第3章「冷え込む日中関係、深まる米中関係」に入る。
小泉首相の連続した靖国参拝は「心の問題」ではなく「歴史認識」の問題。日本の敗戦がポツダム宣言の受諾によっており、占領の終了が東京裁判の受諾によっている過去がある。靖国は侵略を否定し、東京裁判が裁いた戦争犯罪人を合祀しているが、これへの首相の参拝は、こうした過去への反逆となる。
戦争犯罪には、A級(平和に対する罪)、B級(捕虜虐待など狭い意味での戦争犯罪)、C級(人道への罪)という質の区別があり、靖国には2000人以上の戦犯が祀られている。
93年「河野談話」、95年「村山談話」と、90年代前半には政府による侵略と加害への一定の反省がすすむが、ただちに逆流が強まってくる。93年からの自民党歴史・検討委員会は95年に『大東亜戦争の総括』を発行し、①大東亜戦争は侵略戦争でない、②「慰安婦」「南京」はでっちあげ、③教科書の書き直しが必要、④国民の歴史認識をかえる運動をと結論する。
この後、96年に「自虐史観」を批判する自由主義史観研究会のキャンペーンがはじまり、97年には「新しい歴史教科書をつくる会」が発足する。以後、教科書をめぐる闘い、NHK「慰安婦」番組の改竄、首相の連続した靖国参拝、「つくる会」教科書の検定パス、侵略を反省しない「新憲法草案」とつづくことになる。
こうした動きにはアメリカからも警戒感が出る。理由の1つは、アメリカに有利な東アジア秩序建設のための日本のイニシアチブ回復への要求。2つは、靖国史観派が強くなりすぎることによる日米同盟への亀裂を懸念してのこと。
次回は、96ページから。
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