映像『未決・沖縄戦』の前半部分(「虐殺・レイプ」の項まで)を見る。
沖縄戦は、44年10月10日の空襲によって開始される。
45年4月には地上戦が開始されるが、中南部の主力部隊の戦闘準備のために、伊江島をふくむ北部地域で国頭支隊が闘っていく。
沖縄の兵士・住民全体が「本土決戦」のための捨て石だが、国頭支隊と周辺住民は、さらに沖縄戦内部での捨て石である。
本島唯一のハンセン病者収容所・愛楽園にも攻撃があり、また濠堀りなどに患者たちも駆り出される。
八重岳など各地に野戦病院がつくられていく。看護教育を受けた女学生たちが病院にはたらき、朝鮮人「慰安婦」が野戦病院で看護助手的役割を与えられていたという証言もある。
米兵によるレイプ。日本兵による住民虐殺もある。
グループでの討議の後、出てきた質問は以下のよう。
「捨て石作戦とはどういう意味は」「ハンセン病と戦争の関係は」
「慰安婦が野戦病院ではたらいていたというの?」
「なぜ北海道でなく沖縄?」「捨て石は自覚されていた?」
「慰安婦は逃げた?」「米軍のビラの内容は?」
「沖縄の子どもたちへの教育は」「沖縄地上戦全体の動きは?」
次回は、後半部分(「収容所のこと」から)を見ていく。
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