昨日投開票の沖縄県知事選,北九州・尼崎市長選について簡単に解説。米軍基地強化,大型公共事業の推進と財政赤字,住民本位の政治などがそれぞれ争点となっている。
第5章「財界の対米従属と過度の依存」に入る。日本の「独立」が話題になることの背景から。45年~52年の米軍による軍事占領が終了すると同時に,日米安保条約が発効した。旧安保条約の核心はアメリカへの基地提供の義務と,治安維持のための国内での米軍出動。その結果,占領時につくられた多くの基地がそのまま残る。60年の新安保では治安維持出動は削除されたが,他方で,日米共同作戦の義務,経済協力の義務などがつけ加わる。この基地提供の政治が沖縄県知事選にもあらわれたように今日までつづいている。
米軍による対日軍事占領は連合国の対日政策である「ポツダム宣言」の実施を目的としていた。その主たる内容は,①戦争をしない国づくり,②民主主義の主権在民の国づくり。この課題が生まれた背後には,日清戦争以後長期にわたりつづいた日本の対外膨張主義への強い批判と,その政策を遂行した天皇主権の専制政治に対する批判があった。
ただし,米軍の対日占領政策は47・8年を転期として,前半と後半に大きく分かれる。前半はポツダム宣言の実施を基本路線とし,アメリカが一定のリーダーシップを発揮しながら,平和を追求する民主的な憲法もつくられた。ただし天皇については「統治の道具」として温存するとの政策がとられ,憲法も第1章に天皇が登場する主権在民との矛盾をかかえた内容となった。
後半の政策は,日本をアメリカいいなりの軍事大国に育てようとするもの。最初の転換点は47年2月1日のスト弾圧,さらに48年には日本を「反共の砦に」「新憲法改正」をとの要請があからさまに登場する。実際上,ここでポツダム宣言が放棄され,また世界情勢を見ても連合国内部の対立(冷戦)が明らかとなっていく。
アメリカの政策転換の背後には,世界支配をめざすアメリカの野望と,アジアにおける中国の政治革新があった。当初アメリカはアジア支配の拠点として中国を位置づけていたが,49年の中国革命に向けた動きが進むなか,中国が利用できないとの見通しをもった段階で,日本をアジア支配の拠点と位置づける。それが憲法施行直後の憲法「改正」要求につながっていく。
最近のコメント