テキスト93~108ページを読んでいく。
ベトナム戦争中の1967年に創設されたASEANだが、必ずしもアメリカ支援のための組織ではない。そのことは、71年の中立地帯宣言、76年のTACとASEAN協和宣言などにあらわれる。
90年代以後には、アジアの手になるアジアか、アメリカの傘のもとのアジアかという対立が、ASEAN・東アジアサミット主導か、APEC主導かという対立の形であらわれる。アメリカは93年に「新太平洋共同体」構想を発表し、同年にシアトルで初のAPEC首脳会議を行い、94年には為替や貿易の自由化をすすめる「ボゴール宣言」を採択していく。
しかし、97年にはアジア通貨危機が起こり、これがアジアのアメリカに対する信頼を失わせ、アジアのアメリカ離れ、ドル離れが促進されることになる。通貨危機に対して大蔵省はAMF構想を提案し、2000年にはチェンマイ・イニシアチブが合意される、さらに2002年には日中通貨スワップ協定が結ばれ、東アジア共通通貨への合意の土壌が形成される。
これは、ブレトンウッズ協定による「ドル特権」の形成、長期的なドルの減価、ユーロなどの地域共通通貨の形成、湾岸諸国(2010年スタート)や東アジアでの模索、それに加えて今回の金融危機をきっかけとした「ブレトンウッズ2」の提唱へとつながるもの。
日本経団連も、対米関係と対東アジア関係という外交上の2つの軸をもうけ、すでに東アジアの通貨統合を語っている。
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