1)欠席1名。「女衒について」(西田さん)からは,買売春を目的とした女性売買業者の歴史とともに,それと「慰安婦」徴収の連続性と相違を学ぶ。民間業者が「慰安婦」徴収にかかわる連続性の一方,93年の政府見解(河野談話)が認めたように,「甘言,強圧」の方法を含み「官憲等が直接これに加担したこと」も事実である。女衒の存在によって後者を見落とさないことが肝心となる。
2)西田さんが見つけてきたネット上の「従軍慰安婦問題は問題ではない」論を検討する。現時点ではあれこれの判断を下す前に,吉見テキストとの見解の相違や両見解の根拠の相違あるいは根拠の有無を確認していく。①「従軍慰安婦」という用語については,根拠には相違があるが,両者とも不適切だとする点は共通,②日本の「慰安婦」制度をフランスやドイツと同等とする点はテキストとの相違点,③「慰安婦」制度を戦後の買売春と同列に扱う点も相違点,④また「慰安婦」民間の売春業者が連れ歩いた民間人という評価はテキストとの重大な見解の相違点。
⑤「慰安書」設置によって「強姦事件はほとんど発生していない」という評価も大きな相違点,⑥「慰安婦」等の証言に誤りや曖昧さがあることを認める点は両者に共通,しかしそれをもって一切の信憑性を否定しようとする点はテキストとの相違点,⑦「慰安婦」の「誘拐」を被害者家族が黙って見ているわけがない,だからそれは無理だったという主張も相違点,⑧公娼が「慰安婦」となったケースがあることを認める点は共通点,ただしそれでつねに収入が3倍以上になったかという主張は相違点。
⑨吉田清治氏の本に意図的な虚構があり,千田夏光氏の本に一部誤りがあることを認める点は共通点(吉見見解は別文献),ただしそれをもって同種の「慰安婦」研究全体が虚構であるかの印象を与えようとする点は相違点,⑩92年1月11日「朝日」掲載資料の評価については基本的に共通に見える,⑪94年12月5日防衛庁公表資料の評価についてはテキストによる直接の評価は不明,ただし軍による「慰安所」利用規程などの文書と利用の実態に相当大きな相違があったことをテキストが主張する点は相違点,⑫「ジャワ島セラマン」での事件の件は,「ジャワ島スマラン」の誤りであろうし,また戦後のオランダによるBC級裁判の内容をあたかも日本軍による軍規の徹底であるかのように書いてあるのは明白な誤りと思われる。全体として両者の相違点については,テキストが少なからず軍資料や軍人・「慰安婦」らの証言を根拠とするのに対し,「問題ではない」論は文章そのものが短いこともあって,それらの提示はほとんどない。
3)「売春防止法」「風適法」(84年に風営法から風適法へ)について(渡辺さん)。「売防法」については各種刑事処罰が列記されるが,最高で「7年以下の懲役及び30万円以下の罰金」であり,処罰の軽さに驚かされる。「風適法」が今日どのような意味でザル法となっているかについては,あらためて調べを重ねることにする。
4)テキスト第Ⅲ章「女性たちはどのように徴収されたか」,第Ⅳ章「慰安婦たちが強いられた生活」を読む。「徴収」の直接的な強制性については軍資料などの紹介はなく,「慰安婦」等による証言が圧倒的。部分的には軍人の側からの「同情」的な証言も。ただし軍による命令の実施が「強制」をはらむことはごく自然であり,命令文書に「強制的に」といった文言が見当たらないことは当然ともいえる。生活やレイプの実際についても,ほとんどが「慰安婦」あるいは「利用者」の証言による。この種の証言に,可能な限り物証との照合が求められるのは当然だが,体験者によってしか知り得ない事実が証言をもとに後日確認されることもあり,物証との照合ができないことをもってこれを全て否定するという姿勢は誤りであろう。
5)発見されている軍関係資料により,「慰安婦(所)」制度への軍の深い関与はすでに動かしがたく,それゆえ「問題でない」論の主張は,直接的な物証の見当たらない領域で論を張るしかなくなっている。それが「強制を証明する物証はあるのか」という論となり,また物証がないことを根拠に「慰安婦」証言を全面否定し,はては証言者を意図的な事実捏造者と断定する論となっている。ただし,そう主張する論それ自体にも自らを正当化する物証はない。状況がそのようなあれば,全体としては「徴収の直接的な強制性」以外の分野での物証から,「徴収」の方法を類推することの合理性が焦点となる。そして,それは国連による調査や「女性国際戦犯法廷」の審理によって確定済みに思えるが。次回でテキスト『従軍慰安婦』を終える。
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