週刊『東洋経済』(10月14日号)から「強い大学」特集の関連部分を紹介。本学は「卒業生が稼ぐのはこの大学! 40才モデル年収」で全国18位にランク。その年収820万の高額にどこまで根拠があるかはわからない。しかし「30才・40才・生涯賃金」のいずれでもトップをしめた国際基督教大学が,教養教育・外国語教育・少人数重視の大学であることは特徴的。
テキスト第2章「性別とは──『性』の多様性」を読む。男は漁労,女は畑作,「女写し」(生物的形態としては男性)は家事・育児という3種のジェンダーがポリネシアにはある。いわゆる性別は男女2つだけではない。身体的性別でも,染色体がXXなら女性,XYなら男性といわれるが,実際にはXYY,XXY,XO,XXXなどの種類がある。前二者が多数だが,それ以外のものがないということではない。
性の自認も生物的形態とは異なる場合があり(性同一性障害とも呼ばれる),形態と自認がいつでも一致して2種だけであるわけではない。性的指向(セクシュアリティ)も「異性愛」「同性愛」「両性愛」と多様。女性性・男性性の性役割をどのように受け入れるかも,各人多様である。これらの多様性を「正常(多数派)」からの「逸脱」ととらえるのでなく,ありのままの存在として受け入れることが進んでいる。
日本では平安時代の貴族や僧侶の日記,戦国時代の武将の記録に同性愛の記述が多く,江戸時代の春画も同性愛を多く描いている。少なくともこれらは隠されるべきものとは思われていなかった。大きな変化が起こるのは明治以後。1つは資本主義のもとで文化の画一化がすすむ。2つは軍事大国化の国策(人口増)にしたがい,子どもをつくれないカップルの排除が進む。それが「逸脱」としての考え方を広めるきっかけとなった。
今日の国際社会では「逸脱」の考え方が,あらためて崩れつつある。オランダのように同性愛のカップルを法的に承認する国も生まれている。他方,日本では憲法「改正」とも結んで,伝統的家族への復活,ジェンダーフリー教育へのバッシングといった強い逆流が生まれている。
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