少子化問題は,前回のつづき。先進国は少子化,途上国は人口爆発という現状だが,「人口転換」はヨーロッパでは19世紀前半に終了。アジアの出生率はインド3.4,南アジア3.6,東アジア1.8,アフリカは5.6,西アフリカだけなら6.4となっている。
日本にも人口増加を生み出した4つの時期があり,それぞれに人口拡大を可能にした新しい社会の形成があった。1つは縄文システムの展開,2つは弥生の水稲農耕化システム,3つは14世紀頃からの市場経済システム,4つは工業化・資本主義化システム。
近代のみを見れば,1925年の出生率は5.11だったが,40年には4.11となる。「生めよ増やせよ」がいわれるが,実際にはわずかに出生率があがったところで終戦となる。その直後47~9年に兵士の復員によるベビーブームが起こる。この時で4.3程度。これが50年代前半には急落する。ベビーブームの反動だけでなく,急落には48年に妊娠中絶を合法化した「優生保護法」が重要な役割を果たした。公的統計でも55~61年の妊娠の4割が中絶されている。70年代には「団塊の世代」による第二次ベビーブームが生まれるが,今日までその子ども世代による第三次ブームは生まれていない。
資本主義の経済は職住の分離を生み出し,地域社会をくずしていく。これによって地域は子育てから手を引き,それは個々の家族に任されていく。同時に「近代家族」が増加し,子育ての実際は専業主婦1人にまかされていく。その専業主婦の労働への復帰が,人口置換水準を割り込む「第二の人口展開」を生み出す。人口置換水準を割っている国は05年で世界の65ケ国・地域。先進国は60~70年代に軒並みこの水準を割っている。
この傾向を止める上で,アメリカもヨーロッパも置換水準にはもどっていないが,すでに一定の実績がある。その基本は労働条件の改善と子育て・教育への公的支援の拡大である。その立ち遅れが,少子化に歯止めのかけられない今日の日本をつくっている。
テキスト第7章「変わる出産,変わる生殖医療」は一部のみ。「生む,生まない」についての女性の自己決定権論は,女を出産の道具とした社会に抵抗し,つこれを改革する上で意味をもつ。他方で,出産は生まれてくる子ども自身の権利や夫・家族の権利を排して,女性だけの権利であるわけではない。生殖医療技術の発展に応じた,各自の権利の衝突を調整する生命倫理が必要。なおアメリカには倫理を金で解決する傾向が強い。
テキスト第8章「男の子育て・女の子育て」に入る。資本主義の発展にともなう「近代家族」の大衆化は,世帯あたり構成人員数の減少をもたらす。55年まで5人前後,95年には2.88人。その結果,母親的役割を交代できる人間が世帯にはいなくなる。他方,住環境やクルマ社会が,母子を家にとじこめる。その両方が母の強いストレスを生む。これが児童虐待の社会的土壌となる。「母性喪失」など問題を個人の資質に還元するのでなく,同時に子育てのどのような社会環境整備が必要かを検討することが大切。
最近のコメント