アメリカ下院の「慰安婦」決議案を採択させる上で、大きな役割を果たしたといわれる徐玉子氏へのインタビュー。
「慰安婦」問題は国際的な人権問題、国民・議員への説得、有権者署名、70もの大学での慰安婦関連セミナーなど、知恵のある、大きく粘り強い取り組みだったことがわかる。
慰安婦:徐玉子教授「日本のロビーは強力だった」(朝鮮日報、8月13日)
米下院が旧日本軍の「性の奴隷」(慰安婦)決議案を満場一致で採択した先月30日、ワシントン・バイブル・カレッジの徐玉子(ソ・オクジャ)教授は感激の涙が止まらなかった。
「万感の思いがよぎったのです。マメだらけになった足を塩水に浸しながら米国人たちに支持を呼びかけ署名を集めたり、各議員のもとを訪れたりして、泣きながら訴えた記憶がよみがえりました。何よりもナヌムの家(元慰安婦の共同生活施設)の皆さんが喜ぶと思うと、涙があふれてきました。
ワシントン慰安婦問題連合(WCCW)の委員長も務める徐教授は、ニューヨーク韓人有権者センターのキム・ドンソク所長らとともに「慰安婦」決議案が米議会で採択されるのに決定的な役割を果たしてきた。2001年から委員長を務め、在米韓国系社会の力を示した徐教授が先週、ソウル入りした。12日には京畿道退村にある「ナヌムの家」を訪れ、「慰安婦決議案の発議から採択まで」をテーマに講演を行った後、元慰安婦の女性たちと共に「アリラン」を歌い、採択を祝った。
徐教授は「2月15日に米下院外交委員会のアジア太平洋環境小委員会で開かれた慰安婦聴聞会は永遠に忘れられないだろう」と語った。「聴聞会の前に、控室で決議案を主導したマイク・ホンダ議員やエニ・ファレオマバエガ議員に会ったのですが、雄弁で勇気もある元慰安婦の李容洙(イ・ヨンス)さんが手でハートのマークを作ると、“大好きだよ~ありがとう~”とおっしゃったので、大笑いしました。李さんは聴聞会でも発言時間の5分をオーバーし1時間以上も歴史の真実を語った後、またハートのサインを送ったので、涙を流していた傍聴席は一転爆笑に包まれ、なかなか元の気持ちに戻れませんでした」
レイン・エバンス前民主党議員らは米議会に2度も「慰安婦」決議案を提出したが、昨年12月に2度目の棄却が決まったときは暗たんとしていた。「パーキンソン病を患っていたエバンス議員でさえ、政界を引退していたので、これで決議案は永久に忘れ去られてしまうのでは…と考えたそうです。日本のロビイストたちの攻勢も強力なものでした」
それでもあきらめなかった。エバンス前議員の「決議案のともしび」を受け継ぐことを宣言したマイク・ホンダ議員が今年の1月、再び「慰安婦」決議案を議会に提出したのを機に、徐教授とWCCWはニューヨーク・チーム、ワシントン・チーム、ロサンゼルス・チームで分かれ米国民や議員に集中的に説得した。
「議員たちは各選挙区の有権者を一番おそれていますから。米国人10万人の署名を集めるため、口の中が荒れてしまうほどでした(笑)」
「慰安婦問題は韓日両国ではなく、国際的な人権問題」という認識を植え付けるため努力し始めたのもこのときからだ。2月の聴聞会で韓国の元慰安婦だけでなく、オランダのヤン・ルフ・オヘルネさんを出席させたのもそのため。結局、6月26日に「39対2」という圧倒的な票差で「慰安婦」決議案は外交委員会で採択され、7月30日に満場一致で本会議でも採択された。もちろんこれが終りではない。「日本政府が公式に謝罪するまで戦わなければ。米国内の70大学を回り、慰安婦問題関連セミナーを開いてきましたが、これも続けていくつもりです。若い世代も歴史の真実を知るべきです」
感謝したい人は大勢いるが、徐教授にとっては米議会で慰安婦問題を初めて議題化したエバンス前議員こそ、その人だ。2000年に慰安婦問題で初めて出会った2人は長年の友人であり、今は恋人同士だ。
金潤徳(キム・ユンドク)記者 朝鮮日報/朝鮮日報JNS
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