6月19日(日)は、7時半起床の朝であった。
パソコンをポチポチするうちに、
集合時間をすぎてしまい、
学生たちに、ドアをノックされる。
8時半すぎには、ホテルの外へ。
地下鉄「飯田橋」から「九段下」へ。
通常の10時開館を、
早めに開けさせてしまった(すみません)
「しょうけい館」に荷物をおかせていただき、
靖国ガイドをお願いした
東海林さんとお会いする。
九段会館横の「愛国婦人会発祥の地碑」
からのスタートである。
こちらが九段会館の入り口。
地震の被害で、いまは中に入ることができない。
かつての「軍人会館」の名称が、
駐車場横の弥生の「貝塚碑」に刻まれている。
靖国神社の境内にサクサク移動。
こちらが、戦後「別格官幣」の文字を切られた社号標。
日清戦争の「戦利品」である石獅子前で。
靖国の公式ガイドブックは「譲り受け」と書いている。
そして、みんなで石獅子の「肛門」さがし。
ホントに小さいものがあるのである。
「士族の反乱」(西南戦争)を鎮圧した後、
「華族」から送られた灯籠の列。
日曜日なので骨董市が開かれている。
錆びたヘルメットなど、戦争にかかわる品もチラホラと。
大村益次郎像の前で。
左手には、上野のたたかいをながめるための双眼鏡が。
みんなは、東海林さんの質問にこたえたり、
神妙な顔でメモをとったり。
参拝者が減っているためか、
おみやげ屋さんの品にも、いままでの勢いが見当たらない。
菅首相にひっかけた品はなく、
他方で「進ちゃん」(小泉ジュニア)ものが目についた。
「右翼」の街宣カーがゾロゾロ集まり、
集団での参拝が行われていた。
40人ほどの人数だったか。
こちらは「下乗」の高札である。
「下乗」の場所も、庶民と「そうでない人」とに格差がある。
神門をくぐり、「第一徴兵保険」からの寄贈を示す
跡をみんなでさがしていく。
こちらが拝殿。
この鳥居前で、庶民以外も「下乗」となる。
世界の犠牲者をまつった「とても立派な」鎮霊社。
グルリと靖国会館(旧国防館)前にまわっていく。
招魂斎庭前の駐車場で、
見せていただいた「虎」の形の千人針。
「死線」(4銭)をこえる5銭が、目玉にされている。
こちらは「力」を集めた「千人力」の日の丸。
こういう品を骨董市で買うときには、
「あまり欲しそうな顔をしない」のが秘訣とのこと。
12時には、遊就館に入っていく。
ゼロ戦前で記念写真。
こちらは多くの捕虜と「労務者」
を犠牲につくられたタイメン鉄道の開通式に走った機関車。
レストランで昼食休憩をとっていくが、
すでに学生たちはへばっている。
この5年ほど(?)、毎年この日に食べる「海軍カレー」。
1時には、2階の展示の見学に入っていく。
「遊就館」の「遊就」は、よい師について学ぶといった意味合いだが、
その師は、皇族と軍人に限られている。
天皇中心史となっている日本史コーナーから、
明治以後の戦争評価の特徴と問題点をながめていく。
館内は展示の撮影ができないが、
現在の特設展は「スポーツと靖国神社」。
中で、関東学院大学の林先生にごあいさつ。
初対面だが、やはりゼミ生といっしょとのことだった。
3時前には、靖国神社をあとにする。
朝はなかった観光バスがズラリとならぶ。
駐車料金は、1時間1200円であるらしい。
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