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「極楽スキー」2004
2004年3月7日(日)~3月11日(木)……「極楽スキー2004」。
〔7日〕……出発の夜,電車がこない。
夜,「加島」発9時19分の普通電車で,「尼崎」へ。
しかし,行ってみると快速,新快速とも豪快な遅れが出ているという。
「神戸」方面で,機器の故障があったらしい。
これは,マズイ。
相方ともども,大慌てでタクシーに乗り込む。
阪急「十三」で,こちらだけが降り,ここで相方とは,しばしの別れとする。
こちらは,野沢温泉へスキーをしに,あちらはネパールへ何事かを企みに。
相方のご帰国は25日ころのことになるらしい。
9時49分発の快速特急で,「十三」から京都方面へと向かう。
あいかわらずの綱渡り人生である。
しかし,「大阪」からシュプールに乗り込むメンバーは,このダイヤの乱れにひっかかってはいないだろうか。
9時30分には,「西院」へ着く。
さらに,スイスイと9時40分には,チビたちのところへ到着。
キティラーのA子に,特殊キティを1つおき,ただちにC男と外に出る。
スキーにまるで関心のないB男は,マンガを1冊受け取った。
やたらと荷物の多いC男とともに,10時にはJR「京都」に到着する。
間に合った。
案外「余裕」の時間である。
0番ホームで,予定どおりU野先生と合流する。
しばらくしゃべって,やってきた10時20分発「シュプール3号」に乗り込んでいく。
約5分の遅れであった。
ただちにサロンカーへ移動。
そこでは,すでに6人のメンバーによる車内宴会が,にぎやかに行われている。
新顔はリサーチ鬼太郎と,ドクター佐藤(詳細はU田先生のHPのどこかを参照のこと)。
その他に,常連組として,M杉・I田・T橋・U野・U田の各先生がおり,それにワルモノ親子がつけくわわる。
このような顔ぶれでの,総勢9人の「極楽」である。
例によって,酒とつまみに事欠くことはない。
シャンパン,ワイン,焼酎,日本酒……。
ゴクゴクとのみ,バクバクと食べ,カジカジとしがみ,ガハハハと笑う。
ハロウィンネタや,飛田新地ネタでももりあがる。
C男はメンドーくさそうながら,それでも,バスケネタとバス釣りネタで話題にかんでいた。
たっぷりと「宴会」を楽しみ,1時には,全員「歯磨きの人」となる。
明日の朝は早く,常連組の平均年齢は高い。
バカ飲みしながら,しかし,あたまの片隅には,「明日があるから」の気分がある。
〔8日〕……アクシデント発生,C男ゲレンデに花と散る。
「ただいま5時13分です」。
「シュプール号」の朝は早く,車内アナウンスの開始時間もやたらと早い。
何度か,アナウンスの声に目を覚ましながら,7時にはキッパリと立ち上がることになる。
さいわい風邪は悪くなっていない。
結構なことである。
7時26分,列車は終点「黒姫」に到着。
快晴である。
見事な山であり,見事な雪である。
駅前から,7時40分発の「シュプール野沢1号」に乗る。
野沢温泉へのバスである。
雪にかざられた大きな山の景色をながめ,ウトウトしていく。
そのうちにバスは野沢温泉に到着する。
9時40分である。
予定どおり「いつもの飯屋」に突撃し,予定どおりI田先生が「食わしてくれ」と叫んでいく。
しかし,一昨年のような力づくでの「勝利」はなし。
やはり営業時間外に食わしてもらうのは無理のようである。
仕方なく,ホクホクと湯気のあがるお土産屋の前にむらがり,
野沢菜のはいった「おやき」や,アツアツの「温泉まんじゅう」を食べていく。
「おやき」は先日の「あど街ック天国」でも話題になっていたが,これがなかなかウマイのである。
いつもの「旅館・さかや」に入り,手続きをとる。
それぞれ宅急便で送っておいた荷物を確認し,ただちに温泉につかることにする。
月曜の朝である。
大きな風呂場には,他に1人の客もいない。
「ああ,極楽,極楽」。
この言葉とともに,「極楽スキー2004」は本格的に開始する。
10時30分には,ウェアに身をつつみ,スキーをかついで旅館を出る。
歩きづらいスキー靴で,ガチャリ,ガチャリと5分ほど歩き,
あとは長い「動く歩道」に身をまかせる。
そこを抜けるとゲレンデである。
真っ白なスキーの世界である。
ゴンドラに乗り,さらに,いくつかのリフトを乗り継ぎ,頂上へと向かう。
快晴,低温,無風,見晴らし良し,他の客少なし。
最高である。
本当に最高である。
11時30分には,山頂の「やまびこ」ゲレンデで滑り出す。
ワルモノ組は,親子してファンスキーである。
C男は今シーズン2度目である。
岩手出身のドクター佐藤が,軽快な技を披露すれば,
「あっち」方面出身のリサーチ鬼太郎は,以外に落ち着いた滑りでゲレンデを削っていく。
I田先生は,板からウェアまで全身「おニュー」のお披露目である。
12時30分,アクシデント発生。
C男が転倒し,足をひねってしまったのである。
アッチャー,いきなりコイツはどうしたことか。
とはいえ,ケガである。
スキーがうまく,医学に通じ(だってドクターだから),なおかつ一番若くて体力のあるドクター佐藤が,
ゲレンデの途中からリフトまでC男をおぶって,滑ってくれる。
ありがとうドクター。
ドクターには,初参加にして,いきなり大車輪の活躍であった。
スノーモービルが走り,オレンジのつなぎに身をつつんだ救急隊がやってくる。
「とりあえず,ゴンドラのやまびこ駅にきて下さい」。
救急隊員は,そう言い残して,C男を連れ去った。
急いで斜面をくだり,ゴンドラの駅へと向かう。
行くとC男はすでに,渋い表情で車椅子に座っている。
2人でゴンドラに乗り,「長坂」のゲレンデを一番下まで降りていく。
待っていてくれた救急隊のスノーモービルに3人乗りし,つぎにクルマに乗り込んでいく。
つれて行ってもらった先は,「旅館さかや」のすぐ裏手の「野沢医院」。
じつは「旅館」の露天風呂から,その一角が見えるほどの近さである。
「こういうケガが毎日あります」
「多いときは1日に10件くらい」
救急隊員は,落ち着いて話をしながら,C男のファンスキーのビンディングの問題を指摘した。
診療時間外の病院のなかで,ケガをした瞬間の模様などをアンケートに記入し,しばらく時間を待つ。
壁にはられた新聞記事をながめると,ここはスキー関係のケガについては,全国に名だたる第一級の病院らしい。
冬のオリンピックのチーム・ドクターなんて人もいるようだ。
C男の足のレントゲンから,診察が始まる。
とった写真が,診察する医師のパソコンに届く。
問診,触診のあと,バリバリとテーピングがほどこされていく。
右膝内側のじん帯損傷,そして右足首のコッタンセン(辞書にのっていない)損傷との診断である。
「安静にして,あとは,この袋に雪をつめて,ズッと冷やしてください」
「これから痛みやハレが出てくると思います」。
C男の「極楽」はあっさりと終わっていった。
それにしても,足をひねってから,ここまでの時間がじつに短い。
ゲレンデのレスキューのみなさん,ありがとうございました。
通常なら歩いて3分の距離を,10分以上もかけて「旅館」へもどる。
完全に,ケンケン状態である。
2時30分「さかや」でも車椅子を借り,C男は全面的に「ケガによるうなだれの人」となっていく。
部屋に入り,荷物を整理し,足をラクにすることのできるC男の居場所をつくっていく。
昼食をとっていなかったので,外に出てコンビニに入る。
そして,今朝も「おやき」を食べたお土産屋で,アツアツの「中華ドック」を買う。
「ホットドック」の中華まんじゅう版ということらしい。
コンビニで教えてもらった本屋は休んでいた。
病院でもらった袋に雪をつめこんで部屋にもどる。
まずは,足の冷却である。
つづいて「ドック」食いである。
さいわい痛みは強くないらしい。
スキーをあきらめ,テレビとマンガに当面する人生のいきがいを求めたC男は,
さかんにチャンネルをバチバチやりはじめる。
そして,2人で字幕版の「スタートレック」をながめながら,静かに眠りにつく。
4時30分ころになると,次々とゲレンデ組が帰ってくる。
そして,そのたびに「大丈夫ですか」「どうだった?」といった質問をあび,
「テーピングをした」「骨折はしてない」「固定して冷やすほかないらしい」といった,同じ様な回答をくりかえす。
6時には,温泉につかりに行く。
「冷やす」ことが必要はC男は,温泉に入ることもできない。
C男の「極楽」は,夢のかなたに去っていく。
6時30分から,夕食となる。
料理は思っていたより,はるかに豪華版。
その量も十分である。
1人だけ,イスにすわって「殿様」状態のC男は,和食中心の「旅館食」が苦手である。
このあたりで,C男の「極楽」は200%完璧に終わったようす。
それでも,各方面の同情をあび,あちこちから「肉」をもらって食っていく。
ビール3~4本があき,300ミリの日本酒4本があき,さらに追加した日本酒4号ビンが瞬く間にカラになる。
しゃべり,食い,笑い,飲む。
文字どおり,全力をついやしてこれを行う時間である。
満腹になり,8時30分には部屋にもどる。
そして,9時には2次会を開始する。
宴会場は,U田・U野・ドクター3氏の部屋である。
女性部屋,ワルモノ部屋(相撲部屋ではない)にくらべ,いちばん広い部屋なのだが,
その広さの質が独特である。
通常の広さの向こうななめ45度方向に,不思議な5角形の部屋がつけくわわっている。
フーコーの「監獄」を思わせるような,つながり方である。
「これでふすまをしめたら,全員,つぎつぎオカシクなるな」
そんな話しをしながら,やはり,ここでも,飲み,しゃべり,笑い,かじる。
ワインがあき,日本酒があき,焼酎があき,当然のように,空きビンがゴロゴロところがっていく。
「うう~ん,水がうまい」
「水割りがじつにうまい」
「口のなかで甘さがひろがりますね」。
蘊蓄(うんちく)と多角的豆知識をそなえる鬼太郎が,まるくまとめていく。
何度か,雪をとりかえ,C男の足を冷やしていく。
処置がはやかったためか,ハレにも痛みにも,大きな変化はなかったようだ。
その夜,テレビに熱中したC男は,酔っぱらった親ワルモノが眠ったあとも,
1人に遅くまでテレビをながめていたようである。
〔9日〕……ヤーコン論争から口開け論文まで。
8時,ケータイ目ざましのうなり声で目をさます。
夜中に,雪袋がはずれてしまったC男は,静かに布団をぬらしていた。
そして,「ゆかたの前」も。
「カッコわる~」「まあ,しゃあないやろ」。
それでも,若い人間の回復力はおそろしい。
すでに,痛む右足の先を床につけて,ピョコピョコと動き回りはじめた。
もはや,車椅子は不要である。
階段以外は,さほど遜色なく歩く。
8時30分から9時まで,朝食。
さすがに,朝は酒もない。
やわらかい温泉ガユを,温泉卵でパクパクと食べる。
このバランスがなかなかいい。
C男は「とろろゴハン」に熱中していた。
他のメンバーと別れて,今朝も「野沢医院」へと診察を受けに行く。
驚きである。
昨日は閑散としていた病院の待合室が,地元のジイチャン・バアチャンたちにうめつくされている。
なるほど,この病院は別にスキー客専用の病院ではなく,なによりも地元の人たちのための病院なのであった。
しばらく待って,診察をしてもらう。
「このままテーピング」「ちゃんと冷やすこと」が基本方針。
「明日はこなくていい」「京都にもどったら,もう1度形成外科にいくこと」などの指示を受ける。
ていねいに「紹介状」も書いてくれた。
ありがたいことだ。
「足なおったら,また野沢のスキー場に来てくれよ」と,お医者さんがC男に声をかけてくれる。
順調な回復は不幸中の幸い。
ヘコヘコ歩いて「旅館」にもどり,C男を部屋に残して,再び出る。
コンビニでC男の昼食や菓子を購入。
つづいて土産屋に入り,各方面への土産をただちに郵送していく。
キティラーには,「おこじょキティ」と「リンゴキティ」も忘れない。
さらに,2つの袋に雪をいれて,部屋にもどる。
食い物,飲み物,テレビのリモコン,足の冷却雪などをセットし,11時すぎには,
C男を見捨てて,1人ゲレンデへ向かう。
今日も見事に快晴である。
昨日より,少しだけ暖かいが,上にあがれば雪質にも問題はない。
1人で頂上付近を数本滑って,12時30分には「パラダイス」ゲレンデの「どんぶりハウス・コンドル」に行く。
ここで7人のメンバーと合流。
チャーシューメンを食べる。
スキー場らしい食事である。
店の名前どおり,たくさんのどんぶりがある。
そして,それぞれに「大盛り・普通・小さい」の区別も。
それにして,大盛りの威力をすさまじい。
食べ終わって,再び,山頂にもどり,ガツガツと滑る。
他のメンバーより滑走時間が短いので,なんだか力があまっているような気分になる。
それらしい滑りかたのよくわからないファンスキーだが,しゃがんだり,立ったり,手の位置をかえたりと,
いろんなことをためしてみる。
3時ちょうど,「パスタ・デ・パスタ」に集まる。
チーズ・ケーキとカプチーノ。
「来年はハロウィンのような仮装ですべってはどうか」といった話しも出る。
そして,また,時間を惜しんで,ゲレンデへもどる。
何本も「やまびこ」を滑り,最後の最後には,長い長い「林道」を下っていく。
4時30分には「旅館」にもどる。
ただちに温泉にとびこみ,ウデッと横になる。
太い丸太が枕としておかれた,「ウデッと横になる人」用の風呂である。
ついでに,風呂のなかでストレッチもする。
もう風邪の気配はどこにもない。
わが体力の完全勝利である。
風呂上がりには,U田先生・ドクターとともに,すぐ前の休憩所で地ビールを飲む。
部屋にもどり,C男の雪袋の雪をとりかえて,テレビをながめながらウトウトする。
心底「極楽」である。
6時半,夕食に集合。
ここで話題になったのが,「お品書き」にあった「ヤーコン牛肉巻き」のヤーコンである。
「ヤーコンとは何か」。
一方に,それは「大根のような根菜類であろう」との意見があり,
他方には,「おそらくモンゴルあたりにいるヤーコン牛という牛の種類であろう」との声も出る。
食事のお世話をしてくれた,お姉さんに聞いてみるが,満足のいく答えはでない。
わざわざ調理方面の人に聞いてくれた結果,正解はどうも前者であるようす。
しかし「世界のどこかにヤーコン牛はいるかも知れない」。
ひとしきりの「ヤーコン論争」であった。
2日間とも,食事はとてもおいしい。
さすがは「旅館・さかや」である。
C男が様々にお世話になったので,ここは特に,ひとつ高く持ち上げておきたい。
さすがは「旅館・さかや」である。
8時すぎから2次会である。
みんなでかなり飲むのだが,それでも酒がなくならない。
互いが持ち込んでいるそもそもの酒の量が多いのである。
どこまでつづく「宴会」ぞ。
酒の勢いをかり,ドクターS藤をさしおいて,健康談義に花を咲かせる。
「考えているときには,かならず歯をかみしめている」
「では,口をあけたままでは論文は書けないものなのか」
新しい実践の課題が提起される。
興味深かったのは,マウスピースによる交合の改善が全身にあたえる影響の問題。
何せ,顎関節症をかかえているのだから。
10時には全体が終わるが,なんだか飲み足りず,部屋にもどって,ピスタチオをかじりながら1人で酒を飲む。
そして,11時になって,C男と2人でカップラーメンを食べる。
なんだか他人に見られてはいけないような,後ろめたい気分になる。
しかし,満腹の酔っぱらいにカップラーメンである。
いままで話し合っていた健康問題にはまるで逆行する行為だが,
しかし,精神的にはあぶらぎった充実の瞬間である。
歯を磨くと,ブラシが真っ黄色に染まった。
カレーヌードルおそるべし。
〔10日〕……ああ,駅前そば屋無情。
今朝も8時の起床である。
うなるケータイには,マナーモードでも十分人を起こす力がある。
8時30分から朝食となる。
C男は「テーピングで足がまがらない」とブーをたれつつ,それでもヘコヘコと歩いている。
歩くぶんには痛みはないらしい。
またしても,温泉たまごで温泉がゆをすする。
何度もいうが,これがなかなかうまいのである。
9時すぎには,荷物の片づけをはじめていく。
3時ころまで滑るのだが,部屋のチェックアウトは11時である。
今のうちに荷物を部屋の外に出さねばならない。
居残りのC男用に特別の小さな部屋を用意してもらう。
そういえば,これはまったくのサービスで用意をしてもらった。
「旅館・さかや」万歳!
10時には,最後のゲレンデへと向かう。
3日間ぶっつづけでの快晴である。
こんなことはかつてなかった。
「これもC男クンが犠牲となってくれたおかげだ」
「あのケガは山と空の神への生贄だったのだ」
「いや,われわれ自身の日頃のおこないである」
好き勝手な言葉が陽気につらなる。
野沢温泉ゲレンデの水曜日は「ニコニコ水曜日」となっている。
水曜日にここを訪れると,次回のためのリフト1日券がタダでもらえる。
今日がその水曜なのだが,若いボーダーが2倍以上に増殖している。
「これはイカン」と,「スキーヤー・オンリー」の山頂「やまびこ」ゲレンデに直行する。
ガツガツと滑り,スルスルと滑り,ザクザクと滑る。
足に疲れがこないのがもどかしい。
そんな気分にさえなってくる。
ミッチリすべって,今日も12時30分には,「どんぶりハウス」に集合。
いつも朝昼はあまりハラがへらないのだが,今日はグーと,空腹を感じる。
こんなことは珍しいことだ。
そのグーの胃袋に,カツカレー,コーヒー,ソフトクリームを次々と放り込んでいく。
うまい。
たっぷりと動き回りながらの,ゲレンデでの食事は本当にうまい。
「はらへった」「はらへった」をくりかえしていた,U田先生・ドクターコンビのラーメンが,なぜかいちばん遅れた。
厨房をジッと見つめる2人の目には,木々も枯れる秋を思わせる,切ないまでのさみしさがただよっていた。
時間にせかされるように,残りの時間を滑っていく。
そうか,スケートと同じ要領で両手をふると,上下のからだのバランスがうまくとれるようだ。
ストックをもたない両手のやり場に,ようやくひとつの道が見えてきた。
しかし,きっと来年の「極楽」のスタート時には,そんなことはすっかり忘れているのだろう。
この数日,I田先生が,ドクターS藤の指導のもと,急速な技術の上達を示しつづけた。
最後を今日も「林道」でしめ,3時すぎには「旅館」にもどる。
温泉につかり,この4日間,「どうにでもなりやがれ」とのばしてきたヒゲをそる。
「真人間への復帰」のホンの少しの準備である。
風呂場を独占し,浅い「寝かせ湯」でストレッチをする。
荷物を片づけ,ほとんどを宅急便で送り出す。
C男には荷物をもたせず,何冊かのマンガとお茶,菓子だけを手にぶらさげさせる。
最後の清算を終える。
そして「今年も終わりましたね」と,ロビーで缶ビールをあけていく。
4時40分,いつものように「鳩車」の前で記念撮影。
温泉街を歩いてバス停へと向かう。
ターミナルで少しだけ時間をつぶし,5時05分発の「シュプール」バスに乗る。
次第に暗くなる外の景色を,名残惜しくながめながら,ウトウトしていく。
6時30分には,JR「黒姫」駅に到着する。
おっとどっこい,なんてこった。
夕食にとアテにしていた,いつものそば屋が閉まっている。
つめたい水でキリリとしめた「信州ソバ」を食わす店で,
「これがまた新鮮ウマイんだ」の馬刺しの例の店である。
なんてたっこ。
「今年はざるそば2枚で熱燗を」と,行く前から固く心に決めていたのに。
グッタリとショックにうちひしがれるが,まもなく立ち直って,みんなで近くのラーメン屋に入る。
ビール,餃子,チャーシュー,ザーサイ,ラーメン,コップ酒。
ラーメン屋には,ラーメン屋なりの楽しみかたがあるのであった。
さいわいにして,このラーメンがなかなかうまかった。
「さて,時間だ」と金の計算をしてもらいながら,
9人全員の目はテレビの「こんなウマイ寿司はない」という番組に釘付けとなっていた。
人間の食欲というものは,とかく,このように限りのないものなのである。
7時50分発の「シュプール号」に乗る。
ここが始発の駅である。
早々とサロンカーに陣取り,飲み,しがみ,しゃべり,笑うの体制に入る。
ラーメン屋から飲んでいるから,なんとも飲みの時間が長い。
20分も止まった「直江津」では,あらたに酒やつまみ,ソフトクリームなどが調達される。
冷静沈着を装うドクターも,レジで金を払って品物を置き忘れるなど,きびしい酔いにおそわれていた。
「シュプール号がなくなったらどうするのか」
「野沢温泉を死守したい」
「だが蔵王もすばらしい」
「おお,それはいい」
「でも,交通機関は飛行機になる」
「飛行機はいやだ,耳が痛くなる,それじゃあ,やっぱり野沢だ」
わがまま発言連発の主は,わが敬愛するU野先生であった。
「直江津」でかった練り物がうまい。
12時にせまい寝台にもぐりこむと,列車はちょうど「金沢」を通過するところであった。
〔11日〕……圧倒的な眠さである。
4時53分というチョー早朝の「京都」到着である。
わが親子とU野先生が,ここで降りる。
何人かの顔が,さよならと手をふってくれる。
乗降口から,歯ブラシをくわえながら,身を乗り出して手をふってくれたリサーチ鬼太郎をみて,
C男も静かに「鬼太郎……」とつぶやいていた。
ホームのうえでU野先生とお別れする。
改札を出て,しゃべっていると,家のカギがみつからないという。
「宅急便で送ってしまった」らしい。
まあ,明日・明後日にもかえってくる。
ともかく,C男を自宅へとどける。
当面のヤツの最大の心配事は,「家の用事」という理由で学校を休みながら,
この「足のケガ」をどう「いいわけ」するかということである。
「用事をしているときに,オトウサンに踏まれたというのはどうかな」
「黒姫」では,みんなが気楽なアドバイスをあたえていたが。
C男をとどけて,こちらは「京都駅」へとUターン。
5時52分発の普通電車で,ウトウトしながら移動する。
「尼崎」で乗り換えて,「加島」へもどる。
コンビニにより,郵便受から新聞やら封書やらをゴソッと抜き取る。
7時には,部屋に入る。
大阪の空はすっきりしない。
とりあえずと,留守電を聞き,FAXを打ち出し,メール46通をザッとながめて,布団に入る。
買ったばかりのお茶をゴキュゴキュと飲み,「ゴルゴ13」をながめて,眠りにつく。
これにて,「極楽スキー2004」全編の終わりでございます。
みなさん,お疲れさまでした。
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