1)テキスト第5章「連邦政府財政と財政改革」を読む。「大恐慌」をきっかけに自由放任の経済政策は「賢明な管理」へと転換していく。46年の雇用法に結実する雇用(景気)管理の政策であり,それを実現する主要手段として財政が活用される。従来の単年度均衡の必要は放棄され,景気の循環に対応しての中期的な財政均衡で良しとされるようになる。具体策としてのケインズ主義は,不況時に財政投下を行い,好況時に税を回収するというもの。中期的にバランスがとれるはずだが,70年代初頭には財政赤字が恒常化する。またスタグフレーションの発生により,財政投下が必ずしも景気回復につながらないとの観測も生まれてくる。このケインズ主義財政を覆そうとしたのが80年代のレーガノミクス。雇用については「自然」にまかせる。また景気については「供給者重視」の路線をとる。
2)60年代のジョンソン政権は国内の貧困対策と対外的なベトナム戦争の勝利をめざす「偉大な社会」をかかげていく。ベトナム戦争で最前線に送り込まれる黒人たちが,国内では公民権運動をすすめていく。貧困対策はその黒人たちへの一定の譲歩の意味をもっていた。実際に投下された金額は,軍事費が「偉大な社会政策」の社会保障費などの12倍にも達している。産軍複合体を推進力とした投資ブームがつづくが,財政赤字が拡大し,他方でインフレが亢進する。このインフレを抑制しようとした引き締め政策が景気の悪化をもたらしていく。ベトナム戦争の終局も軍拡投資を抑制する。ニクソン政権による「新経済政策」の荒療治も一時的な効果だけで,74・5年には戦後初の本格的な不況を迎えることになる。フォード政権・カーター政権ともに最悪の「悲惨指数(失業率+物価上昇率)と財政赤字に苦しみ,根底での生産性低下も露呈する。
3)80年代のレーガン政権はケインズ主義的な景気管理政策を根本的に否定する。「小さな政府」,金持ち減税,低所得者補助の削減をすすめる。ただし「小さな政府」は軍事費を「聖域」としており,歳出削減はもっぱら「福祉への依存」の削減という形で行われていく。軍事費を公共事業費に置き換えるなら,中曽根内閣以降の日本の事態と同様である。結局,レーガン政権はスタグフレーションの一定の改善には成功するが,そのかわりに国内の財政赤字と対外的な経常収支赤字との「双子の赤字」を生み出した。90年代に入りパパ・ブッシュ政権は「増税をしない」との公約を,議会の増税圧力に屈する形で受け入れていき,「ソ連崩壊」にもかかわらず結果的に短命政権となる。クリントン政権は一定の金持ち増税と,低所得者支援の回復の上で,IT革命とバブルによる90年代の大型景気の増収という「幸運」にめぐまれ,一挙に財政赤字を克服する。しかし,後をついだブッシュ政権が「黒字の還元」と称して上層に有利な大規模減税を行い,戦後最大の軍事費支出によって,単年度では過去最大の財政赤字を生み出していく。
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