1)テキスト82~96ページを読む。竹中平蔵氏による「構造改革」政策の個別分野の検討のつづき。「ベンチャー支援のための金融改革」は,間接金融(銀行融資)から直接金融への資金調達方法の改革を基調とするが,なかでも重視されるのは「信託」や「ノンバンク」などを通じたハイリスク・ハイリターンの資金調達方法。その資金を新たに生み出すために「郵便貯金の民営化」が位置づけられる。年金などの庶民の金をリスク市場に放り込ませ,それでベンチャー企業を育成しようとの策である。もちろんベンチャー企業に成功の保障はなく、「投信」には元金割れの危険がつねにつきまとう。結局,これは政府による庶民への資産運用の名でのバクチのすすめとなる。
2)「儲ける者にやさしい税制づくり」。竹中氏は消費税率14%論者だが,さらに累進課税を否定して全国民に一律の課税を行う「人頭税」実現の論者でもある。戦後日本の税収は個人所得税と法人税を柱としてきたが,今日すでに消費税が3本目の柱に加えられ,さらにこの3つの中で消費税をこそ基幹税にするとの主張を政府は行っている。消費税には税率の累進性がない。つまり消費税の基幹税化は,所得とは無関係な税率の均一化への接近を意味している。それは税率のフラット化」ともいわれる。高所得者の税率は低く,低所得者の税率は高くということである。5分の1の世帯が貯蓄をもたない現代の日本で,低所得者の税率を高めていくということは,彼らに最低限(あるいはそれ以下)の生活を政府が強制していくことになる。なぜ税の無駄遣いの節約と,史上最高益を実現している大企業の優遇税制をつつけていくのか。
3)「社会保障は『たかり』である」。竹中氏は市場メカニズムは万能でなく,それによって「貧富の差が拡大する」ことを認めている。しかし,その貧富の差を緩和させる人類の知恵としての「所得再分配」には文字通り敵意をむき出しにする。社会保障は「たかり」「ねだり」「くすね」「強奪」の正当化システムである。だからそれを解体する社会保障構造改革は正義の取り組みだというわけである。「日本は,『おねだり社会』になってしまった」「昔の日本人は,もっと誇り高い民族だった」と,社会保障受給者への侮蔑の言葉も吐くが,80年代初頭からの連続する社会保障制度改悪にくわえて90年代以降の不況である。個人の意志や気概をくじく,経済状態の客観的悪化から目をそらすべきではない。
4)他方,竹中氏は必要最低限のセーフティネットで「再チャレンジ」(すでにこの言葉がある)を保障することが大切という。ただしその一つにあげられる年金制度も,またしても当人の資産運用にすべてをゆだねる「日本版401k」方式などである。どこまでいっても国民(住民)生活への公的保障の言葉はない。そして,このようなやり方でアメリカはうまくいっていると強弁するが,実際には,1990年代の戦後最大の「好景気」の中でアメリカの所得の二極化(格差社会化)は一層すすみ,97~99年には白人家庭だけをとっても5件に1件が安全・安心に暮らせる「基本的家計」を下回っている。3度の食事や医療への心配が日常的にあるのである。なんでもアメリカに学ぶことが可能であるほどアメリカは豊かな社会ではない。そのことへの自覚的な検討はどこにも登場しない。
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