テキスト第5章「欧州憲法への挑戦」の途中から。
欧州憲法のきっかけは、01年10月の書簡「欧州よ、目を覚ませ」、共通の政治プロジェクトを
込められた危機感、①共同体の運営ルール改革の行き詰まり、②それを調整したニース条約(00年)がアイルランドの国民投票で否決(02年2度目の投票で承認)
01年EU首脳会議「ラーケン宣言」、欧州の将来像を論議する諮問会議(15ケ月、105名で)の創設を決定
2・連邦制か国家連合か
02年初の諮問会議(その後月1回)、有線テレビで全欧州に、ジスカールデスタン議長(元フランス大統領)の12ケ国語での挨拶
国家より共同体の欧州連邦制か、統合の意義をみとめながら国家間の調整を行なう連合論か
議論の中では、効率的運営、EUと市民の距離をどう縮めるかが大きな課題に、各国議会の役割をめぐって
03年独仏提案(シラク、シュレーダー)、04年憲法草案は首脳会談で正式採択、あとは各国の批准作業に
第6章「岐路に立つ大欧州」1・欧州憲法の批准否決
05年3月、スペインは承認、25ケ国の批准がなければ発効しない
05年5月フランスの国民投票で憲法批准否決、6月オランダも否決
なぜ反対したのかフランスの世論、雇用・失業、トルコ(イスラム)加盟反対、オランダの世論、国家主権の喪失など政治的理由
再生への見通し、①②③
2・「民主主義の赤字」とエリート主義
フランス、オランダの国民の声、欧州統合への熱意をエリート層と共有できない
05年5~6月のEU世論調査、EUが「信頼できない」43%、欧州議会への信頼の問題
欧州議会への懐疑派、①極右ポピュリスト、②民主的手続きの欠落、市民への説明不足
必要なのはEUへの市民の理解を深める取り組み
最近のコメント