①最近のニュースから「インド・アフリカフォーラム首脳会議」(4月8・9日)の様子を紹介。
インドとアフリカ14ケ国およびアフリカ連合(AU)との会議。「デリー宣言」と「協調の枠組み」の2つの文書を採択。
会議の中でインドは、後発発展途上国(LDC)からの輸入無関税化による支援を提起。アフリカ34ケ国がこれに含まれる。
また「デリー宣言」では、国際紛争を多国間協議で解決することや国連安保理の改革も提起している。
②インド社会の入門的な概要解説も。
面積は日本の9倍、人口も9倍で人口密度はほぼ同じ。公用語はヒンディー語だがきわめて多くの言語がある(憲法が承認しているものが他に17言語)。信仰者の比率は、ヒンズー教82.7%、イスラム教11.2%、キリスト教2.6%、シーク教1.9%、仏教0.7%、ジャイナ教0.5%。
通貨はルピー。主な輸出先は、アメリカ・UAE・中国・シンガポール・香港、輸入先は中国・アメリカ・スイス・UAE・アメリカの順。内需主導の経済だが、労働者の6割は農業労働者であり、消費力は天候に大きく左右される。
経済成長率が高いこと(06年で8%)の要因は、FTA促進による輸出増、インフラ整備による投資拡大、ソフトウェア産業の成長、規制緩和による外資流入、生産年齢人口(15~64才)の増加、「中産階級」の成長などによる。
外交関係は多面的。東アジアサミットの一員でもある。
③インドの長い歴史から。
紀元前2600年のインダス文明以降の歴史があるが、ここではムガル帝国(1526年)建国以後。16世紀には東南アジア貿易ネットワークに西欧が加わる。その中心はスペイン、ポルトガルからオランダ、イギリスへ。18世紀後半にフランスを押し退けて、イギリスがベンガル地方の徴税権を得る(1765年)ことをきっかけに、東インド会社主導の植民地化が進む。
1857年にはセポイの反乱など大規模な独立戦争が起こるが、鎮圧され、1858年にはムガル帝国滅亡。インドはイギリスの直接の統治下におかれる。1877年にはイギリス女王がインド皇帝を兼任するイギリス領インド帝国成立。
日露戦争での日本の勝利もひとつのきっかけに独立の機運が高まる。イギリスは親英組織として全インド・ムスリム(イスラム)連盟を発足。第一次大戦では自治権提供の約束を反故にし、さらに独立運動が強まる。日本の東南アジア侵略をきっかけに、チャンドラ・ボースは日本軍の援助で独立をめざしもする。
ヒンズー教徒とイスラム教徒との対立から、1947年インドとパキスタンが分離独立。イギリス領インドは消滅となる。東西パキスタンの東部はバングラデシュとして独立し、インドとパキスタンとあいだには3度の戦争も行われる。
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