第5章「社会主義体制の残滓とその功罪」を読む。著者が市場導入を資本主義化に短絡させることの問題については,前回・前々回に指摘した。第5章を読むにあたり,その視点の相違が出てくることになる。
市場を活用した社会主義の接近をめざし,98年朱鎔基は国有企業改革,金融制度改革,行政改革をかかげた。国有企業改革については,78年の「放権譲利」にはじまるが,国有を維持したままでの経営権の一定の委譲はうまくいかない。80年代の生産・経営請負制や,92年の株式制導入でも,所有権は基本的に変わらなかった。これの転機となるのが97年の「国有経済の戦略的再編」路線。民営企業を経済の「重要な構成部分」に格上げし,あわせて国有企業の限定と改革が主張された。ここから通信機器の「華為(ホアウェイ)」のような世界市場に進出しうる民間企業も登場する。
他方,金融制度改革については,人民銀行による銀行業務独占を緩和しながらも,明確な国有銀行民営化の方針は打ち出されていない。2002年には4大銀行のうち,まず中国銀行と建設銀行を民営化するとの方針が出されるが,金融機関全体の民営化の方向は打ち出されていない。実態は市場における競争の圧力をつうじた「公的金融セクターの効率化」となっている。国内に導入する海外民間銀行との競争を通じ,これによって銀行経営実務の合理化をはかり,あわせて金融制度全体については依然として政府のコントロール下におきたいとの政府の意向があらわれている。
なお今後の中国経済・社会の発展方向を大きく左右する問題の1つに,中国経済の成長を社会主義をめざす要素の成果ととらえるのか,あるいは資本主義の導入によるものととらえるかをめぐる,政府ではなく国民多数の理解の如何がある。政治的民主主義の導入が避けられない状況のなかで現在の路線を維持するためには,資本主義経済の弊害に対する理解もふくめて,国民のレベルで「体制」論議が行われる必要がある。
もう1つ重要なのは,国有企業において「生産者が主人公」という新しい企業統治の実態が形成されているのかどうかという問題。「華為」のような民間企業だけではなく,中国に進出したIBMを買収し,これをすでに乗りこなしている「連想集団」のような国有企業がある。これが資本主義企業とまったく同じ労資関係で運営されているのであれば,そこには新たな発展の芽がないことになる。そこに労資関係を越える新しい関係をつくる萌芽の形成があるのかどうか。ここも大きな問題となる。
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