1)テキスト76~82ページを読む。竹中流経済政策の雇用対策の箇所である。氏は失業を本人が役に立たないからだといい,それを「労働の需要と供給のミスマッチ」と呼ぶ。そして役に立つようになるために,英語やパソコンを学べと。だが,問題はそれだけではまるで解決しない。「質的ミスマッチ」とともに,有効求人倍率0.58(06年4月)に示される「需要と供給の量的ミスマッチ」の解決が不可避である。そのことに何もふれず問題を個人の能力に解消するのは,本来雇用政策に責任をもつべき者への免罪論となる。
2)日本の年間労働時間はサービス残業をふくめて2200~2300時間。この世界最長の労働時間の「ワークシェアリング」を実施し,失業者に仕事をまわすことはできるはず。フランスの35時間法など,学ぶべき前例はいくつもある。さらにサービス残業は違法行為。政府にはこの違法を取り締まる責任がある。企業内部に強い労働組合があれば,違法を許さぬ空気ができるが,その条件がない場合には,労働基準監督署等に相談すべし。監督署には通報者の匿名を守る義務がある。
3)さらに竹中氏は賃金の不足分は「資産の運用」で穴埋めしろという。90年代後半のアメリカのバブルをそのまま肯定したのだろうが,バブルは崩壊し,アメリカには老後の生活資金を失ってしまった労働者が大量に出た。そのように資産運用はバクチであって,生活保障にはなりはしない。さらに運用益で賃金不足を補うには,かなりの元手が必要だが,今日5世帯に1世帯は貯金をもっていない。そもそも運用自体が不可能だということである。「役に立たない」にせよ「運用しろ」にせよ,結局は財界による一方的な「総額人件費削減」策の合理化論でしかない。
4)不便な商店街の「疲弊は当然」「大店法はじゃま」との発言もある。異常な長時間労働を前提に,24時間営業のアメリカのスーパーが便利だというが,年間数万人の過労死を生むそのような生活・労働スタイルこそが問題ではないか。商店街がシャッター街化する背後には,消費不況一般にとどまらない,大型店舗の進出の自由化推進がある。大店法の撤廃は89~90年の日米構造協議でアメリカによって求められたもの。直接にはトイザラスの強い要求があり,現実にも大店法は96年に実質を失う。以後,コンビニ・スーパーの出店は自由となり,「自由」の名のもとに小規模商店経営者たちの生活基盤は破壊された。「弱肉強食」そのものである。
5)竹中流の自由競争礼賛論は,このようにつねに競争の結果を正当化する。しかし,同じ資本主義を名乗りながらも,「先進国」はアメリカ型とヨーロッパ型との大きな分岐をすすめている。自由競争に活力だけではなく破壊の力を認め,その破壊力を連帯の力で補おうとするのがヨーロッパ型。歴史的には,こちらがより発達した資本主義であり,アメリカ型は時代遅れの野蛮な形となっていく。その中で日本が「構造改革」によりアメリカ型への移行をすすめは,まったくもって時代錯誤。しかも,その半分はアメリカ大資本の食い物になるための「市場開放」。政財界の一部に経済的離米論がようやく生まれつつあるのは当然のこと。
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