3週間ぶりのゼミであり、当面の日程調整にいくらか手間がかかる。
沖縄問題についての学生たちからの報告は「琉球王国成立から沖縄県の設置まで」(高野さん)、「沖縄戦について」(畠中・原本・井上さん)、「沖縄の集団自決」(岡本さん)、「沖縄返還以後」(有冨さん)、「沖縄返還後の歴史」(妹尾さん)。
徳川幕府・薩摩藩の軍事的影響下におかれ、1879年には明治政府によって独立が奪われる。戦争にあっては「本土防衛」の捨て石とされ、さらに、皇軍とその背景にある思想によって「集団死」が強制される。
戦後はサンフランシスコ講和条約によってアメリカの統治下におかれ、今日も多くの米軍基地が圧倒的に集中する。米兵・米軍による被害がまともに裁くことさえできない日米地位協定も、沖縄県民ではなく日本政府がアメリカとのあいだに取り結んだもの。
この歴史の上にある政府と沖縄県民の関係をどうとらえ、それを自分の生き方にどう生かしていくか。大きな課題のひとつである。
映像「未決・沖縄戦」を見る。山原(ヤンバル)と呼ばれる本島北部での沖縄戦に焦点があてられる。
1944年10月10日の空襲から、45年までの長期にわたる沖縄戦。戦争体験者によるたくさんの証言が重ねられる。戦場の恐怖も、たくさんの死体も、飢餓も、マラリアも、レイプも、朝鮮人軍夫も、「慰安婦」も、強制収容所も、強制「集団死」も。
石原昌家・沖縄国際大学教授が沖縄戦捏造の歴史や背景を、次のように語っていく。
「集団自決」は軍隊用語で「名誉ある死」を意味するもの。沖縄住民にこの用語をあてはめるのは、住民が軍と精神を同じくして死んだものに見せかけるもの。
恩給法から援護法への転換の過程で、本来、軍人・軍属を対象とした援護法の対象に、申請を行った沖縄の全住民が加えられる。そこには軍と住民のあいだに、軍との雇用関係に類似した関係があったという前提がある。
それによって、沖縄住民は戦争への積極的な協力者と、法によって位置づけられることになった。
他方、県民の中にも、これを政府による「補償金」と受け取る理解が広く、さらに死者を靖国合祀することを求める意見も一部にあった。
マスコミや研究者の一部にある「集団自決(強制集団死)」という表記は、まったく意味の違うものをイコールとしてつなぐ誤ったもの。
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