大統領選挙への3度目の挑戦で、中道左派・国民希望党のアルバル・コロン氏が当選した。
対立候補は、右派・愛国党のオットー・ペレス氏。
右派は、内戦後3度めの大統領選挙で初めての敗北だという。
コロン氏は、すでにIMFが強制した「構造調整」政策の転換を語り、中南米に広がる離米・自立の動きへの強い共鳴を示している。
アメリカの裏庭の改革である。
グアテマラ大統領選 中道左派が勝利 中南米に広がる変革(しんぶん赤旗、11月6日)
【メキシコ市=松島良尚】中米グアテマラの大統領選決選投票が四日実施され、元実業家で中道左派・国民希望党党首のアルバロ・コロン氏(56)が当選を確実にしました。親米の牙城だった中南米で自主的で民主的な国づくりをめざす変革の波はいっそう広がります。就任は一月十四日、任期は四年です。
選挙最高裁の中間集計(開票率96%)によれば、コロン氏の得票率は52・7%、退役将軍で右派の愛国党党首、オットー・ペレス氏(56)は47・3%です。
コロン氏は選挙結果の大勢が判明後、「グアテマラは新しいページを切り開いた」と述べました。また、強権的な治安対策を主張した右派候補に勝利したことに関連して、一九九六年まで三十六年続いた内戦という「悲劇の歴史を繰り返さないという結果だ」と強調しました。
コロン氏は選挙戦で、「現在とは構造的に異なる国家プロジェクト」を推進するとし、市場原理最優先、弱肉強食路線の新自由主義と一線を画しました。また、「グアテマラの社会民主主義、先住民の顔を持つ社会民主主義」を掲げ、貧困対策や地域振興などを押し出しました。
右派は内戦後三度目にあたる今回の大統領選で、初めて敗北しました。
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グアテマラ共和国 面積約十一万平方キロ、人口千二百七十万人の共和国。首都グアテマラ市。一八三八年にメキシコから独立。一九五〇年代から反政府勢力がゲリラ戦を展開し、政府軍との間で内戦が続きました。二〇〇三年の大統領選では、右派国民大連合のオスカル・ベルシェ氏が当選。
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新自由主義と一線
解説
グアテマラ大統領選決選投票でのアルバロ・コロン国民希望党党首の当選は、昨年の大統領選で勝利したニカラグアのオルテガ左派政権に続き、南米の変革の波が中米にも確実に広がっていることを示しました。コロン氏は投票日前のインタビューで、「グアテマラも民主主義と変革の風にのって自分たち独自のモデルをつくりたい」と語っています。
選挙戦では治安対策に焦点が当たりましたが、貧困などの社会問題を改善してこそ治安も良くなるというコロン氏の主張は、人口の半数以上を貧困層が占める同国の現状を見据えたものでした。貧困層の支持は同氏に集中したといわれます。
グアテマラでは一九九〇年代後半から、国際通貨基金(IMF)などによる構造調整政策で民営化や貿易自由化が進みました。米国とはすでに自由貿易協定を締結しています。農家や中小企業は、米国からの輸入がいっそう増大することに不安を抱いています。
新自由主義という言葉が選挙戦で飛び交ったわけではありません。しかしコロン氏は、新自由主義に批判的な立場を示し、南米の変革に強く共感しています。
外国メディアとの投票日前のインタビューでは、「中南米が選択した道にすごく興奮している。最近の歴史で初めて、各国がそれぞれのモデル、それぞれの政治的アイデンティティーを明確にすることが可能になった」と述べています。
コロン氏はまた、「かつて中南米には各国をすべて同じように扱う外部で作成された処方せんがあったが、今は状況が異なる」と指摘。IMFが各国に一様に押し付けた構造調整政策を批判しています。(メキシコ市=松島良尚)
中道左派のコロン氏が当選 グアテマラ大統領選(中日新聞、11月5日)
【グアテマラ市4日共同】中米グアテマラで4日に実施された大統領選決選投票は、選挙最高裁(中央選管)の同日夜までの中間集計(約95%)で、9月の第1回投票を首位で通過した国民希望党(中道左派)のアルバロ・コロン氏の得票率が52・67%となり、愛国党(右派)のオットー・ペレスモリナ氏の47・33%を上回って当選を確実にした。
3度目の挑戦となる実業家コロン氏は、先住民を中心とした地方振興など弱者に優しい社会民主主義的な政策を掲げ、人口の半数以上を占めるとされる貧困層などから支持を得た。
元軍人のペレスモリナ氏は、凶悪犯罪抑止に軍の活用を提言するなど犯罪者への「厳格な姿勢」を強調。しかし、同国は1996年まで約36年間に及ぶ内戦で、市民20万人以上の死者・行方不明者を出した過去があり、ペレスモリナ氏の姿勢に警戒感を抱いた有権者が多かったとみられる。
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