第4章「『男』とは何か」を読む。男性優位社会ではあるが,男性にも割り当てられた役割があり,それが自殺・過労死の多さ,生活満足度の低さなどにも結びついている。「男らしさ」の鎧をとくべきとの指摘もあるが,個人の意識がかわっても,それだけでは「男らしさ」を強要する社会の圧力はかわらない。
「男らしさ」は母親的人物のしぐさ・行動などの模倣を「否定」しながら次第に形づくられる。その意味で「女になる」以上に「男になる」には媒介がいる。近代社会における「男らしさ」の根底には,「男は仕事」という性別役割分業の重石がある。「泣かない」「強い」「稼げる」「たくましい」「守ってくれる」などの人まとまりである。この鎧からの実態のともなう脱出には「仕事」を女性と分割しあうことへの社会の変化が必要となる。
第5章「専業主婦という存在」に入る。男女間にペイドワークとアンペイドワークの分担の非対称がある。もっぱらペイドワークを行うことが「男らしさ」の証ともされ,家事やPTAなどアンペイドワークを行うことが「女らしさ」の証ともされる。
専業主婦には多様な定義が可能だが,テキストは「自分の生活水準が夫の収入に連動する存在」とする。専業主婦の生活は夫の収入次第であり,彼女への社会的評価もまた家事労働の巧拙とは無関係に,夫の収入や学歴・社会的地位に応じて与えられていく。それが専業主婦自身にとっては自分に固有の生きがいの喪失という実感にもつながってくる。ウーマンリブの土壌となった「得体の知れない不安」(ベティ・フリーダン)である。
経済的にも精神的にも不安定なこの専業主婦が,それにもかかわらず大量化する現実があり,そこには社会的な「必然」がある。専業主婦の誕生は資本主義の形成と深く結びつき,その大衆化(一般化)は資本主義の発展と結びついている。大衆化以降の歴史については次回とする。
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