映像「焼け跡から生まれた憲法草案」を途中まで見る。
45年11月5日の第1回会合から、12月28日には新聞発表された「憲法草案」を作成する、鈴木安蔵等7人による憲法研究会の活動について。
46年に「憲法草案」を作成するGHQ民生局のラウエル中佐はこれを「民主的で受け入れられる」とした。
憲法の根本原則をめぐる議論では、主権在民を当然としながらも、天皇の地位をどうするかが大きな問題となる。元首案や完全廃止案もあったが、結局、国民感情への譲歩を込めて「儀礼的代表」とまとめていく。
同じ時期の代表的政党たちの見解は、
進歩党・自由党、天皇主権
社会党、主権は国家(天皇を含む国民共同体)にあり
共産党、主権は人民に、天皇制は廃止
というものだった。
12月26日の研究会で最終確定した草案には、さらに平和主義や基本的人権が盛り込まれ、そこには鈴木の大正デモクラシー研究の影響もあらわれていた。
グループ討論の後で出てきた、意見・質問は次のよう。
「天皇制がなくなって何か困ることはあるのか?」
「戦前、投獄された政治囚というのは?」「いまも同じことが?」
「憲法研究会の成果を受け継いでいる人たちは?」
「いまは天皇制をなくそうという議論はある?」
「大日本帝国憲法は誰が決めたのか?」
次回は、同じ映像の後半から。そして、第24条にすすんでみるか。
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