以下は、自治労連・地方自治問題研究機構『季刊・自治と分権』第52号、2013年7月10日に掲載されたものです。
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ひどすぎる改憲案が、改憲勢力の何よりの弱点
──改憲派内部のねじれと衝突にも注目して──
石川康宏(神戸女学院大学教授)
(本稿は、2013年4月17日に九条の会・ひがしなだが主催した「憲法が危ない! 3 連続学習講座」での講演を加筆・整理したものです)
1)はじめに
憲法をめぐる情勢についてとのご依頼ですが、すでに自民党の改憲案が出されているわけですから、その内容の紹介を中心にしたいと思います。
国家権力と国民との関係という角度からみたとき、自民党改憲案の特徴は、国民の自由や権利を国家が支えるという仕組みになっている現在の日本国憲法を逆転させ、お上が決めた「公の秩序」によって許される枠のなかに国民を閉じ込めようとするものになっています。国民が主人公の社会づくりから、権力が主人公の社会づくりへの転換ということです。
内容について少し先まわりをして整理しておけば、改憲案は、①天皇中心の国づくり、②アメリカと一緒に戦争をする国づくり、③国民の権利や自由を国家が制限・抑圧する国づくり、④国・自治体が国民生活の保障をしない「自己責任」型の国づくり、⑤大企業中心で「活力ある経済活動を通じて国を成長させる」国づくりの方向等を、1つにまとめたものとなっています。
何か統一的な理念にもとづいてすっきり整理されたものではありません。しかし、どの側面をとっても、危険でろくでもないものであることは明らかです。
こういう改憲案の危険性を直視せねばなりませんが、あわせて恐れる必要はありません。振り返ってみればこれに類するものを、自民党は2005年にも「新憲法草案」として出していました。そして「二大政党」づくりに向けてスタートを切っていた民主党も改憲案を示し、公明党も「加憲」の名で改憲を目指していました。
さらに第1次安倍内閣発足直後の07年の通常国会に、自民党は衆議院で306議席、公明党31議席、合計337議席をもち、「圧勝」といわれた今日(自民党294議席、公明党31議席、合計325議席)よりも多くの議席を占めていたのです。それにもかかわらず、改憲は実行されず、逆に自民党は急速に国民の支持を失い、09年には政権の座から転落することになりました。その後を継いだ民主党もいまや党そのものが崩壊の危機に瀕ひんしているという状況です。
なぜそうなったのでしょう。それは、そもそも政治というものが、権力を握りさえすれば何でもできるというものではないからです。
権力が国民の意思に反した行動をとれば、それは国民との衝突を余儀なくされます。そして両者の力関係に応じてしか、現実の政治は動いていきません。そういう点から今日の政治状況を振り返れば、先のようなろくでもない改憲を、国民の多くが望んでいるとは到底思えません。そうであれば、この内容をしっかり国民のなかに伝えていくことで、第1次安倍内閣につづいて第2次安倍内閣にあっても、改憲はやはり阻止していくことができるでしょう。
「改憲案なんて読みたくない」という方もおられるかもしれませんが、それでは改憲勢力がめざす日本社会の展望を、自信をもって伝えることができません。それではだめなのです。私はひどすぎる改憲案こそが、改憲勢力の最大の弱点になっていると思っています。このひどすぎる内容を正確に、たくさんの人に伝えていくことが必要です。インターネットで検索すれば簡単に全文が手に入りますから、ぜひしっかり読んでみてください。
2)自民党の改憲案──ろくでもないものの大集合
◆天皇を頂点に「戴く」国にむけて
自民党による改憲案の内容に入っていきましょう。まず前文です。よくこんな文章を書いたと思います。
「日本国は、長い歴史と固有の文化をもち、国民統合の象徴である天皇を戴く国家」であり、「日本国民は、良き伝統と我々の国家を末永く子孫に継承するため、ここにこの憲法を制定」する。つまり日本社会の主人公は国民ではない、天皇である。「戴く」ですから、天皇が一番上の地位にいるわけです。残りの国民は下々であり、そういう仕組みがこの国の長い歴史と伝統である。そのことをよくよくわきまえた国づくりを「末永く子孫に継承する」ために、この憲法を制定するというわけです。
これを見ただけでも、このような改憲の方向では、主権在民はないがしろにされるだろうし、国民1人ひとりの命や暮らしはあまり大切にされそうにない。そういう予想が成り立ちます。まったくその通りの内容であるわけですが、それは順に見ていきましょう。
◆消されてしまう「不戦の誓い」
現在の憲法の前文には、二度と戦争を繰り返しませんという文章がありますが、自民党の改憲案は、これをすべて消し去ります。
第一に「政府の行為によって再び戦争の惨禍が起こることのないように」がなくなります。あえてこれを消すということは、「再び戦争の惨禍が起こる」可能性を認めるということでしょうか。この点の最終的な結論は、次の9条の「改正案」を見てからでいいでしょう。
第二に「日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであって、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した」。これも削除です。
第三に「全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免れ、平和のうちに生存する権利を有すること」も削除です。「平和のうちに生存する権利」を全世界の国民がもっていることの確認は、それらの権利が実現される、戦争のない世界をつくるうえで、日本は努力をしていきますということですが、これが削除されているのです。
これらの削除は、いずれも今後の戦争の可能性に道を開くものとなっています。
他方で改憲案は前文に「日本国民は、国と郷土を誇りと気概をもって自ら守り」という文章を付け加えます。戦争をしない国というわけではないという前文の修正のうえに、「国と郷土を自ら守っていこう」と述べているわけです。これが具体的に何を意味するかは、やはり次の9条などの「改正案」によって明らかになります。
◆「国防軍」で米軍との共同戦争を
憲法第9条の第2項は、「陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これは認めない」となっています。しかし、改憲案ではこれは削除です。「陸海空軍その他の戦力」も「国の交戦権」も認められてしかるべきだということです。
そのうえで第9条第3項にはこう書いています。「国防軍は、第一項に規定する任務を遂行するための活動のほか、法律の定めるところにより、国際社会の平和と安全を確保するために国際的に協調して行われる活動及び公の秩序を維持し、又は国民の生命若しくは自由を守るための活動を行うことができる」。
これは自衛隊が「国防軍」に名前を変えさせられるだけでなく、その任務が根本的に変わることを示しています。「第一項に規定する任務」というのは基本的には自衛です。その自衛の「活動のほか」となっています。「ほか」の任務の1つは「国際社会の平和と安全を確保するために国際的に協調して行われる活動」です。この活動は一体どこの国と一緒に行い、この活動の必要性はいったい誰が判断するのでしょう。それを考えるうえで重要なのは、ここに「国連の合意にもとづき」といった言葉がないことです。
国連の合意がない国際協調での軍事活動といえば、最近の典型は2003年3月、米英軍が中心になって開始されたイラク戦争でしょう。国連加盟の193カ国のうち、アメリカが数えてさえ、この戦争に賛同した国は40ほどしかありませんでした。日本が軍事同盟を結んでいる相手は、そういう戦争を平気で行うアメリカしかなく、自衛隊が常日頃から「国際的に協調して」軍事演習を行っている相手も基本的には米軍しかありません。
小泉首相(当時)はイラク戦争の開始にただちに理解を示し、実際、戦地に自衛隊を送り込みましたが、これをより本格的に行いたい。最前線で武力行使ができるようにしたいということです。アメリカが「自衛」を名目として──イラク戦争もそうでした──戦争をはじめた時に、日本の国防軍は自動的にこれに加わっていく。これが集団的自衛権の行使ということで、これを可能にするという改憲です。
◆「国防軍」は内乱鎮圧も重要任務
もう1つの国防軍の任務は、「公の秩序を維持し、又は国民の生命若しくは自由を守るための活動」です。天皇を頂点に「戴く」「公の秩序」を守るために軍が動くということです。
この内容を正確に理解するためには、この国防軍を「統括する」のが「内閣総理大臣」(第72条第3項)であること、さらに「内閣総理大臣は、我が国に対する外部からの武力攻撃、内乱等による社会秩序の混乱、地震等による大規模な自然災害その他の法律で定める緊急事態において、特に必要があると認めるときは、法律の定めるところにより、閣議にかけて、緊急事態の宣言を発することができる」(第98条)という条文を、あわせて読むことが必要です。
結局のところ、これは天皇を頂点に「戴く」国づくりに反するふとどきな動き=「内乱等による社会秩序の混乱」が起こった時に、これを鎮圧するのが国防軍の任務になるといっているということです。
他にも「公の秩序」は国民の自由や権利の上に立つ(第12条)、国民の幸福追求権の上にも立つ(第13条)、さらに集会・結社・表現の自由の上にさえ立つ(第21 条)という具合に使われています。
ここまでくるとこれは、もはや戦前・戦時の「国体」という言葉にしか聞こえてきません。国民を天皇の家来とした、大日本帝国憲法の発想です。国は特定の宗教活動をしないとした第20条にも例外規定をもうけ、靖国参拝を合法化する文章も加えています。
◆国民は国に頼らず、互いに抱き合って生きていけ
日本国憲法は第24条で「両性の本質的平等」を定めていますが、改憲案は、この文章の最初に「家族は、互いに助け合わなければならない」と加えています。それ自体は、わざわざ憲法で決めるようなことかと思われるような内容ですが、これは「家族」の誰かが暮らしに困った時には、国や自治体に頼らずに、「互い」に助け合って生きていけということです。
趣旨は「自己責任」論そのものですし、それを「家族責任」論に拡大して、これを憲法に書き込んでいくということです。
◆「公務員」から労働3権を奪い取る
憲法第28条は「勤労者の団結する権利及び団体交渉その他の団体行動をする権利は、これを保障する」としています。労働組合をつくり、経営者と交渉し、ストライキなどの団体行動をとることは、「勤労者」の権利と認められているわけです。
しかし、自民党改憲案は第2 項で「公務員については、全体の奉仕者であることに鑑み、法律の定めるところにより、前項の規定する権利の全部又は一部を制限することができる」としています。
公務員は一般の「勤労者」ではない、天皇を頂点に「戴く」「公の秩序」の守り手なのだから、その体制に逆らうことなどあってはならない。したがって、そのような権利は必要ないのだ、ということです。「大阪維新の会」は、これと同じことをいわば先行実施しようとして、市民の大きな反撃を受けています。
なお地方自治体については「広域地方自治体」(第93条)という言葉を入れて、道州制の実現に道を開くものとなっています。
3)背景に自民党の新綱領が──タカ派は安倍内閣だけではない
◆「日本らしい日本の保守主義」にもとづいて
こうしたろくでもない改憲案の背景には、自民党の新しい綱領があります。2009年の選挙で政権からすべり落ちた自民党は、2010年に新たに決めた綱領の前文で次のように述べています。
「我が党は平成21年総選挙の敗北の反省のうえに、立党以来護り続けてきた自由と民主の旗の下に、時代に適さぬもののみを改め、維持すべきものを護り、秩序のなかに進歩を求め、国際的責務を果たす日本らしい日本の保守主義を政治理念として再出発したいと思う」
そして「日本らしい日本の保守主義」という理念にもとづき、自民党がやりたいことを「政策の基本的な考え方」にまとめています。
「⑴日本らしい日本の姿を示し、世界に貢献できる新憲法の制定を目指す」「⑵日本の主権は自らの努力により護る。国際社会の現実に即した責務を果たすとともに、一国平和主義的観念論を排す」「⑶自助自立する個人を尊重し、その条件を整えるとともに、共助・公助する仕組を充実する」「⑷自律と秩序ある市場経済を確立する」「⑸地域社会と家族の絆・温かさを再生する」・・・といった具合です。
ここには、現在の自民党がどういう政党になっているのかが、非常にわかりやすく整理されています。自民党は「新憲法の制定」を第一義的に「目指す」政党である、そして「新憲法」の内容はすでに見た、ろくでもないものの大集合であるというわけです。
◆新憲法は自民党全体の方向性
新綱領が示す「新憲法」の内容を確認しておきます。
第一に掲げられているのは⑵の中の「一国平和主義的観念論を排す」です。「全世界の国民」が「平和のうちに生存」できるように、世界に向けてはたらきかけるのが日本国憲法の精神ですが、それを自分の国さえ平和ならいいとする「一国平和主義」だとねじまげて、そこから戦争のできる国づくりへの転換を主張する卑劣な文章です。
⑶は「自助自立する個人を尊重」と聞こえのよい表現をとっていますが、中身は「自己責任」論の憲法化でしょう。
⑷の「自律と秩序ある市場経済」については、伊吹文明氏(自民党政権構想会議座長「我々は進歩を目指す日本の保守政党」)が、ある議論を紹介しながらこう解説しています。「保守主義は必ずしも政府の介入を排除するものではない。しかし、全ての人に同じような効果を持つ政策でなければならない」「一部の人を優遇し、競争条件を不平等にする政策を採るのは、保守主義本来のあり方に反する」「従って政府は・・・全ての人に公正な政策や条件づくりに努め、一部の人たちだけへのばらまきはしない」
要するにこれは、政府は競争の条件は等しくするのが仕事であり、あとはすべてを市場にゆだねればよいということです。
では、競争の結果、生活ができなくなった人たちはどうするのか。回答は⑸にある「地域社会と家族の絆・温かさを再生する」ということです。地域や家族で抱き合って生きていけ、国や自治体に頼るなということです。
自民党改憲案の前文には、「和を尊び、家族や社会全体が互いに助け合って国家を形成する」「活力ある経済活動を通じて国を成長させる」「日本国民は、国と郷土を誇りと気概をもって自ら守り」などの文章も含まれますが、これも以上の新綱領に合致するものです。
新綱領は2010年に作成された今日の自民党の旗印であり、先の改憲案はその合意にしたがってつくられました。したがって、これは安倍首相の特殊な個性によるものではありません。自民党は「右翼になった」ともいわれるように、自民党の全体がこうした傾向を強めているのです。
4)改憲勢力内部のねじれ──利潤第一主義か、復古主義か
しかし、以上のことは改憲派の「強さ」を自動的に意味するものではありません。繰り返しますが、改憲案があまりにひどいというのが、この改憲勢力の最大の弱点となっています。
加えてここで指摘したいのは、改憲勢力の内部に、政治路線に関する重大な「ねじれ」があるということです。天皇を政治の頂点に「戴」き、靖国参拝を憲法で推進するような国づくりは、中国などの経済成長を自らの利益に取り込もうとする日本財界やアメリカの東アジア戦略と、真正面から抵触します。そこを確認してみましょう。
◆改憲勢力の合意とゆきすぎた復古の色合い
改憲勢力全体に共通している改憲の方向性は、第一に主権在民の形骸化──多数の意思を無視した「決定できる民主主義」の推進、第二に「自己責任」論の憲法化、第三に日米共同戦争ができる国づくりだろうと思います。これは自民党も財界も納得しているでしょうし、アメリカからも文句はつかないものと思います。
ところが、実際に政治の舞台で改憲をすすめる自民党は、侵略戦争を肯定する靖国史観派、復古主義の勢力が主力の政党であるわけです。そのため彼らは、この3 つの点についてもどうしても独自の色をつけてしまいます。
第一に、主権在民の形骸化といえば「天皇は日本国の元首」(改憲案第1条)といわずにおれず、第二に「自己責任」論の憲法化については、心の中で「女は家に帰れ」「子育ては女のしごと」と叫ばずにはおれず、第三に日米共同戦争には、国内でも天皇を頂点に「戴く」「公の秩序」を守るための治安維持活動ができるようにしよう、と付け加えてしまうのです。
こうなってくると財界もアメリカも、簡単に同意はできなくなります。日本にとってもアメリカにとっても最大の貿易相手は中国です。その中国で石を投げられたのでは財界は商売になりません。米中関係を21 世紀の最重要の2国間関係と位置づけるアメリカにも、日本が東アジアを混乱させるのは本当に邪魔なことでしかありません。
ですから、すでにアメリカ政府やその周辺からは、日米共同戦争への道は解釈改憲で開くべきだ、現在の政権で明文改憲をすすめれば、アメリカの利益が損なわれる可能性が出てくるという議論も出てきています。
◆利潤第一主義と復古主義の衝突──東アジアの成長を前に
5年連続で靖国参拝を行った小泉政権時代に、日中関係は首脳会談もできない状態になりました。これに慌てたのは財界で、日本経団連は小泉首相に靖国参拝の中止を求めましたし、経済同友会は「今後の日中関係への提言」(2006年)という文書を発表し、「過去に対する謙虚な反省」が必要である、「『不戦の誓い』をする場として・・・靖国神社が適切か」という踏み込んだ発言も行いました。
財界の利潤第一主義が政界の復古主義、靖国史観との衝突をあらわにした瞬間でした。
当時、これに正面から反論を加えたのが安倍晋三氏でした。「日本の伝統を金で売るのか」といきり立ちました。また経済同友会終身幹事であった小林陽太郎氏の自宅には、銃弾が送り届けられもしました。その対立は第1次安倍内閣時代にも継続しましたが、最終的に安倍首相は、より「親中」的といわれた福田首相に政権を明け渡さざるを得なくなりました。
日本経団連は先日、「通商戦略の再構築に関する提言」(2013年4月16日)を発表しましたが、それは「成長著しいアジア太平洋地域」に「自由貿易圏」をつくることが大切であり、そのために「日中韓FTA を推進する必要がある」「とりわけ、対中国市場アクセスの改善はわが国にとって重要である」と主張するものでした。こうした財界の対外経済戦略が、靖国参拝さえ正当化する復古主義的な改憲と相いれないことは明らかです。
◆アメリカも日本の復古を望んでいない
同じ対立は、復古主義とアメリカとの間にも存在します。ブッシュ政権の1期から2期への移行のなかで、アメリカは中国敵視の東アジア政策を、米中パートナーシップの路線に大きく転換しました。それにあわせてブッシュ大統領は、初めて小泉首相に「靖国にいくな」と要請します。しかし、これを小泉首相が断ったため、その後アメリカ側は「ポスト小泉は靖国にいくな」と強く求めるようになりました。
日本の首相が靖国参拝を繰り返せば、アメリカが描く東アジア政策が展開しづらくなる、また日本の背後にいると思われているアメリカにも、東アジアからとばっちりがくるかもしれない。そこで、とりわけ靖国参拝と「慰安婦」問題を焦点に、アメリカ政府は安倍政権に強い圧力をかけてきました。
結局、当時の安倍首相は在任中に靖国参拝をすることはできず、またあれだけ強気な発言を繰り返した「慰安婦」問題についても、訪米して「謝罪」の言葉を述べざるを得なくなりました。
この関係もまた、今日まったく変わっていません。共同通信の記事「米政権、安倍首相発言に懸念 中韓にらみ自制促す」(2013年4月26日)は、「歴史認識をめぐる安倍晋三首相の発言や閣僚の靖国神社参拝に対し、オバマ米政権が東アジア情勢の不安定化を招きかねないとして、日本政府へ外交ルートで非公式に懸念を伝えていたことが分かった」と報道しました。同種のことは第2 次安倍内閣が発足した2012年末から繰り返し行われています。
◆「保守=復古」という日本の保守勢力の後進性
同じように改憲推進を求めながら、その内部に一歩立ち入ってみれば、自民党はアベノミクスやTPP加入で財界やアメリカの支持を得て、それを追い風に復古主義的改憲を実施したいと考えている。それに対して財界、アメリカは「市場経済」の推進や「自己責任」論、日米共同戦争には賛成だが、そこに復古の色をつけて、東アジアに混乱を持ち込むことには反対する、そういう対立があるわけです。
しかし、それにもかかわらず、現瞬間、互いに頼りにできるものが他にない。そこで、互いが互いを自分の利益や目的のために利用しあい、事態がどう進むかを互いが監視しあう関係になっているわけです。今日の改憲推進勢力には、そうしたねじれとゆきづまりがあるのです。
戦後日本の保守政治は「財界中心」「アメリカいいなり」「侵略戦争肯定」という3つの異常をもってきましたが、別の角度から見れば、これは支配層の内部に3つの併存の困難が生まれ始めているということです。
戦後、日本を軍事占領したアメリカは1947~48年に占領政策を転換し、A級戦犯容疑者たちがアメリカへの忠誠を条件に、戦後も政界、財界、大手メディアなどで権勢を振るうことを許しました。自民党初代幹事長の岸信介が、戦犯専用の刑務所であった巣鴨プリズンから出獄した人物であった事実は象徴的です。その結果、侵略戦争を「聖戦」として指導した張本人らが、戦後も日本の支配層に居すわることになり、それが先の3つの異常を生み出す歴史の直接的な要因となりました。
こうした経過のために、日本には、侵略戦争を反省したうえで、国内の経済権力と密接な関係をもつような世界史の戦後段階にふさわしい新しい保守の流れが育っていません。2009年に政権の座を失った自民党が、再生の思想に「日本らしい日本の保守主義」という名の復古主義を掲げることしかできなかったのは、彼らの格別の後進性の現れです。
5)おわりに──日本国憲法の理想を生かす社会に向けて
日本国憲法を守るのか自民党流の改憲を許すのかという議論の根本は、この国がどういう社会を目指すべきかという、国民が望む社会のあり方についての議論であるはずです。
自民党の改憲案が示しているのは、①天皇中心の国づくり、②アメリカと一緒に戦争をする国づくり、③国民の権利や自由を国家が制限・抑圧する国づくり、④国・自治体が国民生活の保障をしない「自己責任」論型の国づくり、⑤大企業中心に「活力ある経済活動を通じて国を成長させる」国づくり等の方向です。
改憲派がこうした新しい彼らなりの理想を掲げているわけですから、私たちは、私たちらしく日本国憲法にもとづく社会づくりの理想を対置せねばなりません。
①選挙制度の改革も含めて国民主権を充実させる国づくり、②日本と世界の国民の平和的生存権を追求する国づくり、③国民の権利や自由を国家が本気で充実させる国づくり、④若者から高齢者まで1 人ひとりの生存権を国家が支える国づくり、⑤国民生活の改善を最重要とする経済運営を目指す国づくりなど、が基本の内容になるでしょう。こうして目指すべき理想を高く掲げ、いずれがよりまともな社会づくりであるかを正面から問う姿勢が必要です。
さらに、①脱原発の取り組みは平和的生存権にむすびつき、②TPP 加入や消費税増税に反対する取り組みは国民第一の経済運営に、さらに、③米軍基地問題やTPP 加入問題はこの国の国家主権にかかわる問題というふうに、いま目の前で多くの国民が取り組んでいる個別のテーマでの運動は、いずれも日本社会の根本的なあり方にかかわります。そうであれば、日本国憲法が目指す社会づくりの展望を、積極的に、わかりやすく語っていくことが、これらの運動の展望をより大きく開くことにもつながります。
そういう大きな議論の枠組みがあってこそ、96条先行改憲という手法の姑息さや、96条改憲がその先のどういう改憲につながるのかという危険もわかりやすくなるでしょう。
第1次政権の安倍首相を、国会での所信表明直後の辞任という前代未聞の政権放棄に追い込んだのは、何より国民の力でした。教育基本法を改悪し、改憲に向けた国民投票法も成立させた安倍内閣は、「慰安婦」問題や靖国問題等で東アジアだけでなくアメリカからも強烈な批判をあびましたが、そうして窮地に立った安倍内閣に最後の退場の道を開いたのは「9条の会」をはじめとする多くの護憲の取り組みでした。
繰り返しますが、政治は権力を握っている者の思惑どおりにすらすら進むものではありません。その思惑と、主権者でありまた多数者である国民の願いとの衝突の結果としてしか政治は進みません。Twitter、Facebook など世論にはたらきかける新しいツールも活用しながら、自民党改憲案のろくでもなさと日本国憲法のすばらしさを、それぞれ具体的に大いに語っていきましょう。(いしかわ やすひろ)
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