リレー科目3回担当の3回目。
まず映像『ヒロシマ・母たちの祈り』を見る。
そして、以下のよう。
①廃絶のチャンスを象徴するオバマ演説
・2万6000発の核兵器(2万5000発弱が米ロに)、数千発は即時発射の態勢に、消滅の危機と隣り合わせの人類社会
・オバマ演説「核兵器を使用したことがある唯一の核保有国として、米国には行動する道義的責任が」「核兵器のない世界の平和と安全を追求する決意であることを、信念を持って明言いたします」(09年4月)
・ロシアとの「戦略兵器削減条約」締結へ、「包括的核実験禁止条約(CTBT)」の批准に取り組む、核分裂性物質の製造禁止(カットオフ条約)を目指す
オバマ演説に先立つ政府関係者の声
・キッシンジャー、シュルツ、ペリー、ナン4氏の呼びかけ「核兵器のない世界」へ(07年1月、08年月、「ウォール・ストリート・ジャーナル」)
・「核兵器がますます広範囲に入手可能となるなかで、核抑止力の有効性はますます低下」
「(核兵器が)危険なものたちの手に落ちることを防ぎ、世界の脅威である核兵器を最終的になくすための、全地球的な努力をおこなうように呼びかけた」
・ゴルバチョフ、ペケット(英外相)氏などの賛同
・オルブライト、ブレジンスキー氏等存命の米国務長官・国防長官の9割が賛同とも
「核抑止力」論の変化と恐怖からの解放
・オバマ新政権「政府の課題」「アメリカ国民にとっての最大の危機は、核兵器によるテロリストの攻撃の脅威と、危険な政権への核兵器の拡散」「オバマとバイデンは常に、核兵器が存在する限り強力な抑止力を維持する。しかし、2人は核兵器廃絶に向かう長い道を進むいくつかの措置をとる」
・アメリカ政府による「核抑止力」論の中身の変化、戦争の防止(核による支配)から核使用の阻止へ
・恐怖からの解放は核兵器の廃絶によってのみ
〔補足〕核廃絶への気運の高まり①
・08年2月、ノルウェー外務省がオスロ核軍縮会議
・08年6月、英国の外務大臣・国防大臣経験者が「すべて核保有国は核軍縮の義務がある」と呼びかけ
・08年7月、イタリアのダレーマ元首相等が「核兵器のない世界を目指して」アピール
・08年9月、オーストラリア政府が「核不拡散・核軍縮に関する国際委員会」創設
・08年10月、国連パンギムン事務総長「国連と核兵器のない世界における安全保障」演説
核廃絶への気運の高まり②
・08年12月、パリでグローバルゼロ・キャンペーン開始、ゴルバチョフ、カーター元大統領等、「核を求めるテロリストを説得することは困難」、2010年1月に核兵器廃絶の世界サミットを
・09年1月、英国の元陸軍元帥等「核抑止力は必要ない」共同宣言
・09年1月、ドイツのシュミット元首相、ワイツゼッカー元大統領「核兵器のない世界に向けて、ドイツの見解」
・09年2月、英国ミリバンド外相「核の影を取り去る-核兵器廃絶への条件づくり」政策文書
オバマ演説をきっかけに
・09年4月、EU議会「核兵器禁止条約の提案にあるように最終的な完全核軍縮という目標を約束すること」(EU理事会へ勧告)
・09年5月、中国・楊外相「核兵器のない世界を実現するため国際社会が長期間たゆまぬ努力をする必要」、「核兵器を全面的に禁止し廃棄する国際条約の締結に向け、できる限り早く議論を」
・09年6月、ロシア・メドベージェフ大統領、米国がミサイル防衛計画についての懸念を取り除くなら、新条約で大幅な核兵器削減に応じる
・09年9月、国連安保理決議、議長オバマ氏、「核兵器のない世界のための条件を築くことを決意」
2010年NPT再検討会議が焦点
・NPT(核不拡散条約)、1970年発効、190ケ国締結、「核兵器国」(米、ロ、英、仏、中)と「非核兵器国」の区別と特権、核兵器国にも軍縮交渉を義務づける(第6条)
・95年、無条件・無期限条約延長、ただし5年に1度の再検討会議を義務づける
・2000年、再検討会議最終文書「自国核兵器の完全核廃絶を達成するという全核保有国の明確な約束」
・05年、ブッシュ政権の妨害と逆行、論点を「不拡散」に限定、核軍縮は議題にできず
・09年5月、最検討会議の準備会合で、2000年最終文書にもとづく議論が議題に決定
・10年5月、「明確な約束」の再確認と実効力のある措置の確認が課題、5月2日ニューヨークへ
非核地帯を広げた世界の努力
・(1959年調印)南極条約、南極の非軍事化
・(1967年調印)トラテロルコ条約、キューバを除く中南米地域、5保有国が議定書批准
・(1985年調印)ラロトンガ条約、オーストラリア、ニュージーランド、南太平洋諸国、アメリカは議定書批准拒否
・(1995年調印)ベリンダバ条約(未発効)、アフリカ統一機構による64年非核地帯宣言を条約化
・(1992年)モンゴルが非核地帯を単独で宣言、98年国連総会で「非核兵器国の地位」承認
・(1995年調印)東南アジア非核地帯条約
・(2006年調印)中央アジア非核地帯条約、5ケ国
②日本の核兵器政策の転換を
・唯一の被爆国でありながら「核抑止力」論・「核の傘」論にしがみつく日本政府
・95年、NPTの最初の検討会議で日本政府は「無期限無条件延長」を提唱、インドの期限を切った核兵器廃絶提案に「究極的廃絶」の決議を提出
・09年4月、北朝鮮のロケット発射に「迎撃命令」という軍事的対抗策のみ
・09年4月、中曽根外相「ゼロへの条件」演説、①オバマ演説を支持するとしながら、②日米安保体制下での核抑止力の重要性を再確認
・北朝鮮の核問題は「核兵器のない世界」をめざす取り組みの中でこそ解決できる
政府の姿勢の根本にある「核密約」
・非核3原則(持たず、つくらず、持ち込ませず、71年衆院決議)に反する「密約」の存在、60年安保改定の過程で
・「核兵器積載の米艦船が日本の港湾に寄港する慣行は、1960年以前に確立されたもの」(米「日本と琉球諸島における合衆国の基地権の比較」66年)
・改定交渉の秘密「討論記録」-「『事前協議』は、合衆国軍隊とその装備の日本への配置、合衆国軍用機の飛来(エントリー)、合衆国艦船の日本領海や港湾への立ち入り(エントリー)に関する現行の手続きに影響を与えるものとは解されない」-協議の対象はもちこみ(イントロダクション)のみ。
有事の核配備についても「密約」が
・「協議取り決めは、公表されたひとつの交換公文と、秘密の討論記録と、核兵器に関する文書の形をとらないもうひとつの秘密了解からなっている」(米66年文書)
・「1960年の安全保障条約にもとづいた核兵器持ち込み(イントロダクション)に関する米国との(複数の)秘密取り決め」「秘密の1960年合意が、日本への核兵器の持ち込み(イントロダクション)について日本政府の同意を求めるアメリカの権利を認めていることを、想起すべきである」(ラスク国務長官からライシャワー大使への電報、66年)
・「有事」における核配備かんするアメリカ側の「権利」、「密約」はいまも生きている
「密約」は公開し、廃棄すべき
・村田良平氏ら4人の元外務次官の証言、①密約は、歴代外務次官のあいだで引き継がれ、②少数の首相や外相に知らされた、③「密約」以降の首相23人、外相34人で知らされたのは首相5人(岸信介、大平正芳、宇野宗佑、橋本龍太郎、小渕恵三氏)と外相6人
・中曽根元首相、「非核三原則・・については、その実態と形式的な表現や国会における答弁が、ある時代において乖離しているのは意識していました」(『サンデー毎日』7月19日号)
・それでも政府は「持ち込みの事前協議がない以上、核の持ち込みはない」「密約はないと信じている」(河村建夫官房長官)
「非核3原則」か「2原則」か
・「密約」公開を「非核3原則」見直しに結ぶ動き
・自民党の河野太郎衆院外務委員長、7月13日記者会見、政府は「虚偽答弁」、「北朝鮮が核実験を行い、ミサイルを発射する中で、日本の核抑止を考えなければいけない。中国の核に対する(日米同盟による)核の傘の有効性も議論すべきだ。今の政府答弁を前提にしては議論ができない」
・民主党の鳩山由紀夫代表、7月15日記者会見、「非核三原則・・のうちの『持ち込ませず』について、民主党政権が実現した場合の将来的課題として、米国側と見直しを含め協議する考えを示した」
・岡田外相、9月16日、密約「調査命令」を外務事務次官に
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