〔フランス植民地帝国の崩壊・後半〕
63年EECと旧フランス植民地18ヶ国との相互特恵待遇を決めたヤウンデ協定
73年イギリス,デンマーク,アイルランドがECに加盟、75年旧イギリス植民地をふくむアフリカ・カリブ・太平洋(ACP)諸国71ヶ国とECの援助・協力のロメ協定、同協定は93年11月のマーストリヒト条約をへてEUに継承
EUは対外援助の理念に,相手国における人権・自由・法の支配の擁護,世界経済への組み入れ,環境の尊重などをかかげ,さらに2000年6月にはACP諸国等77ヶ国・地域とのあいだにコトヌ協定を
コトヌ協定は,紛争防止や貧困撲滅を目標に,EU側が7年間で225億ユーロを供与することを含んでいる
フランスはコートジボワール,ガボン,セネガル,チャド,ジブチに計6000人以上,さらに仏領ギニア,西インド諸島,インド洋,太平洋のソシエテ諸島,ニューカレドニアなどにもそれぞれ200人以内の小規模部隊を駐留
これらの経済協力・軍事協力の評価については,個別の具体的な検討が必要
ただし「フランス植民地帝国」が崩壊に追い込まれた後の関係として,その大局的な歴史変化の上にとらえる必要がある
岡倉登志『アフリカの歴史――侵略と抵抗の軌跡』(明石書店,2001年)
60年の「アフリカの年」により,「黒アフリカ諸国の多くが帝国主義者の言いなりになり,自己の発言権を持たない時代は,一般的に終了した」(214頁)
かつて「自由フランス」が拠点としたコンゴでの傀儡政権との闘いを「新植民地主義打倒の革命」(63年8月)とする等(223頁,225~227頁),独立以後のアフリカ諸国の歴史を「新植民地主義」との闘いという視角から
〔フランスと旧植民地〕
17世紀初頭カナダ入植、イギリスに次ぐ植民地帝国に、「われらが祖先ガリア人は」という同化政策、フランス連合(46年)、共同体(58年)、14ケ国独立アフリカの年(60年)、アルジェリア独立(62年)で植民地帝国は崩壊
「帰還者支援法」(05年)、アルジェリア支配を肯定する第4条、削除
旧植民地との「フランサフリック」といわれる関係
※フランス(France)とアフリカ(Afrique)の合成、「金まみれのフラン ス(France à fric)」という掛詞(「fric」は俗語でお金の意)、両者の間に資金のやり取りを通じた癒着があるという揶揄
フランス語圏諸国サミット(90年)で、ミッテランは二国間援助の基準に人権を重視すると、サルコジも07年大統領選でフランサフリックとの決別を
軍事協定の見直しが課題、チャドに1350人、ジブチに3000人の兵士
旧植民地重視の政策の転換のはじまり、二国間援助の対象国(優先連帯地域ZSP55ケ国)には旧フランス領でない国も
イランの核脅威に備えるとしてはUAEに基地、旧植民地以外での初めての基地
〔海外県〕
4つの海外県、ギアナ、グアドループ、マルティニーク、レユニオン
3つの「脱-植民地」プロジェクト、①ニューカレドニア、漸進的に独立へ、②ポリネシアなど自治領の充実、③海外県は行政サービスの充実、模索つづく「脱-植民地」のフランスモデル
1685年-1848年植民地への奴隷制、1946年4旧領は「県」に、プランテーション型農業にかわる代替産業は生まれず、60-70年代に独立派勢力登場
パリ周辺に集まった海外県出身者コミュニティ(5つ目の海外県とも)
2001年奴隷貿易と奴隷制を人道に対する罪とする法律、5月10日奴隷制廃止記念日(06年)、5月23日奴隷制犠牲者追悼の日(08年)に制定
〔移民〕
出自がフランスでない人口1500万人(総人口6200万人)、2世・3世はフランス人とされ、移民比率は8・2%
ポルトガル人、アルジェリア人、モロッコ人、トルコ人、イタリア人、チュニジア人などの順
移民が集中して住む地域があり、ブルーカラーが多く、失業率が高い
「同化」「編入」「統合」をめぐる政策のゆれ、サルコジの「同化」志向
最近のコメント