映像「私は男女平等を憲法に書いた」を見る。
ベアテ・シロタ・ゴードンの来日旅行記と、
日本国憲法の人権条項を書いていく
戦前・戦後のベアテの活躍を描いたもの。
最後に、「両性の本質的平等」が
初めて社会の目標となってわずか65年の歴史、
男女平等を実態化する取り組みの意義について補足。
〔以下、映像の内容についてのメモ〕
憲法14条・24条が日本の女性を人間にしてくれた
ベアテ・シロタ・ゴードン
焼け跡の東京、GHQ本部がおかれた第一生命ビル、マッカーサーの映像
民生局次長・ケージスとともにビルを訪れる、47年ぶり
日本国憲法草案を書いた唯一の女性
日本の民主化、極東委員会、オーストラリア・ニュージーランドは天皇を裁判にと
松本委員会甲案・乙案、帝国憲法が下書き、人権の文字なく
46年2月1日、毎日新聞スクープ、マッカーサーの転換・憲法モデルを自分たちで
民生局長・ホイットニーの招集2月4日、最初の憲法草案制定委員会、マッカーサーノートの配布、①天皇元首、②戦争放棄、③封建制廃止
ユダヤ系ロシア人の両親、ウィーン生まれ、5才で日本に、東京音楽学校教員
15才、39年にアメリカ留学、ミルズ・カレッジを出てタイムズに
46年2月4日、タイムズの経験からすぐに図書館へ、いろんな国の憲法を、その夜から草案執筆
家庭・婚姻についてはワイマール憲法119条を基礎にして
2月6日、天皇小委員会草案完成、人権委員会は「明日中に」と
日本政府がつくったことにするために旧憲法の形式にのっとって
フランス人権宣言、ソ連憲法、合衆国憲法なども参考に、人類の新しい到達点として
米が不作で娘が売られるという現実、旧民法14条・女性は準禁治産者、183条・女性の姦通罪、松本案(乙案)の国民の義務には女性・家庭は登場しない
フィンランド憲法から、養子を得るには夫婦双方の合意が必要だと
戦争中、両親は軽井沢に隔離されていた
2月7日、人権委員会草案が形に、41条の長文、実際上の拷問禁止も
GHQ草案としてまとめる過程で多くが削除された
2月13日、日本政府に渡される、人権条項は30条、吉田外相・松本国務省はショックを
ベアテは公職追放の仕事にもどっていた
3月4日、草案の日本語訳を確認する作業、日本側は女性の権利について大騒ぎ
3月6日、改正要綱は日本政府が作成したものとして新聞発表(トップシークレット)
4月10日、女性初の投票、39人の女性議員当選
衆議院・貴族院の議論をへて、92条の草案は103条に
25条(生存権)はここで追加された
46年11月3日、日本国憲法公布、国会の傍聴席には民生局メンバーが
わずか22才の女性が書いたことで余計な議論をよぶことをおそれてきた
日本国憲法はモデルのような良くできた憲法
男女平等は当たり前のことに
最近のコメント