6月3日(日)は、7時30分の起床であった。
野菜ジュース、ヨーグルトの朝食をとり、
8時30分にはロビーにおりる。
すでに3年ゼミ生全員が集まっていた。
メトロで「神田」から「日本橋」へ、「九段下」へ、
ただちに移動の集団となる。
予定の9時に、5分ほど遅れての現場到着となる。
ガイドをお願いしている、新宿平和委員会の長谷川さんとここで合流。
年に100回以上も靖国ガイドをされている、
この道のベテランの方である。
昨日のWAMの企画に参加されていた、
ビデオ塾のS田さんともご一緒する。
まずは「靖国神社の付属地域」をまわっていく。
すぐ目の前に「日本遺族会」の事務所があり、
愛国婦人会発祥の地の記念碑などもある。
長谷川さん等が書かれた
『フィールドワーク 靖国神社・遊就館』をながめながらの学習である。
9時30分には、近くの「しょうけい館」へ移動する。
ここに来るのは、初めてである。
戦傷病者の戦後の労苦に焦点をあてた史料館。
スタッフのみなさんが、親切に解説をしてくれる。
「しょうけい」の「しょう」は「承」であり、
「しょうけい」の「けい」は「継」である。
しかし、中学生など子どもたちにこそ来てほしいと、
「承継館」というむずかしい文字を使うのはやめたという。
最初に「証言ビデオ」を見せてもらう。
若くして、戦場で戦争で両腕と左目をうしなった伊東朝雄さん。
はたらこうにも腕のない体では、
普通の仕事につくことができない。
子どもを抱きしめたり、遊んでやれないことが、
一番つらいことだったと涙を浮かべる。
戦争の傷は、こうして戦後何十年もつづいていくのである。
傷病兵の前には「廃兵」という、
人格を全面否定するかのような言葉もつかわれていた。
若者が、どのようにして戦場に駆り出され、
「傷痍軍人」として、どのような戦後を送らねばならなかったか。
それが一目でわかる展示もつくられている。
この街頭でギターなどを弾く元軍人の姿は、
札幌で、子どもの頃に見たことがある。
展示の中で、学生が思わず「キャッ」と声をあげたのは、
実物大のジオラマである。
衛生兵に押さえ込まれた兵士が、
麻酔もかけられずに、腕の切断手術を受けている。
これらのジオラマの様子については、
「もっと血の色を」「もっと現場の匂いを」という
体験者たちの声もあったそうだ。
しかし、それでは「あまりにむごい」と実現しなかった。
戦争の現実は、そのような再現をこばむほどに、
常識をこえる「むごさ」をもったものだということである。
治療を待つ兵士の姿。
「傷口にうじむしを再現せよ」との要望もあったという。
以上の写真は、特別に許可を得て撮影させていただいたもの。
荷物をあずけさせてもらい、10時30分には靖国へ向かう。
「別格官幣」の4文字が切り取られた「靖国神社」の社号票。
途中、いくつかの灯籠や銅像、記念碑もながめながらの移動である。
雨の予報は、早々に変わっていたらしい。
強い日差しをかわしつつ、ここでもメモを出して、学んでいく。
今日は、観光バスが多く、脇には骨董市もならんでいる。
いわゆる「爆弾3勇士」のレリーフである。
これを寄贈したのは、富国生命。
戦時中に、いちはやく「徴兵保険」を開始した企業の一つである。
この「鎮霊社」も、昨年は見ることができなかったもの。
靖国は天皇のために戦死した兵士等のみを神と祀るが、
ここには全世界の戦争犠牲者が祀られているという。
ただし、そこには神社が神社であるために必要な
最低限の「施設」であろう鳥居がない。
靖国の「国家護持」が主張された頃に、
各種の批判をかわす隠れ蓑としてつくられたものらしい。
遊就館の前へ移動。
軍鳩・軍馬・軍犬の像を見る。
「あの大きな犬が、人間の喉笛に食らいついていく」。
「これを想像力をはたらかせて感じてほしい」と、長谷川さんはいう。
2005年に新設されたパール判事の碑である。
東京裁判での日本有罪に異議をとなえたという「功績」で、
ここに置かれている。
ただし、この碑は外国人向けに配布されている
英語版「やすくに百科」のリーフレットには載せられていない。
日本語版のみの掲載である。
そういう内外での、情報提供の使い分けが他にもある。
12時半に近くなったところで、新装なった巨大な遊就館に入っていく。
まずはレストランで休憩である。
こちらは「海軍カレー」と「海軍珈琲」。
お土産コーナーで、先に本もながめていき、
1時半から、学びを再開。
対米英戦争で、アメリカを「有罪」とする展示は書き直されたが、
それでも、ある展示には、
「……米国の世論、
議会も日米通商航海条約廃棄など対日制裁の強化を支持し、
ついには戦争の直接原因となる石油禁輸に至る」と書かれている。
「戦争の直接原因」は、やはりアメリカの側にあるというわけだ。
また「帝国国策遂行要領決定」(41年9月6日)の解説には、
「自存自衛のため、対米(英蘭)戦争を辞せざる決意の下に
十月下旬を目処として戦争準備を完遂する」とある。
他の文章には英訳がついているが、この「自存自衛」の解説には、
英語の解説が抜け落ちている。
外国からの観光客が多いこの場で、
こういう脱漏を生むことの意図は明白である。
さらに「GHQの占領政策」については、
「日本民族の強さの根源が、
国民に敬愛される天皇と神道にあると考えた占領軍は、
神道指令、教育改革、検閲さらに憲法や教育基本法の制定などで、
日本国の弱体化を図った」と書いている。
憲法・教育基本法は、日本を「弱体化」させるものとの理解である。
改憲をめざす靖国派の推進力は、こうしたところにまで遡る。
3時ちょうどからは、
日本会議等がつくったビデオ「私たちは忘れない」を見る。
殺される人間の姿はどこにも登場せず、
ただただ「英霊」の「美しさ」のみが語られていく。
4時すぎには、すべてを終えて、「遊就館」を出る。
再び、にぎやかな境内にもどり、
お土産に「晋ちゃん饅頭」などを買っていく。
「(麻生)太郎ちゃんの牛乳カステラ」といったものもある。
こうしたものを面白がって買い込んでいくのも、
学生たちのありのままの姿である。
「しょうけい館」へ、荷物を取りにもどり、
そこからは、二手にわかれて「羽田空港」へ。
5時20分に、空港でいったん解散とする。
こちらは、ビールとオムライスの夕食をとり、
メールチェックの時間とする。
7時すぎには、離陸である。
なぜか横には、J子とぬりの「やかましコンビ」が座ってしまった。
早々に眠ってくれたのが幸いである。
8時ちょうどには、伊丹に到着。
空港ロビーでの
パパによる「家に帰るまでが遠足です」の言葉で解散とする。
今年もまた、充実の「東京ツアー」であった。
相方と新参の迎えをうけ、
そのままクルマで自宅にもどる。
新参といっしょに風呂に入り、
明日の保育所の用意をし、
当面する離乳食の準備も行っていく。
野菜ホットケーキと、野菜とキノコの煮物となった。
さすがに疲れもあるようで、
12時前には、グッデリと眠りに落ちていった。
梅田望夫『ウェブ進化論』(ちくま新書、2006年)を読み終える。
多様な技術進化の意義が語られていく。
とはいえ、こちらにもっとも刺激的であったのは、
自分を変える=時間をつかう優先順位を変えるという、
その人生転換の具体的な方法であったらしい。
技術にアタマが追いつかないということも、あるのだが。
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