テキスト第5章「地方における民主主義の展開」を読んでいく。
革命党から執政党への転換の要素の中に、はっきりと法律の上に君臨する政党から、法律の枠内で活動する政党への転換がふくまれる。
プロレタリアート・ディクタツーラの理解にかかわる問題である。
マルクスが多数者の合意にもとづくディクタツーラを追求したのに対し、レーニンは暴力に立脚し、法の上に君臨するものとしてこれを定式化する。それはスターリンにも、毛沢東にも継承された。それを、再びマルクスの理解にもどすことが、現実の要請にしたがって自覚されているということである。
山本恒人「中国の社会体制についての一考察」を読んでいく。
上からの民主化の試みにとどまらず、「08憲章」のような下からの民主化要求・運動が生まれてくる。その根底には、人民が生活する社会内部の矛盾がある。
毛沢東体制は、戦時の国民統制を色濃く引き継いだ「単位制度」によって人民を管理し、生活の基礎を据えたものであり、文化大革命は「単位」同士の利害対立と政治家たちの権力闘争が結びつくことで、社会全体を深くまきこむ内乱となりえた。
改革開放により「単位制度」が崩れる中で、人民の生活を支える新しい制度が必要となっており、それは市民社会の形成ともあいまって、個人の権利意識の高まりに対応したものでなければならず、さらに市場経済の活用という経済政策にも対応したものでなければならない。
この社会矛盾に根をもつ民主化の要求と運動の必然を、共産党内部からの民主化推進努力とあわせて見ておかねばならない。
上からの民主化努力が立ち遅れてしまったとき、下からの民主化要求は次第に現在の政権自体をより強く自らの障害として受け止めざるを得なくなっていく。
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