9月5日(木)は、5時半起床の朝であった。
目が覚めたものは、仕方がない。
ネット情報の人となっていく。
今朝の「データで見る震災・原発事故」のテーマは
「自治体別の地元再開事業の割合」。
9時前には8Fの会場に集まっていく。
「古滝屋」代表・里美さんのお話である。
地元紙「福島民友」をみんなに配り、
こちらのページから紹介していく。
「直接死、間接死ってなんでしょうね」。
こまかくビッシリと、
各地の放射線量も毎日掲載されている。
「事故前の状態にではなく、
原発を立てる前の状態にもどりたい」
「安全です、計ってますなんて
言わないといけないことが悔しい」。
10時すぎには「古滝屋」を出て、
小松さんの「UDOK.」に向かう。
相変わらずのにぎやか空間。
震災、人生、分断、住民みんなを
「被災者」に仕上げるメディアの感動ポルノ、
本当に地域が元気になるという意味での復興、
狭い意味での「当事者」でない、
遠い関西の学生がそれぞれの立場、感覚で
かかわることの大切さなどを、
自作のWEBマガジン、
被災直後の実況動画などもつかって。
たまたまやってきたお仲間の丹さんも
(お会いしたのは3年ぶり)
どうしてこのスペースをつくったかなどを。
12時すぎには区切りをつけて、
みんなはイオンでお昼ゴハン。
イオンは災害対策拠点にもなっていた。
1時には小松さんの案内で、
いわき市内をまわっていく。
この道の左側には古い防潮堤、
右には岩手までつづく新しい防潮堤が。
薄磯の海岸におりていく。
「こんな巨大防潮堤が・・というと
後出しジャンケンだと言われることがある」
「しかし、後出しでもちゃんと言っておくことが、
今後の災害復興に生きていく」。
真ん中の小さなプレハブ前には、
4つの灯籠があり、
入口にはしめ縄が下がっている。
防災緑地に必要な土をとるために
地域の神社がこわされたあと。
神社を壊しておいて「豊かな人間性」と言われてもね。
「何も言わないと、復興というのは
こういうことまでするんだよ」。
例年なら、ここから中央台などに向かうのだが、
今年は関東都市圏の
バックードとしてのいわきに向かう。
復興は地域と住民自身の元気化・活性化。
であれば、視野は地域の全体をふくんでいく。
奥にある巨大な石炭船から、
バスの上を横切るベルトコンベアーで
大量の石炭が運び込まれる。
「海の町」「農業の町」とは違う
「巨大工業の町」としてのいわき。
(ただし完成品製造の町ではない)。
巨大石油タンク群は、国家備蓄の一環で、
お国の一大事への備えである。
最新鋭の石炭ガス化複合発電所(IGCC)も建設中。
これも地元のための発電ではない。
道の左手には、墓地がある。
長く人が暮らした「町」があったということ。
3時には、すべての日程を終了して、
福島空港に向かっていく。
ふう、さすがに疲れましたねえ。
4時20分には、到着となり、
4日間お世話になった
福島交通の橋本さんとお別れする。
ありがとうございました。
急いで、お土産屋さんをまわり、
兄新参には牛タン方面、
妹新参には怪獣絵本の方面を。
5時20分には、福島離陸。
6時半すぎには、伊丹に到着。
これにて、今年の福島旅行のすべては終了。
相方と妹新参のお迎えをえて、
7時すぎには、家にもどる。
兄新参も帰っており、
適当ゴハンをパクパク食べる。
ビールクピリで、
9時には、すばやく布団に入る。
つかれてグデリだけでなく、
福島での「虫刺され」のあとがひどく、
明日は、皮膚科からの朝となっていく。
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