自立と平等の「東アジア共同体」に向けた日本の役割
--「脱ドル」の動きに注目して--
神戸女学院大学・石川康宏
http://web.digitalway.ne.jp/users/walumono/
1・東アジアの中の日本の役割
東アジアの歴史を自立と従属という観点から大局的にとらえるなら,そこには長くつづいた自生的な発展の時期,16世紀以降の西欧帝国主義諸国による植民地体制下の時期,20世紀の日本帝国主義による新たな侵略と支配の時期,そして戦後ふたたび独立を回復していく時期という区分ができる。もちろん自生的な発展の時代にも,戦争はあり,社会の興亡はあった。しかし,海外の大国による支配が,長期に渡って固定されたのは,16世紀から20世紀までのごく限られた時代のことであった(1)。
20世紀の後半は,この一握りの大国による植民地支配の体制が,世界的な規模で崩れてゆく時代である。それは東アジアにおいても同様であった。もちろん,その過程は単純ではない。1949年の革命によって生まれた中国に,アメリカは〈封じ込め〉政策がとっていく。また東南アジアには,フランス,オランダなど旧宗主国との独立戦争を余儀なくされた国があり,特にベトナムはフランスとの闘いの後,さらにアメリカによる新たな侵略との闘いを経験せねばならなかった。このベトナム戦争への態度をめぐり,独立したばかりのアジア各国は,分裂と敵対の中に我が身を置かねばならない時期をもつ。さらに,ソ連崩壊後の1990年代には,あらためてアメリカによる支配の画策が行われてきた。
しかし,そうした数々の苦難を乗り越えて,いま東アジアはASEAN(東南アジア諸国連合)を中心的な推進力に,〈大国の支配下にある東アジア〉ではなく,〈東アジアの手になる東アジア〉の形成を,自力で自覚的に押し進めている。探求される「東アジア共同体」は,当面ASEAN10と「プラス3」(中国・韓国・日本)の13ケ国である。だがインドなど,これに加わりたいとする国は少なくない。TAC(東南アジア友好協力条約)への加盟国の拡大を柱とした平和と安定の追求と,市場や通貨など多面的な経済統合の進展は,現代世界の政治経済構造に大きな変化をつくっている。あわせて,それは少数大国による世界支配体制の終焉にむけ,歴史の上に重要なステップを刻むものともなっている。
〈東アジアの手になる東アジア〉の建設は,本来,この地域に生きる人たち自身の権利に属することである。大国による侵略と植民地化は,その権利の侵害を意味するものであった。しかし,半世紀前までの支配者を含むEUとのあいだに,すでにASEANは――日中韓3国とともに――ASEM(アジア欧州会議)をつくり,対等な独立国同士の友好を築いている。この関係が実現するためには,ヨーロッパの旧植民地保有国の側にも,〈植民地を不可欠な要素とする独占資本主義〉から〈植民地なき独占資本主義〉への歴史的な発展(=「脱植民地化」の過程)が生み出された(2)。
こうした東アジアの到達を踏まえる時,同じ地域に生きる国として,日本はどういう役割を果たすべきか。これが考えられねばならないことである。日本にはかつての侵略国としての加害責任があり,またアジア最大の経済大国としての可能な支援の力もある。他方,アメリカは,すでに「東アジア共同体」に明確な反対の意志を表示した。アメリカは,未だ〈植民地なき独占資本主義〉への進化を遂げることができない,遅れた資本主義の「帝国」である。その時代遅れの帝国に,またしても時代おくれの追従を続けるのか,あるいはここで東アジアの連帯に歩みをすすめ,この地域における帝国主義政策の影響を払拭することに努力していくのか。日本は,今その道の選択を鋭く問われている。
私は,第一に,民主的で公正な世界経済秩序の建設に向け,日本は東アジアの共同と自立の道を支援し,促進すべきだと考える。最大の焦点は,帝国主義的政策を及ぼそうとするアメリカとの間に,この地域が自立した対等な関係をいかにして築いていくかという点になる。第二に,東アジア各国との経済的共同を深めることは,日本経済自身の発展にとっても重要である。それは短期的には景気回復に向けた市場獲得という意味を持ち,また,より長期的には,アメリカ市場とドルへの過度な依存という日本経済の歴史的脆弱性を解消に向かわせることにもつながっていく。ただし,第三に,日本と東アジア各国との経済的共同を深めるということは,日本経団連がいう「東アジア自由経済圏」といった日本企業の利益を一方的に優先した「共同」を各国に強制するということではない。そこには,平等・互恵・連帯型の文字通りの「共同」姿勢が必要であり,あわせて,かつての戦争に対する加害責任の深い自覚が必要である。第四に「自由化」すれば苦境に立たされざるを得ない日本農業については,安全で安定した基礎的食糧の自給にむけ,政府がこれを守り育てる手だてをとるべきである。それは国民生活を守るためだけでなく,環境破壊と人口増による世界的規模での食糧危機が指摘される中,国際社会における重要な責務になっていると考える。
小論では,これらすべての問題を論じることはできない。以下では第一の論点にかかわって,ASEAN各国を中心とする東アジア諸国が,どのようにして自前の東アジアづくりに乗り出してきたのか,その問題を特に通貨問題に焦点をあてて考えてみたい。また,85年のプラザ合意以後,東アジア各地への企業進出を急増させた日本の経済界が,日米同盟強化という外交・軍事上の枠組みと,東アジアとの交流を重視せずにおれない経済的必要のあいだで,どのような混迷に陥っているかについて分析してみたい(3)。
(1)不破哲三『いまこの世界をどう見るか』新日本出版社,2005年,16ページ,22~23ページ等。同様に,桐山昇・栗原浩英・根本敬『東南アジアの歴史』(有斐閣,2003年)も,「21世紀を迎えた東南アジアの歴史叙述」について「古代以来栄えた交流の磁場ともいえるこの地域に,16世紀以降,西欧諸国が植民地という領域支配を持ち込み,地域国際分業型植民地体制を築いた近代を,歴史上の大きな画期」とすることの必要性を語っている。そして,実際にこの本の全体構成を「東南アジア世界が形成されていく時代」「植民地支配体制の構築,およびそこからの離脱過程の時代」「独立以降の時代」という三つの部分にわけている(ⅱページ)。こうした歴史観は,これからの時代にどういう世界を築いていくかという実践的な課題意識にとって,きわめて重要なものになっている。
(2)かつてのフランス植民地帝国の解体や,今日におけるEUのACP(アフリカ・カリブ・太平洋)77ケ国など旧植民地諸国に対する援助・協力については,拙稿「「世界情勢の発展と『帝国主義』」――レーニンの時代と現代」(『経済』2004年6月号)で紹介したことがある。なお,不破哲三『党綱領の理論上の突破点について』(日本共産党中央委員会出版局,2005年)は,「植民地を失った独占資本主義の諸国」のこうした変化を「新たな発展」ととらえている(105ページ)。これは資本主義の枠内における民主的な改革をどうとらえるかにも関わる,重要な提起だと思う。
(3)第三・第四の論点にかかわるFTAの評価や,農業問題については,佐藤洋「自由貿易協定(FTA)と東アジアの地域統合を考える」(『前衛』2005年6月号)を参照されたい。なお,いままで東アジア問題について私自身が書いてきたものに「経済の空洞化を促進させる対アジア戦略」(『現代を探究する経済学』2004年,新日本出版社,第3章)や「現代日本の経済と『構造改革』」「日本経団連の『東アジア自由経済圏』構想」(山田敬男氏・牧野広義氏との共著『軍事大国化と「構造改革」』2004年,学習の友社,第2報告および補足発言)がある。
2・〈アジア太平洋〉なのか〈東アジア〉なのか
歴史の現瞬間に「東アジア共同体」建設の中心に立っているのはASEAN(東南アジア諸国連合)だが,今日にいたるその発展の道筋は単純ではなかった。67年のASEAN創設に加わった5ケ国(インドネシア,マレーシア,シンガポール,フィリピン,タイ)は,全体としては親米的な諸国家であった。しかしこの組織は,当時のアメリカによる中国・ベトナム敵視の政策に同調するなどの軍事的な役割を目的としたものではなく,何よりこの地域に平和と安定を生み出すことを目指すものであった。ASEANのこの基本性格は,71年の外相会議が採択したZOPFA(東南アジア平和自由中立地帯)宣言――「東南アジアが外部勢力から干渉を受けない平和・自由・中立の地域」となるための努力を語った――に表れ,また76年の初めての首脳会議が真っ先に,互いの主権尊重,内政不干渉などを規定したTAC(東南アジア友好条約)と,域内紛争の平和的解決に協力しあうASEAN協和宣言を調印したことにも表れていた。TACの第1条は「この条約は,締約国の強化,連帯及び関係の緊密化に寄与する締約国の国民の間の永久の平和,永遠の友好及び協力を促進することを目的とする」となっている(1)。
しかし,平和と友好を育み,それによる地域の安定のもとで貧困の克服に共同で乗り出そうとするこの力は,常にアメリカの帝国主義的政策との衝突を余儀なくされた。今日の東アジアは,むしろそれとの闘いを通じて鍛えられたといっていい。90年代以後の経済問題を見るとき,両者による闘いの焦点の1つは〈自立した東アジア〉か〈アメリカ主導の下でのアジア太平洋〉か,という地域協力の枠組みにあった。後者を代表する試みがAPEC(アジア太平洋経済協力会議)である。オーストラリアのホーク政権のイニシアチブにより,APECは89年に設立される。当初の加盟国は,ASEAN6ケ国と日本,韓国,アメリカ,カナダ,ニュージーランド,オーストラリアの国々であった。91年には,これに中国・台湾・香港が加わる(2)。当初アメリカは,この会議にそれほど大きな関心を示さなかったが,93年からは強い主導権を発揮しようとし始める。93年7月,クリントン政権は「新太平洋共同体」構想を発表し,アメリカを軸にアジア太平洋地域を結びつける新しい経済圏づくりを提起する。経済グローバリゼーション戦略の具体化として11月にシアトルでAPEC初の首脳会議が開かれたのは,この構想を実現させようとするアメリカの力によるところが大きかった。
しかし,会議はアメリカの思うようには進まない。全会一致と内政不干渉という「ASEAN方式」の合議制に,アメリカ主導の多数決が持ち込まれかねないと感じたASEAN側は,これに強い警戒心をもち,「新太平洋共同体」構想は事実上棚上げとなる。もう一方で,この新構想のきっかけとなったのは,90年末のマハティール・マレーシア首相(当時)によるEAEG(東アジア経済グループ)の提唱であった。アメリカへの抵抗の意味を込めてシアトル会議に欠席したマハティールは,日本・中国・韓国は含むが,アメリカなど東アジア以外の国を含まないものとしてEAEGを構想していた。その際に〈東アジアからのアメリカの排除はゆるさない〉として,アメリカは東アジア各国に圧力をかけ,日本もまたそれに追随し,この構想をつぶしにかかったといういわば前哨戦があったのである。
シアトル会議の翌94年,APECは加盟各国の貿易・為替・投資の自由化を,期限を区切って推進していく「ボゴール宣言」を採択した。それはアメリカン・グローバリゼーションの展開であると同時に,ASEAN自身による経済統合推進の意志を反映したものでもあった。92年1月,すでにASEANはAFTA(ASEAN自由貿易地域)の設立で合意しており,ボゴール宣言の翌95年には,ASEANはAFTAの実現期限を2003年に繰り上げてもいる。したがってボゴール宣言は,直ちにASEANがアメリカの戦略に組み敷かれたことを意味するものではない。そこにはすでに〈アメリカ大資本のための自由化〉か,〈自立したアジアの共同ための自由化〉かをめぐる路線対立が含まれていたといえる。
この対立を一挙に顕在化させたのが,97年のアジア通貨危機とその後の経験であった。アメリカ等の巨大資本を背後にもつヘッジ・ファンドが,為替相場をドルに固定(ペッグ)していたタイのバーツに狙いを定め,莫大な売りあびせを仕掛けていく。通貨当局の懸命の買い支えにもかかわらず,バーツは大幅に値を下げずにおれなくなり,それによって,ヘッジ・ファンドは巨額の利益を手にし,他方でタイ経済は輸出競争力を失い,また対外債務の支払いに困窮するようになり,一挙に経済破綻に追い込まれていく。危機はインドネシア,フィリピン,マレーシア,韓国などにも及び,「奇蹟の成長」といわれた東アジアの経済は,あっと言う間に奈落の底へ突き落とされた。
ASEANのアメリカ離れ(APEC離れ)が大きく進むのはこの瞬間である。APECはこうした危機を未然に防ぐ点でも,危機に陥った各国を支援する点でも,どのような役割も果たすことができなかった。アメリカは危機の原因を,政治権力者が親族や知人の経済的利権と深くつながる〈クローニー資本主義〉のためだと主張し,その閉鎖性を解体するための「構造調整政策」を,IMFからの融資と引き換えに受け入れるよう求めていっただけである。これに対してマレーシアは,アメリカ・IMF流の処方箋を拒否し,自由化ではなく,逆にヘッジ・ファンド等の投機をしばる短期資本の取引規制を行うなどして,危機に陥った他の国より先に経済の再建に成功していく。後にはIMF自身が,このマレーシアの道の有効性を認めずにおれなくなった。〈アジア太平洋〉の共同なのか,〈東アジア〉の共同なのか。97年の通貨危機とその後のAPECの動きを見て,ASEAN各国は,アメリカからの相対的な自立の必要を共通認識としていった(3)。97年からはASEANプラス3の首脳会議が定期的に開催されるようになるが,マハティールはそれを,かつてのEAEG構想の別の形での「成功」だとも述べている(4)。それは,大国による支配のない東アジアづくりへの,歴史の大きな全身を意味するものでもあった。
(1)87年にASEANは,TAC加盟の道を東南アジア以外の国にも開き,今日,中国・ロシア・インド・韓国・日本・パキスタンなど,加盟国を東アジアや南アジアへと拡げている。TACの条約全文は,次のサイトにある。
http://www.mofa.go.jp/mofaj/gaiko/treaty/pdfs/treaty159_15a.pdf。
(2)APECの加盟国は今日,次の21ケ国・地域に拡大している。ASEAN7カ国(ブルネイ、インドネシア、マレーシア、フィリピン、シンガポール、タイ、ベトナム)、日本、韓国、中国、台湾,香港、メキシコ、パプアニューギニア、オーストラリア,ニュージーランド,アメリカ,カナダ、ペルー、チリ、ロシア(なお、新規参加は、1997年のベトナム、ロシア、ペルーの参加決定以来、10年間凍結されている)。
http://www.mofa.go.jp/mofaj/gaiko/apec/soshiki/gaiyo.html。
(3)本節の内容については,荒井利明『ASEANと日本――東アジア経済圏構想のゆくえ』(日中出版,2003年)が参考になる。
(4) マハティール・ビン・モハマド『日本人よ。成功の原点に戻れ』PHP,2004年。「1990年12月に提案した東アジア経済圏構想(EAEC)に関しては,紆余曲折はあったが,わたしは違った形で成功を収めたと考えている。『ASEANプラス3』がそれだ。このまとまりは,わたしが1990年当初掲げた『東アジア経済グループ(EAEG)』の範囲に等しい。また,その役割も,東アジア諸国のゆるやかなフォーラムである点で『ASEANプラス3』と同様である。このまとまりの中で参加国の共通の課題に取り組み,国際社会の中での地位を確立しようというのが構想の中味であった」(11~12ページ)。
3・通貨・金融協力による「脱ドル」の動き
97年の通貨危機以降,東アジアの各国は相互に通貨・金融協力をすすめ,本格的な「地域統合」を開始する。そこで注目されるのは,何より東アジアにおける「脱ドル」の動きである。
97年の通貨危機に際して,日本政府は各国支援のためのAMF(アジア通貨基金)構想を準備する。当時,大蔵省財務官としてAMFの実現に動いた榊原英資氏は,AMFを「東アジア・太平洋中央銀行総裁会議(EMEAP)のメンバーが,通貨危機に陥った国に対して共同で資金援助を行うファシリティー(融資制度)」であったと説明している。それは「巨大な投機資金に対抗できるだけの外貨準備」を互いに融通しあい,それによって投機による為替市場の混乱を最小限度に抑えようとするものであった。現実には,アメリカの反対のために,この構想は実現しない。ASEAN各国や韓国など危機に瀕した国々からの賛成はあったが,基金の拠出国にアメリカが含まれず,これがIMFから独立して行動する機関であることを知った途端,サマーズ財務副長官(当時)は「激怒」したという(1)。しかし,その最初の挫折にもかかわらず,政府は98年に日本からの2国間支援プランである「新宮澤構想」を示し,ついにこれの実現にこぎつける。それはブラジルへの金融支援を求めたアメリカの要請に応ずることとの交換条件として,苦労の末にようやくまとめた支援であった(2)。
その後,2000年には「ASEANプラス3」の蔵相会議で「チェンマイ・イニシアチブ」の合意がなされる。これは対外的な資金繰りが苦しくなった時に,互いに外貨を融通しあう多国間「通貨スワップ(交換)」協定で,内容上はAMF構想に発展しうるものである。協定の参加国は,AMF構想で想定されていたオーストラリア等が外れ,完全に東アジアだけでの協定となった。ただし「原則としてIMF融資にリンクしており,BSA(2国間通貨スワップ取り決め)の額の10%まではIMFとのリンクなしに短期融資が可能(ただし,90日のスワップの更新は一回のみ)であるが,それを超える場合にはIMFプログラムを必要とする」となっており,アメリカやIMFの意向にも一定の配慮あるいは譲歩をしたものとなっている(3)。
さらに2002年には,日中両国の中央銀行(日本銀行と中国人民銀行)間に通貨スワップ協定が結ばれる。元日銀国際局長の大西義久氏は「これは,国交回復以来の両行の友好関係と……EMEAPを通ずる協力関係の進化を背景に実現したもの」だという。ただし,実際には「日中両国とも世界第一・二位の外貨準備を保有しており,当面は両国の国際金融協力の象徴的な意味合いにとどまっている」。だが,同時に大西氏は,この協定が「円と人民元という自国通貨同士を,相手国の要請に基づき,IMFと連動することなく独立に預け合うもの」で,その意味では「チェンマイ・イニシアティヴに基づくBSA」よりも「スキームとしての機動性が高い」ものとなっているということに注意を払っている(4)。
この協定がはらむ〈ドル離れへの可能性〉に注目した研究は,他にもある。たとえば蛯名保彦氏は『日中韓「自由貿易協定」構想』の中で,「問題は,それが円と人民元との直接のスワップでありその点で米ドルを対価としている他の『チェンマイ・イニシアティブ』の下でのスワップとは本質的に異なる性格を帯びている,という点にある」という。そして「日中両国政府が敢えて米ドル抜きで円と元の直接スワップ協定を結んだということは,アジアにおける通貨協力が不安定化するドルに対する独自性追求と表裏の関係にあるということを強く示唆している」「その意味で,両国政府が両国通貨をそれぞれ対価として円元スワップ協定を締結したということは,両国政府がアジア通貨形成を独自の立場で模索し始めた――ととらえられても決しておかしくはない」「なぜならば,それは,アジア通貨危機を機に日本政府によって提唱されたが米政府の難色によって事実上棚上げされたままの『アジア通貨基金(AMF)』構想の再現に繋がる可能性を孕んでいるから」だといっている(5)。
蛯名氏も紹介しているが,実際この協定の交渉にあたった当事者である日銀理事(当時)の松島正之氏自身が「今回の協定は,日中が円,人民元といったアジア通貨を育てていく意思表示として象徴的な意味をもつ」と語っている(6)。拡大する東アジア諸国の内部取引を敢えてドルで行なう必要はない。だからそれは「アジア通貨」で行おうということである。
この流れの中には,確かにアメリカの国際通貨政策に抵触せずにおれない,アメリカから自立した通貨・金融協力への芽が含まれている(7)。2003年8月にマレーシアで行われた第1回東アジア会議に出席した笠井亮氏は,その特徴について「「とくに議論が集中したアジアの『債権市場』や『通貨基金』の構想,『自由貿易協定』(FTA)の問題などの議論でも,主権尊重と平等・互恵の立場にたって,『脱米軍支配』とともに,『脱ドル支配』へ一歩を踏み出そうというのが共通の決意でした」と語っている(8)。これは,この地域にアメリカ主導ではない,公正・民主の経済秩序をつくる上で,きわめて重要なステップとなっている。
そして,注意すべきは,この脱ドルの流れの中で,日本の政財界が自らの経済的利益のために,一定の役割を果たさずにおれない状況が生まれてきていることである。
(1)榊原英資『経済の世界勢力図』文藝春秋,2005年,108~110ページ。この基金は,日本,中国,香港,韓国,オーストラリア,インドネシア,マレーシア,シンガポール,タイ,フィリピンの10ケ国が合計1000億ドルを供託してつくるものと考えられていた。
(2)同右『経済の世界勢力図』で,榊原氏はその苦労について,こう語っている。「これはバイラテラルな二国間援助ですから,本来,アメリカが注文をつけてくるような筋のものではありませんが,アメリカとIMFの方針に逆らって通貨リンギットを為替管理して守ったマレーシアに日本が融資を決めたときには,相当な抵抗があったのです」「そうした状態のときに,ロシア金融危機がおこり,その危機がブラジルに飛び火したのでした」「私たちは,ブラジル支援とバーターで新宮澤構想によるマレーシア支援を認めるように折衝したのでした」(120~121ページ)。
(3)この協定の特徴については,大西義久氏が『アジア共通通貨――実現への道しるべ』(蒼蒼社,2005年)にまとめている(201~203ページ)。スワップされる通貨については「日本と韓国・ASEAN諸国,中国とASEAN諸国との間ではドルとこれら諸国通貨であり,日本や中国が一方的にドルを供給する片務的なものとなっているのに対し,日本と中国,中国と韓国,韓国とASEAN諸国との間では各々の通貨を相互に供給する双務的なものとなっている」(201~202ページ)。日中韓の間には,すでにドルなしのスワップ協定が実現しているのである。
(4)同右『アジア共通通貨』204,221ページ。
(5) 蛯名保彦『日中韓「自由貿易協定」構想――-北東アジア共生経済圏をめざして』明石書店,2004年,210~211ページ。
(6)松島正之「経済教室・日中,通貨で緊密化進む」「日本経済新聞」2002年4月10日付。なお松島氏は,2001年10月31日に香港で開かれた東アジア経済サミットでも,中長期的なアジア地域での通貨協力について「ドイツとフランスが中心となった欧州型の通貨同盟がアジアのモデルとなる」と発言していた。これに対して当時の中国は「通貨自主権」を強調したが,こうした日銀の姿勢について,当時の「日経金融新聞」(2001年11月5日付)は「新たな『対中ソフト戦略』」の「先導役」と書いていた。
(7)IMF体制のもと,世界各国に国際的な決済通貨としてドルを使用させることによるアメリカの「ドル特権」については,大槻久志『「金融恐慌」とビッグバン』(新日本出版社,1998年),『やさしい日本経済の話』(新日本出版社,2003年)を参照のこと。
(8)笠井亮「大国の横暴ゆるさず『アジアのことはアジアで』」『前衛』2003年11月,69ページ。
4・日米同盟強化の中で東アジアへの接近を語らずにおれない財界
ここでは,東アジアの共同にかかわる財界の諸文書を,特に金融協力や通貨統合の問題にしぼりこんで見ておきたい。まず日本経団連についてである。2003年の「活力と魅力溢れる日本をめざして」(奥田ビジョン)は,大企業本位の「東アジア自由経済圏」構想を示し,その中で「アジア通貨基金の創設」を明示していた(1)。先に見たAMFの財界自身による再論である。また,この文書を解説する著書『人間を幸福にする経済』の中で,奥田碩・日本経団連会長は,通貨危機からの教訓として地域内での資金循環の仕組みづくりが必要になっていると述べ,長期的には「為替リスクのない通貨統合」が必要だとまで書いている(2)。
つづいて外交・安保問題の展開に力点を置き,憲法改悪に向けた財界からの号令ともなった2005年の「わが国の基本問題を考える」は,あらためてアメリカを「わが国の繁栄の基調を支える最大のパートナー」と位置づけた。しかし,そこに語られるのはアメリカ一辺倒の外交ではない。東アジア自由経済圏構想にとって「日中関係は極めて重要」であり,この中国が「経済面では,米国に次ぐ重要なパートナーとなりつつある」。そうした認識を述べて,文書は「東アジア自由経済圏の構築と日米同盟の強化」を2つ並べて外交政策の「軸」と呼ぶ(3)。後に見るように,アメリカは「東アジア共同体」そのものに反対の姿勢をとっており,他方で,東アジアはアメリカから自立した東アジアを目指している。それにもかかわらず,こうした方針を掲げずにおれないところに,〈アメリカいいなり〉の大前提と,東アジアにおける経済的利害の板挟みにある財界の苦悩と混迷が表れている。
さらに文書「日中通商・経済関係のさらなる拡大に向けて」は,日中両国の政治摩擦にふれ,「経済分野での相互補完」をつうじて「政治面にも良好な影響を与える」必要があるという。また,東アジア自由経済圏については「2015年の実現を目標に,わが国と中国が共同でリーダーシップを発揮していくことが重要である」とした。ここでも中国は「共同」の相手と位置づけられている(4)。2005年の日本経団連総会決議には,東アジア問題に直接ふれた箇所はない。しかし,奥田氏の会長挨拶は「中国,韓国など東アジア諸国との関係」について,「いろいろな問題を抱えつつも,それらを一つひとつ乗り越えて,友好関係を長期的に発展させるという大局を見失わないようにすることが肝要」だと述べている。これが財界主流の見解である(5)。
これに比べて,はるかに大胆にアメリカとの距離の必要を語っているのは,経済同友会の文書である(6)。「世界における日本の使命を考える委員会」が作成した文書「日本の『ソフトパワー』で『共進化(相互進化)』の実現を」は,日本経団連同様,日米軍事同盟強化のもとでの兼法改悪路線を出発点においている。しかし,同時に文書は,今後も「アメリカが常にアジアに関与するとは限らない」,と「アメリカの安全保障政策の転換」の可能性を語り,「これまで日本は米国一辺倒であったが……米国以外に,特にアジアの中で,パートナー〔中国〕が必要になっている」と語っていく。
驚かされるのは,対米関係の「改善」を述べた箇所である。文書は「自国を含まないASEAN+3という枠組みも敵視すべきでない」とアメリカに注文をつけ,つづけて日米関係の「改善の余地」にふれていく。日本はアメリカのいうことを聞くだけでなく,「アメリカのためを思って意見が言える」国に変わらねばならない。ただし,そのときに「一対一」の関係になることは避ける必要がある。そこで韓国,東南アジア,中国,インドとの友好を深め,「アメリカに苦言を呈すときも,日本が矢面にたつこと」がないように工夫すべきだという。ここではアジアの各国は,日本がアメリカに向けてものをいうときに手をつないでおくべき,いわば〈味方〉の位置に置かれている。さらに,この文書は中心的な提言の1つに,東アジアの共同を掲げている。「『東アジア経済提携』の動きを更に発展させ,『アセアン+3』の『東アジア共同体』の実現,通貨の統合までをも目指し,それへ向けてのイニシアチブをとる。遠い将来には,インドなども含む『アジア共同体』をも視野に入れる」。そして通貨の統合については,それが「通貨主権の放棄である」と語った上で,敢えて「日本としても率先して自国通貨(円)を捨てることで共通通貨を大きく推進させ,東アジア共同体の実現に貢献する事ができる」と述べている。
財界の総意をまとめる日本経団連に比べ,オピニオンリーダーを任ずる経済同友会の〈発言の自由度〉は確かに大きい。これらの見解を,今日の財界多数の合意と見ることはできない。しかし,こうまでアメリカとの間に距離を置くことの必要をあからさまに語った文書は,経済同友会自身にとっても近年なかったものであり,このような文書が一部からとはいえ,その内部から出てくるところに,今日の財界状況のひとつの局面がある(7)。
この点に関わる,いくつかの見解を見ておきたい。先の榊原氏は,今日の小泉内閣の外交姿勢を「アジア諸国の台頭,アメリカの緩やかな没落という世界の大きな流れを考えたときに,果たして正解と言えるものでしょうか」と批判する。その上で,氏はアメリカの抵抗をはらいのけてでも,中国と共同することが日本の国益に合致すると主張する。「アジアを重視し,中国との連携の道を探ってゆくという外交方針には,やはりアメリカの強い抵抗があるはずです。しかしアメリカの意向ばかりを気にしていた場合,アメリカ経済が停滞して軍事費の負担に耐えられなくなり,東アジア地域の安全保障から手を退いていかざるを得ないという事態になったとき」どうなるのかを考えねばならない。「アメリカとさえしっかり軍事同盟を結んでいればよいとする意見がありますが,これから,アジアの安全保障体制は経済の変動とリンクして大きく変わる」「そうなったとき,中国と敵対をしていては,アジアのブロックから日本ははじき出されることになります」「そのことによる国益の損失は大きい」。だから「親中路線」が必要なのだと強調する(8)。これらの見解は,経済同友会の文書に通じるところが大きい。
さらに率直に,アメリカ離れの必要を語るのは,山下英次氏である。山下氏は,共同体の推進を目的とする東アジア共同体評議会の有識者議員の一人である。この評議会には,財界人,研究者のほかに,政府省庁も関わっている(9)。著書『ヨーロッパ統合』の中で山下氏は,東アジア共同体の実現に必要なことの第一に,「日本の外交姿勢を根本的に改めなければならない」ことをあげ,「率直に言って,わが国の『アメリカ離れ』がどうしても必要」なのだと強調する(10)。「東アジアでは結局のところ日中が共同してリーダーシップを発揮していくことがぜひとも必要」であり,「今後は,APECなどというあまり意味のないものに無駄なエネルギーを費消することなく」「『日米同盟』一本槍の外交姿勢をどうしても改めなければならない」と (11)。さらに山下氏は,東アジアの単一通貨を含む世界的な3極通貨の固定為替相場制を展望しながら,どのような国際通貨政策をとるかは「わが国の経済安全保障政策の要」の問題なのだと語り,「国際通貨制度改革を,アメリカと一緒に構想しようなどという考え方は全く馬鹿げている。なぜならば,国際通貨制度改革の本質は,準備通貨国,とりわけアメリカに如何にして政策ディシプリン〔規制〕を課すか,ということだから」と言い切っている。また,AMFについては,緊急時の外貨融通だけではなく「ウォール街の業界の利害にとらわれることなく,適切な政策上の助言をアジアの新興市場に対して行なうという観点からも,ぜひとも設立が必要」だと述べている (12)。こうした見解の持ち主が,この種の重要な提言作成の場にすでに含まれていることにも注意がいる。
(1)日本経済団体連合会「活力と魅力溢れる日本をめざして」(2003年1月1日)。
http://www.keidanren.or.jp/japanese/policy/vision2025.html。
(2)奥田碩『人間を幸福にする経済』(PHP,2003年),206~214ページ。
(3)日本経済団体連合会「わが国の基本問題を考える――これからの日本を展望して」(2005年1月18日)。
http://www.keidanren.or.jp/japanese/policy/2005/002/honbun.html#part3。
(4)日本経済団体連合会中国委員会企画部会「日中通商・経済関係の更なる拡大に向けて~日中通商対話ミッション・ポジションペーパー~」(2005年2月23日)。
http://www.keidanren.or.jp/japanese/policy/2005/016.html。
(5) 日本経団連総会における奥田会長挨拶(2005年5月26日)。
http://www.keidanren.or.jp/japanese/speech/20050526.html。
(6)経済同友会・世界における日本の使命を考える委員会(委員長・下村満子)「日本の『ソフトパワー』で『共進化(相互進化)』の実現を――東アジア提携から,世界の繁栄に向けて」(2005年2月8日)。
http://www.doyukai.or.jp/policyproposals/articles/2004/050208a.html。
(7)政府内部においても,小泉首相の私的懇談会「対外関係タクスフォース」が報告書「21世紀日本外交の基本戦略」(2002年)で,アメリカ追随一辺倒の路線の実際上の修正を強調している。そこには,アメリカの経済覇権主義に対する事実上の批判もある。「自らの国益追及より先に無原則に国際協調を優先させるきらいがあるこれまでの日本外交とは異なり、米国が自らの外交政策の基礎に置いているのは徹底した『国益』である。米国の外交政策の中には、『自らが一歩譲っても世界全体が上手くいくならば良い』といった発想は少ない。特に経済面での行動にはそれが多い。97年のアジア通貨危機に日本がアジア諸国の要請に応えて積極的役割を果たそうとした『アジア通貨安定基金構想』に対しても、98年の『新宮沢構想』に対しても、米国はアジア諸国への通貨金融外交の主導権をとられたくないという理由で極めて消極的であった」。
http://www.kantei.go.jp/jp/kakugikettei/2002/1128tf.html。
(8)前掲『経済の世界勢力図』208ページ。
(9)東アジア共同体評議会は,中曽根康弘元首相を会長に,伊藤憲一日本国際フォーラム理事長を議長に,2004年5月に設立されたものである。伊藤氏は「新しい歴史教科書をつくる会」の賛同者でもある。評議会の「参与」には,文科省,外務省,財務省,経産省の現役官僚が名をつらねており,この組織の「使命」について,中曽根会長は,次のように語っている。「日本はこれまで、東アジアの地域統合問題にアンビバレントな対応をとってきた。それは、日本が先進国の一員であると同時に、日米関係を機軸とした太平洋国家であり、そして東アジア国家でもあるという複数のアイデンティティの上に成り立つ国家だからである。しかし、『東アジア共同体』はすでに不可逆的なうねりとして我々に迫ってきている。この展望を正面から捉え、我々日本がいかなる戦略を構築するかを、今こそ問わなければならない。このような問題意識から、我々は『東アジア共同体評議会』と銘打ったのである」。つまり,この組織は「東アジア共同体」の推進を前提としてつくられた組織なのである。なお,東アジア共同体評議会は,当初2005年5月に予定していた,政策報告書「東アジア共同体構想の現状、背景と日本の国家戦略」の発表を,突如8月に延期した。理由としては「反日デモ」があげられたようだが,「東アジア共同体」に反対するアメリカの声の強まりも反映しているかも知れない。http://www.ceac.jp/j/index.html。
(10)山下英次『ヨーロッパ通貨統合――その成り立ちとアジアへのレッスン』勁草書房,2002年,261ページ。
(11)同右『ヨーロッパ通貨統合』265,268,310ページ。
(12)同右『ヨーロッパ通貨統合』254~256ページ。
5・自由・平等の東アジア共同体に向けて
2005年12月,マレーシアで第一回の東アジア・サミットが開かれる。参加国は「ASEAN+3」とインド,ニュージーランド,オーストラリアの16カ国になるようである。古い「帝国」アメリカは,これに憤りをあらわにした。昨年末にサミット開催が決まった直後,ミッチェル・リース国務省政策企画部長は「対話から米国が除外されるのは困る」「アメリカは,戦後アジアにおいて,何十年にわたって,この地域の成功と繁栄に多大な貢献をしてきた自負がある。これから先も演じるべき役割はある」と覇権の維持を表明した(1)。ライス国務長官(2005年3月)や,ゼーリック国務副長官(5月)も同様の発言を行っていく。その中で,もっとも露骨に日本と東アジアに圧力をかけたのはアーミテージ前国務長官である。「米国は太平洋地域の経済,安全保障,政治に深い利害関係を持つ大国である」「日本がこの動きに同調することの実益はほとんどない」「米国を日本から引き離すことで,日米同盟を弱体化させようとの意図すら見受けられる」(2)。東アジア共同体は「米国がアジアで歓迎されていないと主張するのとほとんど変わりがない」「中国は積極姿勢を見せている。米国を除いた協議に加わることには,非常に意欲的だ」(3)。見られるように,ここにはアメリカの覇権が損なわれることへの怒り,日中接近に対する警戒心,そして中国への強い敵意が示されている。
しかし,このような恫喝が強い影響力を持ちうる国は,もはや日本の他にはない。〈大国の支配のもとでの東アジア〉か〈東アジア自身の手になる東アジア〉か。この問題にもどれば,アメリカの様々な画策に抗して,東アジアはアメリカからの相対的自立を着実に進めているというのが現実である。97年の通貨危機がその速度を速める転機となったことは,すでに見た。東アジアの諸会議では,金融・通貨協力の進展による「脱ドル」の動きだけではなく,「脱米軍支配」が公然たる議論のテーマとなっている。2003年の東アジア会議,2004年の東アジア政党会議と,その点での各国の合意は,ますます広く,揺るぎないものとなっている。こうした状況の変化を根底で支えているは,ASEANや中国の経済の発展である。急成長する中国の輸出は,確かに多くが外資によって担われている。しかし,アメリカにとって最大の貿易赤字相手国が日本から中国に移り,中国の貿易総額が日本を抜いて世界三位となっているように,〈世界の生産拠点〉としての中国の地位はもはや確固たるものとなっている。さらにその中国に大量の「中産階級」(富裕な消費者)が生まれ,国内市場の急速な拡大が進んでいることの意義も大きい。また決して覇権を目指さないと繰り返す中国とASEANの信頼関係は深まり,もはや日本の財界も,日本を単独のリーダーとした東アジア構想を提起することはできなくなっている。日本経団連さえ,中国との「共同」リーダーシップをいうしかないのが実情である。
東アジアに今日の経済成長をもたらした要因のひとつは,ASEANや中国の外資導入・活用政策と,それによって一定の規制を受けた外資の力そのものである。日本企業は早くから東南アジアへの進出を進め,85年のプラザ合意以降は,国境を越えた企業内生産ネットワークをひろげて,民間企業レベルでの事実上の〈東南アジア経済圏〉をつくってきた。90年代に入ると,そこにアメリカやEU諸国の企業が加わり,さらに中国がWTOに加盟(2000年)したことで,ネットワークは〈東アジア〉規模へと拡大する。これは,もはや後戻りのできない過程である。
成長する東アジアで利益機会を拡げるために,進出元企業の政府は進出先各国との政治的〈友好〉を追求しないわけにはいかない。「政冷経熱」は,やはり経済活動にかげりを生む。それは日本企業にとっても同じである。ところが,それにもかかわらず,日本外交は,日米同盟強化,米軍と自衛隊の軍事的一体化,自衛隊の海外での武力行使を可能とする憲法改悪と,東アジアとの友好に真っ向から敵対する方向を目指している。何より財界自身がその方向を目指しており,それが今日の財界の混迷と苦悩の震源となっている。
さらに加えて日本には,かつての戦争に対する誠意ある謝罪と補償という独自の歴史問題が残されている。ここでは財界自身が「政冷」緩和にむけて,一定の態度表明をせずにおれなくなっている。経済同友会の北城恪太郎代表幹事は「総理に今のような形で靖国神社に参拝することは控えていただいた方がいい」「日系企業の活動にも悪い影響が出る」という(2004年11月24日記者会見)。また,最近では日本経団連の奥田会長も「個人的な信条と国益とは……一致しない場合もある」と,小泉首相に「近隣諸国への配慮」を求めた(05年6月13日記者会見)。「日本の伝統をカネで売るのか」という靖国史観派からの巻き返しにも表れたように,ここでは確かに大企業・財界の利益追求が,表面的ではあれ靖国公式参拝への批判の原動力となっている。
もちろん,こうした財界の姿勢は,内外からの大きな批判があってこそのことである。資本主義企業一般の運動原理は利益の最大限の追求だが,果たしてどういう条件を備えたときに,自らの利益を最大化することが可能になるのか。その社会的条件は歴史的・地域的に変化している。例えば,かつては植民地の領有がそのひとつの重要な条件であった。しかし,それが世界に受け入れられなくなった時,〈植民地なき独占資本主義〉は自らの利益のためにこそ旧植民地との友好を積極的に築いてゆかねばならなくなった。同様に,あの侵略戦争を肯定する靖国神社への公式参拝は,けっして許されない。そういう批判と包囲の力が強固になれば,日本の財界もある瞬間に自らの利益のためにこそ,靖国参拝に反対せざるを得なくなる。同じことが,内外世論の成熟にともない,歴史問題全般における誠意ある謝罪と補償,さらにはアメリカの意向にとらわれない自主的な外交姿勢の形成,平和の拠点としての日本づくりなど,日本社会の民主的改革にとってより重要な問題についても起こり得る。そういう可能性と展望を,財界の現瞬間の〈苦悩〉は示している。
このような問題意識に照らして,本稿が述べてきたことをあらためて整理すれば,それは次のようになる。東アジアにおける経済の発展とアメリカ離れの必要に対する東アジア諸国の認識の深まりのもとで,この地域での利益獲得の条件を手にしようとする財界の動きは,「ドル離れ」に寄与するアジアの金融・通貨協力において,すでに一定の実績をつくっている。何より,それは日本の大企業自身の利益が求めたことである。また,より長期的な将来展望についても,日本経団連は日米同盟と東アジア共同体の両立を語らずにおれなくなっている。それはブッシュ政権の対東アジア政策と相いれないものにもなっている。さらには,日米同盟よりも,東アジアとの共同に重心を移そうとする見解さえもが,少数ではあれ財界とその周辺部分に生まれている。このように東アジアの成長と自立への強い志向は,日本の経済界に新たな変化を起こす力となっている。ただし現状では,政財界本流は深刻な混迷の中にありつつも,日米同盟強化の道に最大の活路を見い出している。したがって,これを許さない強固な世論を,東アジア人民との連帯のもとにつくりあげていくこと。これが,現時点でのわれわれの闘いの焦点となる。その批判と包囲の強まりは,財界内部に東アジアとの共同を重視する力を大きく育て,東アジア全体の歴史の進歩に貢献しうる日本経済づくりを進めることにもなっていこう。
(1)「しんぶん赤旗」2004年12月1日付。
(2)リチャード・アーミテージ「東アジア共同体への参加は国益になるのか」『WEDGE』2005年5月号,5~6ページ。
(3)「朝日新聞」2005年5月1日付。
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