1)冒頭,試験の方法などを紹介。テキスト101~116ページを読んでいく。テーマは竹中流「構造改革」の理論的背景。その要素の1つは「新自由主義・新保守主義」。内容は「小さな政府」と規制緩和のススメであり,結果は大企業の活動の自由拡大を進めるもの。ただし,驚くべきことに,なぜどのような意味で「新自由主義」の主張に正当性があるかについてはどこにも説明がない。あるのはその言葉によって総括される諸政策を支持するという立場のみ。
2)2つめの要素は「新しい経済成長論」。かつての規模の経済性(スケールメリット)に加え,今日では製品「標準」の獲得とそれによる「ネットワークの経済性」が重要になっている。そのこと自体は事実だが,それは「経済」の成長論ではなく,個別「企業」の成長論。それ以上に経営戦略。実際,そこから竹中氏は「経済性」の獲得をめぐる世界競争の中にある「海の国」支援のために,企業活動の自由をひろげる「制度(国)間競争」での勝利を主張する。そのための改革が「構造改革」(ただし自由をひろげる企業は日米双方)。ここにもあるのは具体的な政策の支持のみであり「改革」推進の同僚である吉川氏が,これらの「理論」をいかにも脆弱と批判するところに,政策と理論の結合の希薄さが良く見える。
3)3つめの要素は「サプライサイドの経済学」。需要重視のケインズ主義に対し,供給重視の経済学を主張する,結果は供給者(大企業)の生産力増と大企業減税。需要に対する供給過剰から経済不況は生ずるわけだが,その不況下でさらに過剰を拡大する政策がなぜ正しいかについての説明はない。ここでも具体的な政策への支持の立場だけが主張される。いわゆる日本型ケインズ主義の弱点は需要重視にあるのではなく,需要の内容を大型公共事業に歪曲するところにあった。個人消費という需要の重視は現状打開に不可欠である。他方,アメリカにおける「サプライサイドの経済学」の実践は,「双子の赤字」の拡大というレーガノミクスの破綻をすでにまねいている。高所得者の高い税率が「やる気」をそぐとするラッファー曲線については実証がなく,それでやる気をなくしていれば経営者の地位がうしなわれるとの経営者自身による反論もある。自営業者はともかく,つねに競争の中におかれた企業経営者にとってはそのとおりである。
4)最後に竹中氏は「構造改革」路線が「決して確立された経済理論ではなく,より現実的で実利的な政策判断だった」ことを認めていく。理論的見通しに,現実的な判断が先んじているということである。そうであれば問題は,その「実利」が誰にとっての実利であるかということになる。「失業は本人が役に立たないから」「社会保障はたかり」「人頭税が理想」といった「政策判断」は,氏のいう「実利」が多くの国民の生活の対極にあることを示している。はじめに日米大企業奉仕の「政策」ありき。理論はあとからこじつけられる。これが両者の関係の実態である。そこには経済理論の過不足を問う経済学者の目線はなく,あるのはいつでも日米経済界と一体化した目線である。アメリカと国内の「海の国」による「実利」重視の「政策判断」。これが「構造改革」の内実となる。
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