6月16日は、10時起床の朝であった。
グッスリと、良く眠った実感がある。
特殊栄養ドリンクをクピリと飲んで、
「ゲラ第1章の人」となっていく。
12時30分には、外に出る。
JR「加島」から「西宮」へ、
車中「佐治論文の人」となって移動する。
「加島」のホームに、
持参の弁当を開いて食べるサラリーマンがいた。
う~む、愛妻弁当か、
あるいは愛母弁当か。
その横で、こちらは、
売店の100円パンをモグモグ食べる。
「負けたっ、ガックリ」という気分であった。
1時20分から、佐治先生のオーラルヒストリーをうかがう会。
学生、院生、教員が入り交じり、
歴史学者である先生の体験と研究を聞かせていただく。
今日は、先生がたくさんのものを見せてくれた。
こちらは軍隊手帳である(戦後の復刻版)。
こちらは軍人勅諭の現物である。
キレイなケースに入っている。
開いてみると、文章にはルビがふられていた。
さらに、こちらは、戦後、
ある学校の先生から譲り受けた
教育勅語の現物である。
「処分に困って」のことだったらしい。
結構な大きさの巻物である。
奉安殿から出す時には、必ず白い手袋の手でとりあげ、
何度も、何度も、アタマを下げて開いたという。
全文を教師が読み終えるまで、
子どもには、アタマを上げることが許されなかった。
先生は今年で80才である。
こちらからしても父親世代であり、
学生たちには祖父以上の世代である。
大切な「歴史の語り継ぎ」の場となっている。
貴重な文献も、一冊いただいてしまう。
ありがとうございます。
3時から「3年ゼミ-『慰安婦』・靖国 東京学習旅行の準備に入る」
をやっていく。
ゼミの最中に、若い人たちの新聞社から、
「東京旅行を取材したいと」連絡が入る。
これを伝えると、
学生たちは、うれしそうでもあり、
また、あらためて責任を感じているようでもある。
学びを深める「発達的抵抗」としていきたい。
8時ちょうどの終了であった。
授業のまとめを書いて、
「ゲラ第1章の人」となっていく。
10時すぎには、大学を出る。
JR「西宮」から「尼崎」へ、「加島」へ、
車中「『慰安婦』の人」となっての移動である。
10時40分の帰宅であった。
回覧板を班長宅のドア前にもどし、
ただちに夕食をつくっていく。
落ち着けば、世間は12時前である。
今週の講演レジュメが2種類できてない。
とはいえ、そのうちなんとかなるだろう。
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