38~61ページを読んでいく。初期の資本主義に「小さな政府」が対応したのに対して、独占資本主義(大企業中心の資本主義)には「大きな政府」が対応する。
「大きな」の内容は、①二度の大戦をきっかけとした経済の軍事化、②大恐慌をきっかけとした公共事業政策、③戦後に拡大する社会保障などがあり、「大きな政府」の実態はじつはかなり多様である。
80年代には「大きな政府」が生み出した財政赤字や経済の停滞を理由に、再び「小さな政府」が主張される。レーガン・サッチャー・中曽根流の「新自由主義的構造改革」だが、中曽根内閣にあってはむしろ公共事業の拡大がつづき、「構造改革」は橋本・小泉内閣等に代表される政策となる。
ただし「構造改革」は、①軍事費を削らず、②公共事業を削減し、③社会保障を大胆に抑制しながら、④法人税・所得税減税を行うことによって、財界赤字を急拡大する。今日、それを消費税によって穴埋めしようとの議論が政財界で進んでいる。
さらに「構造改革」は、金融ビッグバンや金融立国路線を重要課題としてふくんでいた。それは世界的規模での投機マネーの拡大と、その中心にいたアメリカの投資銀行等金融関連資本の求めに応えたもの。貯蓄から運用へ、自己責任で資産の運用をというスローガンが語られた。そのカジノ経済の破綻が今日が誰にも明らかになっている。
第3章「貨幣の話」に入る。経済は最初から貨幣を付随させたものではなく、市場経済も同じである。「経済=市場経済=貨幣経済」は歴史を見ればまったく成り立たない。
貨幣は交換の必要から生まれるが、物々交換の限界をこえるものとして実践的に、すでに交換されていた品物の1つが、他の品物同士の交換を仲立ちするものとなる。それが最初の貨幣。地域ごとにこれが成立する。貨幣は、外から市場に持ち込まれたものではなく、市場の内部から他の品物に対立してはじきだされてくるもの。
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