3・国際刑事裁判所と「法の支配」
03年、オランダ・ハーグに国際刑事裁判所(ICC)誕生、常設の戦犯法定
98年ローマ外交会議でICC規程(ローマ規程)を採択、02年発効
ハビエル・ソラナ「沈黙が支配した世界に復讐ではなく、正義を実現させようとするもの」、ユーゴ紛争を念頭に
ICCの特徴、①集団虐殺、戦争犯罪、人道への罪、侵略の罪で独自の捜査権、②裁判地域は無限定、歴史上はじめて個人を裁きの対象に(最初にウガンダの「神の抵抗軍」へ)
ブッシュ政権の反発、国連平和維持活動への参加でも免責を求める
EUによるICC支援の活動、①アメリカの圧力下にある国にICC規程(ローマ規程)への署名を説得する、②ICCの活動支援と協力を盛り込んだ「ICC条項」を各国との条約に盛り込む
アブグレイブ刑務所でのアメリカによる虐待
アメリカの政策にも一定の変化
〔補足〕ユーゴ戦犯法定と戦時性暴力一掃の取り組み、「慰安婦」問題への現代的注目
〔補足〕EU諸国とACP諸国との関係、脱植民地化の到達点
2010年6月14日「朝日新聞」「侵略の罪、国際刑事裁判対象に 非加盟の米中など適用外」
【ブリュッセル=井田香奈子】「国際刑事裁判所(ICC、オランダ・ハーグ)の加盟国は、『侵略の罪』をICCが所管する犯罪に含めることに決めた」。12日、合意。
「これまで所管していたのはジェノサイド、人道に対する罪、戦争犯罪」「侵略の罪に関してはオブザーバーの米国などが反対し、推進派のドイツやベルギーと」意見が対立。
「今回の合意では、侵略の罪にあたるかどうかの判断権限は一義的には国連安全保障理事会が持つとする一方、ICCにも独立した捜査権を認めることに」。
「米国、中国、ロシアなどの非加盟国は捜査対象にならないことから、日本などは批判している。改正条約の発効は2017年以降になる見通し」。
〔補足〕「戦争の違法化」への動き
1、19世紀の戦争と国際法が語るもの
19世紀は植民地支配と戦争が自由に行われた時代、戦争が悪であるという考えは存在せず、大国が勢力を広げる当然の手段として行われていた
戦争に関する国際法はあったが、開戦時には宣戦布告をしなくてはならない、民間人を殺すことの禁止、残虐兵器の使用禁止など、戦争をどう行うかのルールに関するものにとどまり、戦争の自由が前提
〔補足〕フランス革命の「輸出」としてのナポレオン戦争、「文明の輸出」としての植民地拡大
2、国際連盟から国際連合へ
第一次世界大戦後に流れが変化、戦争中にロシア革命を起こしソ連の指導者となったレーニンは戦争をやめるとともに、当時は当たり前だった秘密外交をもやめ、戦後の外交のあり方を変えた
国際連盟(1920年)は初めて戦争を違法と規定、ロカルノ条約(1925年)やパリ不戦条約(1928年)など戦争をやめようという流れが
国際連盟は手続き面での戦争禁止にとどまり、イタリア・日本・ドイツなどの侵略を止めることができず、第二次世界大戦へ(1939年)
第二次大戦中に戦後の平和を考えた大西洋憲章(1941年)、武力の行使、武力による威嚇も禁止、この精神が国連憲章となり、国際連合が
〔補足〕武器の機械化による戦争の総力戦化、犠牲者の劇的拡大
3、国連憲章の定着と発展
第二次世界大戦後も、実態ではこの憲章と大きく食い違い次々と軍事同盟が、アメリカなどが侵略を繰り返す、しかしベトナム戦争が起きるとアメリカは国際的に批判をうけ、国際憲章を守れという声が世界中の人々から、次第に国連憲章は定着していった
4、アジア情勢と日本の外交・憲法
アジアでは戦後多くの国が独立、平和・中立の外交を目指し、ASEANが非同盟・中立を宣言、さらに東南アジア友好協力条約(アメリカ加盟、EUも加盟表明)を、アジアと世界の平和の流れをリード
平和への流れのなか、日米安保に固執し自衛隊を拡大する日本の姿勢は、日本には憲法9条という先進的な条文があるが、十分生かされていない、憲法を生かした外交こそ必要
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