第11章「ジェンダー・セクシュアリティ・暴力」を学ぶ。「女性に対する暴力」が各種国際会議で重要議題となるのは,1985年ナイロビ会議など20世紀の終盤以降。95年北京会議では「ジェンダーに基づく全ての暴力行為」の事例が示された。その中には私人によるものの他に,「国家が犯しまたは許す性的及び心理的暴力」の問題もある。
ドメスティック・バイオレンスは,性的関係がある(あった)男女間での男性から女性への暴力の問題。東京都の調査で夫に暴力を振るわれた体験をもつ妻は1/3。理由としてアルコールがあげられることが多かったが,実際には「気に入らないことがあると,暴力で解決しようとする」など,しらふの状態での社会的・物理的「弱者」への攻撃の面が強い。日本では女性殺人の約3割は,夫あるいは内縁の夫によるものである。
セクシュアル・ハラスメントは,相手の意に反した性的言動をつうじて,仕事上の不利益を与えたり(対価型),仕事環境の悪化を生じさせたりする(環境型)加害行為。セクハラの基準は被害者による不快の実感による。各人による許容度の格差があるだけに,何が不快であるかを伝え,理解し合うことが重要。明らかに度を越える問題については,たとえば学内ではセクハラ防止委員会が,被害者の要望を聞きながら,独自に対処を行っていく。加害の認定や処罰の問題とともに,被害者が安心して学び,働くことのできる環境を保持することが課題となる。
レイプについては,被害者を冷たい目で見る社会の視線の他に,他人による屋外での突然の暴行といったステレオタイプ化されたレイプ像(神話)と,実体験の格差(知人による室内でのものが多い)から体験をレイプとして認知することができない,また加害者と何らかの社会関係をもっている場合にはそれが告発の障害となるなどのケースがある。そこには性的関係を,男性による女性の所有(獲得)としてとらえる理解がある。所有物を自由にする/されることへの社会的「承認」が,被害を被害として認識することの妨げとなる。
男性による女性への暴力を「個人的・私的問題」として,被害者支援や加害者への処罰を回避してきた歴史の傾向,被害者である女性が「責任を問われる」傾向などが共通する。つまりこれらの暴力を容認する装置が,既存の社会秩序のなかに組み込まれている。だからこそ,20世紀末になり,あらためてそれが国際的な社会問題とならずにおれなかった。
日本の国家による性暴力の一例として「慰安婦」問題のビデオを学ぶ。『私たちは忘れない』。
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