半ばガイダンス的授業。経済学関連の3科目でもっとも難しい。少なくとも「経済学」を事前に履修していることが望ましい。次回からテキストを使う。後期のテーマは中国経済(日中経済)。
テキストは「親米入亜」を主張するもの。「親米」の内容評価については意見を違えるところが小さくないが,そこは授業で補足する。今日の日中関係を考える前提として,以下,若干の歴史を振り返っておく。
古代以来,日本は中国・朝鮮に多くを学び続けた。弥生以後,大和権力をつくりあげていく人々も朝鮮から渡った人々である。長く,大陸が文化の先進国であり,日本はこれに学ぶ後進の立場にあった。諍いもあったが,いずれにせよ双方の関係は濃密である。
大きな転換が訪れるのは19世紀中国の半植民地化の時期に前後して。江戸から明治への転換を終えた日本政府はこの国際環境の中で,欧米帝国主義に対抗するべく富国強兵の政策をとり,「脱亜入欧」(植民地化されるアジアではなく支配する帝国の側に立つ)を追求するようになる。天皇の西欧化なども。
1894年の日清戦争,1904年の日露戦争はいずれも朝鮮への両国の影響力排除を結果し,その上で1910年には日韓併合(植民地支配と統合)を実現する。以後45年まで朝鮮半島には日本による野蛮な軍事的・精神的支配が継続する。
第1次大戦の最中,日本は中国に従属国となることを求める21ケ条の要求を提出。これが受け入れられず,以後,軍事行動をつうじた領土拡大を目指すようになる。1931年の満州事変をもって中国領土への本格的な侵略を拡大し,1932年には「満州国」をでっちあげる。1937年には対中国全面戦争にはいり,南京大虐殺などを引き起こす。さらに1941年には対米英戦争にはいる。45年の敗戦までの日本人の死者は310万人だが,アジアの死者は2000万人以上,中国人だけで1000万人となる。この被害を生み出す戦争を開始したのは日本の側であって,中国など東アジアの側ではない。
対戦国との講和は51年のサンフランシスコ講和会議で行われるが,中国・南北朝鮮はとも会議に招請されず,最大の被害を与えた両国との和解と国交回復はのちに残る。65年に日韓基本条約が結ばれ,72日中共同声明でようやく両国との国交が回復される。しかしいずれにおいても日本側からの誠実な謝罪はなかった。北朝鮮とはいまだに国交がない。
86年の中曽根首相による靖国公式参拝による緊張などがあったが,その後90年代には全体として日中の交流は進展を見せる。それにストップがかかるのは2001年の小泉首相の靖国参拝以降のこと。72年時点で中国政府はかつての軍国主義者と一般国民を区別して評価したが,今日では小泉首相の高い支持率,憲法改定への動きなどの問題から,一般国民自体が右傾化しているのではないかとの警戒心をもっている。
その中で「政冷経熱」から「政冷経冷」への変化の傾向が懸念され,他方で「政冷経熱」ら「政熱経熱」へと日中関係を好転させたいとの動きもある。そうした歴史の経過の上で,中国経済の概要,日中経済関係の実際を学んでいく。次回からテキストに。
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