1)テキスト第3章「労働市場の変遷とそのインパクト」のつづき(73ページから)。80年代レーガン政権期以降,労働条件や福祉政策の劣化が進む。90年代には市場最大の大型好景気がづつくが,その間にも労働条件や福祉の劣化は継続した。それが継続するなかで国内消費が支えられたのは,年金基金などのバブルによる急拡大をきっかけとした,未来への準備の前倒しがあったから。バブル破綻以後の労働者たちの不満は,9.11以降の戦時緊急事態によってごまかされている。ただし今秋の中間選挙に向けては,共和党の議席確保に向けた予算のバラマキがはじまっており,最悪の財政赤字がさらに膨らみつつある。
2)50年代には30%以上だった組合組織率が90年には16%,00年には14%へと低下する。反労組政策の「成果」である。さらにクリントン政権期には「福祉から就労へ」という,福祉政策の縮減が行われる。日本の社会保障構造改革とも共通する「自己責任」化,公的責任の後退である。またIT産業の発展とその労働現場での活用は,中間管理職の削減(フラット化),仕事の外部化によるリストラをすすめるテコとして使われた。ただしIT活用は,いつでも自動的にリストラを生み出すわけではない。IT化による「効率化」をストレートに人件費削減につなげるアメリカ・日本型に対して,これをワークシェアリングによる労働時間の短縮と雇用の維持・拡大につなげようとするヨーロッパの試みもある。EUはすでに,むきだしの資本主義を乗り越える「社会的資本主義」を標榜している。
3)90年代アメリカの「失業率低下」については,雇用統計自身の検討が必要となる。田中宇「拡大する双子の赤字」は,8種類の雇用統計の中から,以前よりも失業率が低く算出される方式がつかわれるようになっており,以前と同じ計算をすると現状で12%になるという指摘を紹介している。なおアメリカの組合組織率は04年で12.5%にまで低下している。第3章終了。
4)テキストを離れて,最近のアメリカの動きから「対東アジア政策」を紹介。①05年の前半から後半にかけて,「東アジアサミット」に対する「攻撃」から「許容」への政策転換があった。②中心は対中国政策の転換で,内容は,軍事的敵視最優先から経済交流最優先への重点移行であった。内陸部開発によって巨大化する市場への円滑なアクセスの確保が優先された。③その結果,日本の靖国問題が東アジアにおける最も重要な外交課題の一つとして浮き彫りになる。④6月の小泉首相訪米時に,上下両院合同議会で演説を行うためには,この夏に靖国参拝を行わないことの表明がいるとする意向が下院に強い。靖国史観は第二次大戦におけるアメリカの姿勢を「誤り」としており,あわせて東アジアの政治的安定を欠く要因ともなっているから。⑤これはポスト小泉の行方をも大きく左右する動きであり,日本外交へのアメリカの影響力を示すであろう動きでもある。
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