1)『毎日新聞』縮刷版から,93年8月4日の「慰安婦」問題での政府調査結果関係記事を読む(西田さん)。「政府の公式事実認定」は,①「慰安所」設置が軍の要請によること,②1932年の上海にすでに「慰安所」設置の資料があること,③少なくとも「一部地域」では軍が「慰安所」を直接経営したこと,④「慰安婦」が自由をもたない「痛ましい生活を強いられたこと」,⑤募集は「本人の意向に反して」行われたケースが多いこと等を認めている。前回検討したような「自由な売春婦だ」論は,この政府認識によっても否定される。
2)このような認定の上での「謝罪」にもかかわらず,その後事態の進展がなかったのはなぜかか。1つはこの段階でも,補償は「日韓条約で解決済み」というのが政府見解であったこと。2つは93年政府見解に対して「慰安婦問題はなかった」とする立場からの強い巻き返しが起こったこと。94年に自民党に「歴史・検討委員会」が設置され,95年に出版した『大東亜戦争の総括』が「慰安婦」問題をデッチアゲとする。さらに同書の結論にそって96年サンケイ新聞が「自由主義史観キャンペーン」を開始,97年に「新しい歴史教科書をつくる会」が発足する。その後「つくる会」教科書は文科省の検定を通過し,地域ごとの採択運動がすすみ,自民党がこれを推進する。他方で,小泉首相による5年連続靖国参拝が行われる。ここには,保守的政治家・思想家内部の意見対立が反映している。
3)「『風適法』と『風俗』について」(渡辺さん)。売春防止法にもかかわらず,今日「風俗」が野放しになっているのはなぜかについて,前回につづいて「風適法」の対象事業から調べてみる。「風適法」の対象事業は,大きく,①接待飲食等の営業,②店舗型性風俗特殊営業,③無店舗型性風俗特殊営業に分かれ,②に含まれるソープランド(個室浴場),店舗型ファッションヘルス(台湾エステ・韓国エステの名も),③に含まれる派遣型ファッションヘルス等が主な買売春の「現場」となる。法と取り締まり姿勢の双方に問題があるのだろうが,実態としてこれらは積極的であれ消極的であれ,広く社会に容認されている。それは,「男らしさ」「女らしさ」意識の内容にも深くかかわっている。
4)ビデオ『中国人強制連行』を見る。国内の成人男性労働力不足を理由に,「満州国」への中国人強制連行の手法をまね,1941年に日本への中国人強制連行が閣議決定される。42年には山東半島全域で日本兵5000人による1ケ月半の「ウサギ狩り」「人間狩り」「労工狩り」と呼ばれた中国人「狩り」も行われる。全国135の民間事業所に配置された労働者は,奴隷的条件で働かされ,多くが命を奪われた。被害者,加害者双方からの証言がある。秋田の花岡では記録に残る大規模な反乱があり,これに対する過酷な弾圧があった。戦後,遺骨を中国へ返す運動が行われるが,41年閣議決定時の商工大臣であり57年から総理であった岸信介は,労働を合意のうえでと強弁し,遺骨収拾返還を妨害さえした。
5)テキスト『従軍慰安婦』を最後まで読み終える。当時の軍関係者等の証言や文章から,「慰安婦」に対する軍や兵士らの強烈な蔑視,また国内における「芸娼妓」への「牛馬」扱い,女性を「買う」ことを日常とした社会意識に対する強い怒りが語られる。今日の常識から当時を断罪することは簡単だろうが,その感情とともに,あわせて当時はなぜその意識が少なからぬ女性も含めた社会の通常となりえたかを考えていくことが必要か。次回からのテキストは『ジェンダーの視点からみる日韓近現代史』。第1・2章を次回検討範囲とする。
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