中曽根内閣から小泉内閣にいたる「構造改革」政策の変化・発展を概括する。
86年の前川レポートは、①規制緩和・市場開放と②内需拡大の2本柱。89~90年の日米構造協議は、このレポートを活用しながら、6分野240項目の対日「構造改革」要求をまとめる。
そこには、規制緩和(外資導入)とともに、10年で430兆円の公共事業推進が盛り込まれ、90年代には、両者が同時に推進される。
重点の転換が開始されるのが、橋本内閣による6大構造改革路線の提起。97年からの財政構造改革に、小渕内閣が反動を加えるが、森内閣をへて、小泉内閣がより少数者のための「構造改革」政策を鮮明にする。
テキスト80~108ページを読む。中心の内容は、小泉内閣による不良債権処理の政策。サプライサイドの経済学にもとづき、供給者(大企業)支援を意図する小泉内閣は、最大の支援策の1つに資金供給を行う銀行の不良債権処理を位置づける。
その内容は、不良債権の定義を幅広くとり、また債権額の縮小を強制することで、銀行に貸し剥がし・貸し渋りを強要し、それによって多くの中小企業を倒産に追い込み、景気を悪化させるものとなった。
これがますます日本経済外需依存を深めさせた。
不良債権があるから景気が悪化したのではなく、不良債権処理を強行したことが反対に景気を悪化させた。とられるべきは、需要者・消費者サイドの激励により、景気を回復し、それによって不良債権を縮小していく道であった。
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