10月7日は,7時前起床,8時前出撃の「異常」事態であった。
JR「加島」から「尼崎」へ,「新大阪」へ,「新横浜」へ,
「東神奈川」へ,「横浜」へ,さらには京急「三崎口」へ。
車中「予習の人」となり,「富士をながめてサンドの人」ともなっての移動である。
会場の「潮風アリーナ」には「三崎口」駅から少しだけ歩く。
たくさんの緑と白い雲が空にはえる,実に気持ちのいい天気であった。
12時すぎには会場に入り,1時には予定どおりの開会となる。
労働者教育協会と全国各地学習協の協力による
「全国学習交流集会 in 神奈川」である。
主催者あいさつの後,1時半から社会科学研究所所長の不破哲三氏が記念講演。
あいかわらず何一つ無駄がなく,短い時間に大量の情報と論理を発信される。
まったくもって感服である。
800人ほどの参加だという。
互いにブログをながめあってはいるが,
顔をあわせるのは20年ぶりという知人とも言葉をかわす。
3時半には「アリーナ」を出る。
ここからは場所を二カ所にわけての分科会。
こちらは,「マホロバマインズ三浦」へと移動する。
目の前にあった大阪グループのバスにもぐりこんでのらくちん移動。
分科会は建物の13階で,外にはキレイな海が見える。
向こうに見えるは房総半島。
4時20分から,分科会「ジェンダーと格差社会」で報告である。
グッと抽象的なレベルに下って,そこから表層の事実を語る工夫をしてみる。
50~60人ほどの参加であったか。
若い男性たちから「おもしろい」という声が聞こえたのがうれしい。
会場には,昨年「ナヌムの家」に同行した新米社会人もまぎれていた
6時すぎからの夕食は,少数精鋭(?)で外の居酒屋へすべりこむ。
大混雑の館内レストランを避けたつもりだったが,
あとで「かなり豪華な弁当」といわれて,ひそかに悔しがりもする。
8時半から分科会単位での交流会である。
持参したビデオ「私たちは忘れない」を流し,「慰安婦」問題について解説をする。
あとは20人ほどの参加者から自由な発言がつづいていく。
悩みあり,笑いあり,希望あり,歴史あり。
みなさんそれぞれに,やはり個性豊かな生身の人生。
支えあう仲間の大切さが実感される。
講演内容への注文も出る。
最後には,何もまとまらない「まとめ」の発言をして,夜11時にはおひらきである。
「研究会に入りますよ」。
どうも,最後には,そういうことになっていた。
ここからあとは,別の部屋にうつって勝手気ままな交流会。
適当な部屋にとびこんでいく。
こちらは,陽気な愛知の事務局長。
「四国から来ました」などの自己紹介がつづく。
主力はチーム山陽方面だったらしい。
迫力ありすぎの広島の人々。
武闘派の道でも,相当な活躍ができただろうに。
宿泊者は300名をこえていたという。
3時前には,自分たちの部屋にもどる。
「月1回東京に来てくれないか」との誘いをいただき,
ふ~むとうなりながら眠りに就く。
……
翌10月8日は,朝9時すぎの起床である。
みんなはすでに食事を終え,今日の企画の用意に入っている。
こちらは,ノロノロと動いて10時半に外に出る。
出口の受付でたくさんの方と挨拶をかわし,
一足お先に帰らせてもらう。
この建物は,マンションとしてつくられながら,
いまはホテルになっている変わり種。
各部屋は完全な住宅づくりで,おそらくバブル破綻の産物だろう。
京急「三浦海岸」駅前の土産物屋に時間をかけすぎ,
電車に1本遅れてしまう。
それでも無事「逆コースの人」となり,
車中「横浜中華弁当の人」にもこだわりをみせ,3時すぎには大阪へ。
多方面的に充実の2日間であった。
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