映像「焼け跡から生まれた憲法草案」の後半を見る。
憲法研究会で中心的な役割を果たした、鈴木安蔵個人に焦点があてられる。大日本帝国憲法に先立ちながら、主権在民を明記していた、自由民権運動の旗手であった植木枝盛の「憲法草案」を研究。
憲法研究会草案はGHQによって翻訳され、高い評価を受けていく。当時の日本政府・松岡委員会案に驚いたGHQは、マッカーサー・ノートを基本に、同草案も参考にしながら独自のGHQ案をつくっていく。
これを受け入れなければ、天皇の身体の保障はないとホイットニーは松岡に伝えたといわれる。日本政府案がまとめられ、6月からの帝国議会をへて、第25条生存権(憲法研究会メンバーであった森戸辰男が、衆院議員としてワイマール憲法を参考に主張)や、第26条教育を受ける権利の義務教育の充実などをへて、憲法の内容は確定される。
つづいて、映像「私は男女平等を憲法に書いた」を見る。
46年のGHQ案作成時に22才であり、第24条(男女平等)はじめ多くの人権条項を書いたベアテ・シロタ・ゴードンの物語。
ここでもワイマール共和国憲法が大きな役割を果たしていた。
映像は途中まで。夏休みの課題についての書類、また後期の文献ゼミ選択のための書類を配布。
次回は、映像の残りを見て、日韓関係、松井やよりアルバム、在日基地問題などに。
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