以下は、知人の被災地ボランティア・レポートです。
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広がる“復興格差”
~陸前高田市 ニーズ聞き取り訪問~
2012年5月2日~6日
5月2日~6日、岩手県陸前高田市沿岸部でのボランティア活動に参加しました。被災された方々の自宅を一軒一軒訪問し、被災後の生活の状況や困りごとなどの聞き取りと各種支援制度のお知らせなどを行いました。
震災から1年以上が経過した今、被災地の状況やニーズはますます見えにくくなってきています。私自身も昨年東北を訪れて以来、その後の様子が気になっていたことと、徐々に自分の被災地への意識が薄れていくことに不安を感じたため、再びボランティアに参加しました。
やはり、実際に現地で活動するなかではじめて見えてくる実態も多く、一括りに“被災地”“被災者”といっても、その地域や一人ひとりの置かれている状況・ニーズは様々で、“復興格差”が広がっていることを強く感じました。
◆街の様子の変化
震災後、視覚的に見える街の様子の変化としては、昨年春頃はとにかく膨大な量の瓦礫や家財道具の山が一面に広がっていました。
夏頃には、それらの瓦礫や家財道具は一定撤去され、家の基礎部分がむき出しになったところに雑草が生い茂り、以前そこに何が建っていたのかも分からない光景が広がっていました。
そして今回訪れて印象的だったのは、仮設店舗が増えていることでした。コンビニ、郵便局、診療所、商店街、大型トレーラーを利用したお弁当屋さんなども見られました。
しかし、沿岸部などは依然数百・数キロメートルにわたり更地が広がっている状態のままでした。(いずれも気仙沼・陸前高田周辺)
◆見落とされがちなニーズ
自宅や家族が無事だった方々は、“自分たちは被災者だ”という認識はあまり持っておられないという印象を受けました。というよりも正確には、それらを失った人たちに比べれば、自分たちはまだマシだったのだから、泣き事なんて言ってられないという心境だったのかもしれません。
お宅を訪ねると「自分たちは大丈夫だから、他のお宅に行ってあげて。」と話される方が多かったように思います。
しかし、自宅や家族が無事であるからといって、生活に何も被害がないはずはありません。自宅のすぐ目の前まで津波が襲ってきて、轟音と共にあらゆるものがさらわれていく光景を見て精神的ショックがないわけではないでしょう。
また、漁業が盛んな地域での港の壊滅は、地域全体の経済、雇用、生活あらゆる側面に支障をきたしているはずです。さらに、そこで馴染みのあったコミュニティそのものが崩壊し、交通手段などのインフラから近隣住民など人ととのつながりまで、失っているものは計り知れないでしょう。
最初は「自分のところは大丈夫。」とおっしゃっていた方も、よくよく話を伺うと「実は家のお風呂の床が・・・」「娘の仕事が・・・」と、次から次へといろんな問題が浮かび上がってきました。
◆支援制度の問題
また、支援制度にも問題が山積しているようでした。あるご夫婦は、子どもと3人で暮らしていましたが、家は流され、近所に住む高齢の両親の借家に“みなし仮設”として5人で住んでいるとのことでした。
その借家は、1階が浸水しましたが、大家さんの住民票が他府県にあることを理由に、その家への修繕補助はなされず、その費用は住人の全額実費になるといいます。
さらに、そのような“みなし仮設”は、密集している仮設住宅よりも情報や支援が手薄になりがちであることから、ご夫婦は「こんなことなら誰か一人だけでも仮設住宅に入れておけばよかった。」とおっしゃっていました。
私の想像にすぎませんが、きっと、高齢の両親にできるだけ慣れ親しんだ自宅で生活してもらいたい、こんな時だからこそ家族離れ離れになるより共に支えあって生活していきたいと、あらゆる思いや考えを巡らせた末に、家族でそろって自宅で生活することを選択されたのだと思います。
それだけに、「仮設住宅に住んでいれば・・・」という声が挙がるのは、やはり被災後の支援体制に問題があることを感じざるを得ませんでした。
また、別の男性は現在仮設住宅に家族3人で住んでおり、退職後営んでおられる商店2店舗の修繕費が少ないことにより営業再開ができず、生活の見通しが立たないとのことでした。
すでに退職されていることから新たな借り入れは見込めず、家のローンもまだ残っているなか、家の修理も行わなければ再び住むことができません。
しかし、その修理も津波による被害には補助が出ますが、地震によるひび割れ等の被害には補助は出ないとのことで、「何を基準に支援をしてるのか。松(高田松原の一本松)の保護より住民の生活支援を優先してもらいたい。実際に足を運んで住民の生活を見に来てほしい。」と、現在の支援のあり方に強い怒りと半分呆れた感情を抱いておられるようでした。ボランティアにできることには限界があり、今は何よりも行政支援の必要性を感じました。
◆あらゆるニーズ
他にも「未だに防災無線の修理をしてもらえず、情報が少なくて恐い」、「街灯・カーブミラーがないため、交通事故のリスクが高まっている(訪問日にも事故が発生)」、「インフラや交通手段の損失により買物に行けない(いわゆる“買い物難民”の増加→生活の質の低下)」、「子どもの通学路や安全に遊べる場所を確保してほしい(沿岸部では訪問中に空き地で釘の踏み抜き事故あり。ガラスの破片も土に埋もれている。)」など、復旧の遅れが住民の方々の生活に二次・三次的に繰り返し影響を及ぼしている実態も見えてきました。
◆被災者同士の関係性
被災された方々同士で協力し助け合っているという話もあります。一方で、同じ被災者ではあるけれども、個々の置かれる状況やニーズは異なることから、「被害が大きい人は多額の支援金をもらえるからいい」などと衝突することもあるため、被災者同士で話をすることが返って分かり合えず辛い思いを招くという話もありました。
◆復興の現状と課題
被災された方々のお話を伺うなかで、その人らしい生活や尊厳ある人間としての復興の質やそのスピードには、あらゆる要因が影響していることが見えてきました。例えば被災前の生活状況、すでに退職をして年金を受け取れる状況にある人と現役漁業従事者とでは被災後の収入の見込みは全く異なります。
また被災状況においても、自宅が半壊か全壊か、それが津波被害か地震被害か、家族や支えとなる人々の安否、職場への影響など被災状況だけをとっても様々です。
さらに、被災後の情報や支援においても、被害の大きい沿岸部のみなし仮設住宅と自治体が用意した集団仮設住宅に住んでいるのとでは、それらの提供に大幅な偏りが生じます。
また、あらゆる出来事を受け入れる住民自身の心の在り様も様々です。そうして、日を追うごとに個々の“復興格差”は広がりを増してきているようでした。そのような現状に対応していくには、一人ひとりの声を真に聴きとる体制と、それに見合った柔軟な個別的支援が重要だと感じました。
◆仲間の成長と今後
最後にもう1つ、これはボランティアの目的ではなく、ボランティア活動を通して結果的に得られたものです。
一緒に活動した仲間が、被災された方々の声を聴き、そこに思いを寄せるなかで悩んだり苦しんだり、仲間同士で助け合いながら人間的に成長していく姿に私も共感・感動しました。
直接現地を訪れ少しでもそこで暮らす人たちの生活を肌身で感じ、気持ちを共にすることの大切さと、一人ひとりが持っている力の可能性を改めて感じました。
これからも、共に活動した仲間をはじめとする多くの人たちとのつながりを大切にし、被災された方々の“真の復興”のために自分たちができることを考え、行動していきたいと思います。
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