「少子化論文」の作成という目的に沿う限りでの,鬼頭宏『人口から読む日本の歴史』講談社学術文庫,2000年)を読んでのアイデア・メモ。
1)「日本列島では過去1万年間に,文明システムが4度交替してきた」という(253ページ)。本書には日本の歴史における大局的な人口変動の事実認識(実証研究の成果)と,その変動の波を「文明システム」の交代よって特徴づける理論仮説の両方がある。いずれも大いに学び,検討すべき論点といえる。
2)著者はこれまでの4つの文明システムを「縄文システム」(狩猟漁労採集),「水稲農耕化システム」(直接農産消費,弥生時代以降),「経済社会化システム」(間接農産消費,市場経済化,14・5世紀開始),「工業化システム」(工業化社会,19世紀開始)と整理し,現代日本の少子化を「工業化システム」の「成熟化」段階における現象ととらえている(18,254,257ページ)。
3)他方で,視野を世界に向けるなら,先進国の少子化傾向と途上国での「人口爆発」が併存している。著者はこれを両者のシステム転換におけるタイムラグから統一的に説明する。途上国は現在,多産多死から少産少死への過渡である多産少死の時期にあり,それは20世紀の先進国においても死亡率低の先行,つづく出生率低下という形で起こったことだというのである(260ページ)。
4)ただし著者は「工業文明システム」の限界を乗り越える次のシステムが,これまでと同様,新しい人口増加を自動的にもたらすと結論するわけではない。あまりに急速な人口増(1900年16億人,1950年25億人,1999年60億人)と水・食料・エネルギー資源の枯渇,さらには地球環境破壊(263ページ)が,人口増の抑制から「静止人口の実現」(273ページ)を求めており,日本もいわば歴史の先端においてその現実化の課題に直面しているとする(272ページ)。そして21世紀前半はそれらの課題を達するに「適合的なシステムを模索する時期」になるともいう(22,275ページ)。
5)忘れてしまわないために記しておけば,本書には,江戸時代の人口制限が生活水準維持のために富裕階層でも行なわれることがあり,間引き・堕胎をいつでも貧困に直結させることはできない(214ページ),関連して江戸時代の史実による「マルサスの罠」(成長の停滞により出現した過剰人口の淘汰)への批判(109ページ),16・17世紀の世帯規模の縮小(隷属農民・傍系親族の自立化)による「皆婚社会」の形成(91,119ページ),親子二代同居の直系家族制度は小農経営に対応した江戸時代の産物(274ページ)等々,興味深い論点がいくつも含まれている。
6)話をもどせば,著者は「文明システム」論を梅棹忠夫『文明学の構築』(中央公論社)に学んだものだとする。「道具,機械,構築物,慣習,法,市場,宗教など形あるものもないものも含めて,人間はさまざまなモノを通じて自然に働きかけて生活している。これら人間が生み出したさまざまなモノを『装置群』,人間と装置群の織りなす関係の全体(人間-装置系)を『文明システム(文明系)』と呼ぶ」(247ページ)。
またこの概念を用いることにかかわり,著者は「今までの日本人口史」の多くが「政治的時代区分に従って叙述」され「ともすると人口を政治経済の従属変数か,せいぜい独立変数としてとらえることになってしまう」弱点をもった,そこでこれを批判する意味で「人口の動態に即して時代区分を設定」したともいう(15ページ)。これは社会理論を考える視角の問題としてきわめて重要に思える。
7)梅棹氏の概念それ自体については厳密な検討が可能だろうが,その問題意識は,本来「家族」(したがって男女関係や親子関係)をふくんで展開されたマルクスの「生産様式」論に重なるところがあるように思う(マルクス主義者は社会理論における「家族」の位置付けにさほど積極的ではないようだが)。
直感的には,これはむしろ「生産様式」論の豊富化に向け,大いに検討されて良いように見える。また4つの波をもつ人口変動の大局については,生産様式の歴史的交代として描かれる「社会発展史」論にも,積極的に取り込む努力がなされるべきものではないか。マルクス主義者の概念論議には,既存の概念を「守る」ことに主眼がおかれる場合が少なくないが,肝心なことは「守る」ことではなく現実を「探究する」ことであり,何が「守る」に値するかは,その「探究」の結果として事後的に明らかになることである。
8)「資本主義の人口法則」論をテーマとする当面の論文に直結するのは,主としてここでの「工業化システム」の内容だが,本書はそれを「資本の論理と人口」あるいは「資本蓄積の論理と人口動態」などと,両者関係の内的メカニズムを具体的に語るものではない。それは本書の成果に学びながら,こちらが積極的に引き受けていくべき仕事であろう。
本書が語る史実や「文明システム」の交代という著者の理論的な枠組みを念頭しながら,それを日本の資本主義経済の具体的な歴史に照らし,他方でそれを『資本論』が語る「人口論」に照らす作業が必要だろうか。なお本書は現代日本の少子化があまりに「短期間」に行なわれる見通しであることから,「混乱,困難が大きい」ことを認めているが,困難の具体的な内容に踏み込んでいるわけではない。そこは新たな「システム」を模索する具体的な議論に発展させられるべきものと思える。
9)とりあえずは,①歴史人口学による人口史研究に学ぶ,②資本主義(その発生を含む)における人口史研究の成果を日本経済史に照らし合わせる作業を行なう,③関連するマルクスの「人口論」を整理し検討する(社会と家族とのかかわりもできれば念頭して)といった仕事が必要か。可能であれば,その上で,④今日の「少子化」をめぐる各種議論の整理となるのだろうか。
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