テキスト第3章「『女』とは何か──他者としての女性」を読んでいく。
女性の経済的自立をもとめる行動にとって,内的な障壁となりうる事柄の1つが「女らしさ」から逸脱することへの恐れの問題。
「女らしさ」という規範は,多くの場合,①やさしく情愛にあふれ他人の世話をせずにおれない性質と,②男性にとって御しやすく気後れする必要のない扱いやすい性的対象という二面をもつ。それは現に生きている女性たちから抽出された「女らしさ」ではなく,それとは別のところで社会的・文化的に形成され普及・浸透させられている「女らしさ」である。
これは「男は仕事,女は家庭」という近代家族に対応した「女らしさ」像だが,そこには同時に「家庭の中の中心もまた男である」という規範がこめられている。「常識」は社会の客観的な発展に照応してつくられるが,より具体的には,時々に「常識」を形成する力(情報を形成・発信する能力と手段)をもつ者たち(男性権力者たち)によってつくられる。
身分制の封建社会から近代資本主義社会への移行に際して,革命派は「自由・平等・博愛」が唱えたが,実際にはそれは①白人,②金持ち,③男性のみに受益者が限定された「人権」であった。それが①白人以外へ,②金持ち以外へ,③男性以外へと顕著な拡大が見られるようになるのは20世紀後半に入ってからのこととなる。
ものの見方の男性中心主義が,ジェンダー視角からの点検をうけるようになるのはごく最近のことである。「女・子ども・老人の生活」は,歴史学の主要な対象とはならずにきた。それが女性あるいはその周辺の世俗的で卑近な事柄であり,そのようなものを,過去の歴史においても重視する必要はないとする判断(無意識もふくめた)からである。したがっていわゆる「社会史」の発展に対して,フェミニズム・ジェンダー視角が与えた影響はきわめて大きい。
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