに首長がいて、予算があり、地域の政治があるのです。そうなると議論は、「あそこの娘に職がない」「あの家に子どもが生まれた」「あのじいちゃんが病気で」といった血の通った話になるほかない。それが顔の見える範囲でのコミュニティの強みです。
そして、その中で市民は自分の権利の主張にとどまらず、互いの権利を尊重し合い、民主的に地域を統治する力を育む。だから1976年にフランスの「地方団体の役割に関する委員会」は、「コミューンは…紛れもなく、民主主義の学校」と書きました。
「3・11」をきっかけに、エネルギーの自給が各地で緊急の課題になっていますが、そういう動きと結んで、これを提起することはできないでしょうか。自然エネルギーの活用で有名な高知県の梼原(ゆすはら)町では、小型の水力発電で近くの学校や町の電気をまかなうなどしています。住民の「自治」に基づく自治体本来のあり方を、そういう目に見える形で分かりやすく示すことができないものかと思います。
〝小さな自治体〟に学ばなければ
子どもの主体性を生かす教育に
■人間社会の将来像を語り合う
変化の根底にあるものはなにか
石川 先日、学生たちとNHKの「地球イチバン」という番組を見ました。デンマークのロラン島での風力発電を特集したものです。
素晴らしいと思ったのは、ロラン島の市民たちの取り組みです。政府が島に原発を造ろうとするが、15人の市民が「ゆっくり考えさせてほしい」とブレーキをかけるのです。そうして獲得した時間をつかって、地域に学習と討議が広げられる。
その結果、電力は大事だけれど、原発の事故や放射能汚染の方がはるかに怖いという結論が、島全体で出されるのです。それが原発建設の計画を止めるだけでなく、政府の原発推進姿勢そのものを転換させ、自然エネルギー中心社会への転換を生み出す原動力になるのです。変化の根底にあるのは、市民一人一人の学習と熟慮でした。これは日本の取り組みに重要な教訓を与えています。
例えば、私たちが選挙の取り組みを通じて政治を変え、地域を変えるというときに、候補者や政策の大切さはもちろんですが、何よりも根本に据えるべきなのは、政治や社会を考える市民の力の醸成ということではないでしょうか。
ロラン島の市民が2年をかけて学び、話し合ったように、私たちにも、全市民的な規模で、学習を深める取り組みが求められている。もちろん、それは選挙前の1~2年でできることではありません。
さらに、学習の内容についていえば、個々の政策だけでなく、人間社会についてのそもそも論がとても大切になっています。
私たちは、どういう人間社会を目指すべきかという理想についての議論であり、その意味での社会思想についての学びです。財界に支配される社会でいいのか、貧困を野放しにする自己責任論でいいのか、地域社会のあり方は、エネルギーは、教育は…。どれもこれもが、人間社会の根幹にかかわるものばかりです。
世界駅にも注目深まるマルクス
その点では、特にリーマンショック以後、世界的にも注目が深まっているマルクスは、日本でももっと議論されてよいと思います。現代社会を初めて資本主義と特徴づけたマルクスの理論と、貧困のない社会を求めてたたかった彼の生き方は、いずれも大いに学ばれるべきだと思います。
研究者・知識人としての役割について、自戒も込めて言うと「運動団体の教師」であるだけでなく、「社会全体の教師」として振る舞う覚悟と判断力が必要になっていると思います。自分の考えを、自分の責任で、日常的に社会全体を相手に発信し続けることの必要です。
特にツイッターやフェイスブックの影響力は、スピードが勝負というところがありますから、変な閉じこもり方をしていたのでは間に合いません。この状況の変化に応じていくことが大切だと思っています。
「してやられない」強さを持つ
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