「核兵器の完全廃絶に向けた具体的措置を含む核軍備撤廃」に関する「行動計画」 に合意
①2000年の再検討会議で確認された「核兵器の完全廃絶を実現するという核兵器国の明確な約束を再確認する」
②「すべての国が、核兵器のない世界を達成し維持するために必要な枠組みを確立するための特別な取り組みをおこなう必要について確認する」
③核兵器国に廃絶への「いっそうの取り組み」「具体的な進展」を求めている
「核兵器のない世界」にむけて、重要な一歩前進
5月14日、第1委員会(核軍縮)の報告草案に「核兵器の完全廃絶のための行程表を検討する国際交渉の開始」が提起されたが、一部核兵器保有国の不同意で盛り込まれず
これを多くの国が支持したことが画期的
最終文書「本会議は、核兵器のない世界の達成に関する諸政府や市民社会からの新しい提案およびイニシアチ ブに注目する」、「核兵器禁止条約の交渉の検討を提案している潘基文(パンギムン)国連事務総長の提案に注目する」、「加盟国の大半は、こうした(核軍備 削減・廃絶の)法的枠組みは具体的な日程を含むべきであると考える」
イラク戦争とその後の政治の変化
2001年ブッシュ大統領就任、対イラク強硬姿勢浮上
2001年「9.11」、イラク国営放送「当然の仕打ち」、1ケ月間アメリカはイラク政府の関与を否定、10月フセイン大統領もアメリカ市民への弔意
2002年一般教書演説でブッシュ大統領はイラン、イラク、北朝鮮を大量破壊兵器をもつ「テロ国家」と非難、年末にはイラクが4年ぶりに国連の査察を受け入れる
2002年国防報告「アメリカの戦力は・・・アメリカとその連合国の意思を強制する能力を維持しなければならない」「決定的な打倒のなかには、敵国家の体制を変えること、あるいはアメリカの戦略目標が達成されるまで外国領土を占領することがふくまれる」
世界的な反戦運動、安保理公開協議も
2003年3月7日、2度目の査察報告が不十分だと、アメリカは攻撃にかかわる国連決議を請求、フランス等は査察期限の延長を主張、アメリカは決議が無理と判断
開戦とアメリカの孤立、政策の転換
3月17日、先制攻撃・空爆、19日より英軍とともに「イラクの自由作戦」全面戦争フランス、ドイツ、ロシア、中国などが戦争に強く反対、世界142ケ国が戦争に不同意
2003年9月国連総会、アメリカの姿勢は「58年間、世界に平和と安定をもたらしてきた諸原則(国連憲章)にたいする根本的な挑戦である。このような論理が受け入れられるなら、単独行動主義による無法な武力行使が蔓延しかねない」(アナン事務総長)、たくさんの賛成発言
2004年10月、アメリカ調査団が「イラクに大量破壊兵器はない」と最終報告
2007年「スマートパワー委員会」報告(座長・アーミテージ、ナイ)、「戦争政策ばかりで世界の変化に対応できていない」、ハード(軍事力)とソフト(外交・文化)をあわせたスマートパワーへ
イラクからの戦闘部隊の撤退、最重要二国関係を米中関係だとするオバマ大統領
2009年4月、プラハ演説「核兵器を使用したことがある唯一の核保有国として、米国には行動する道義的責任が」「核兵器のない世界の平和と安全を追求する決意である」
2009年7月、オバマ政権のアメリカが東南アジア友好協力条約(TAC)署名、9月国連演説、単独行動主義からの脱却
日本政府の態度と改憲への動き、政府への批判
2005年10月、自民党「新憲法草案」
第9条の2(自衛軍) 3 自衛軍は、第一項の規定による任務を遂行するための活動のほか、法律の定めるところにより、国際社会の平和と安全を確保するために国際的に協調して行われる活動・・・を行うことができる
2005年10月、民主党「憲法提言」、国連決議にもとづく武力行使を合憲に
2007年1月15日、久間章生防衛相「大量破壊兵器があると決め付けて、戦争を起こしたのは間違いだった」
2007年5月、安倍内閣が改憲手続き法可決、7月「新憲法制定の推進」をマニュフェストの第1項にかかげて参議院選挙で大敗
2008年4月17日、航空自衛隊のイラクにおける空輸活動について「自らも武力を行使した」、憲法違反であるとする司法判断を含む判決を(翌月5月3日、同判決確定)
イラク戦争の検証を求めるネットワーク http://isnn.tumblr.com/
映像・NHKクローズアップ現代「イラク戦争を問う-英国・検証の波紋」(2010年6月9日)を見る
地域紛争に対するEUの対応策
95年夏、旧ユーゴ、スレブレニツァ村での7000人虐殺、国連部隊が駐留していたが
02年、オランダ国立戦時資料研究所が「住民をセルビア人勢力に引き渡した」政府の責任を問う
99年、ヘルシンキ首脳会議、紛争発生から60日以内に派遣する5~6万人の緊急対応部隊創設で合意
03年ボスニア・ヘルツェゴビナでの国連の警察業務を「EU警察部隊」が初めて引き継ぐ、04年治安・戦犯捜査もNATO軍から「EU部隊」に(いずれも常設部隊ではない)
03年国連アナン事務総長から要請、今後で住民虐殺、「国連軍到着まで治安監視を」、初の域外派遣、6月から9月まで
04年EU首脳会議、2010年までの目標、①「EU戦闘部隊」創設、②欧州防衛庁・EU司令部創設(軍事費はEU総額でもアメリカの半分、予防外交・平和維持重視、派遣は全会一致で)
NATOの変貌、共産主義の侵略からの防衛という本来任務は消失、9.11以後緊急事態に現地派遣するNATO即応部隊(NRF)創設、活動部隊を域外に
欧州安全保障にとってのNATOの役割低下
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