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「極楽スキー」2005
2004年3月6日(日)~3月10日(木)……「極楽スキー2005」。
Y本先生からとどいた写真
〔6日〕……いざ野沢温泉へ。
2時就寝,8時30分起床の朝であった。
早く眠らねばと思いつつ,夜は「松五郎の人」となっていた。
ゆず茶を飲みながらメールをチェックし,トロトロと動いてシャワーに入る。
10時20分,家を出る。
JR「加島」から「尼崎」へ,「新大阪」へ。
おっと,これは,遅い!
しかし,天の助けというのはあるものである。
予定の新幹線(10時53分発)が,雪のために5分の遅れとなっていた。
駅の中をバタバタと走り,その「遅れ」情報の確認とともに,平穏無事な顔へともどる。
ホームには,すでに,今年の極楽スキー参加の人々が集まっていた。
Y本・M浦・U田・M杉・S藤・I黒の多角的各先生と,初参加のジュニアのSちゃんである。
とりあえずは,こちらをふくめて合計8名。
今年はシュプール号がつかえないので,新幹線での出発となる。
しばらくすると,京都から,U野先生が乗り込んでくる。
「お天道様の明るいうちは,酒には手を出すことができねぇ」。
「いつ飲みはじめるのだ」と心の中で牽制しあいながら,静かに東へと移動していく。
外はまぶしいくらいの快晴である。
滋賀県にはいったあたりで,どうしても山の上の雪に目がとまる。
「名古屋」到着11時45分の予定であった。
しかし,遅れは回復せず,到着は50分をまわってしまう。
「新大阪」ではありがたかった遅れが,ここでは逆にうれしくない。
ドタバタみんなで,乗り換えホームへ走っていく。
それでも,ホームで駅弁を買うゆとりにはめぐまれた。
名古屋からはI田先生も合流し,これで今年の顔ぶれ総勢10名が勢ぞろいした。
12時ちょうどには,「しなの11号」が発車する。
ごきげんうかがいのために,Sちゃんに「かにまんじゅう」を渡してみる。
学生の妙な土産も,こんなときには大いに役に立つ。
3年生T本よ,どこで買ったのかは知らないが,でかした。
それぞれに駅弁を食べながら,話ははずむ。
「来年は蔵王にいくというのはどうだろう」。
「山形空港まで飛行機でいけばいいのではないか」。
まだ,今年のスキーをしないうちから,来年の場所を考えはじめている。
だんだんテンションがあがってくるのである。
2時49分,定刻どおりにJR「長野」に到着。
ここで3時05分発の飯山線,普通列車に乗り換えである。
駅のホームで時間をつぶす。
天気はいいが,風がつめたい。
とはいえ,そうでなくてはこまるのだが。
時間によっては「ワンマン」もあるという,2両だけのこじんまりとした電車が時間に入ってくる。
ドヤドヤと乗り込んでいく。
3時半になったところで,離れて座っていた3人組から,U田先生が「ヒマなので」と散歩にやってくる。
車両をこえて電車を散歩する人間もめずらしい。
それくらい,ゆったりとした空気の電車であり,車内のようすであったということである。
「こんなにあちこち止まる電車なら,長野からタクシーでも良かったのでは」との声も出る。
何せこのルートははじめてである。
いろいろと「こうしてはどうか」のアイデアも出る。
4時06分,真っ白く雪だらけのJR「戸狩野沢温泉」に到着する。
たくさんキップがあってわかりづらく,ドクターS藤が帰りのキップまで駅員さんに渡してしまう。
それをみつけてくれた駅員さんには感謝,感謝である。
ここからは中型タクシー2台のはずであったが,やってきたのはマイクロバスのタクシー1台。
しかし,その方が,車内の空間が広く,みんなでおしゃべりもできるので良かったかも知れない。
「長野からここまでタクシーだと1時間で走りますか?」と聞いてみる。
「いや,1時間は無理だな,1時間半はかかるね」。
なるほど,止まり止まりではあっても,やはり電車で来たのは正解らしい。
しばらく運転手さんとしゃべり,9日の帰りのタクシーについても相談する。
「どうして黒姫にいくの?」「長野にいくんでしょ」。
なるほど,いわれて見ればそうである。
当初の予定ではタクシーで「黒姫」へ,そこから電車で「長野」へ折り返すことになっており,
そのため宿を夕方4時30分には出る必要があるとなっていた。
しかし,タクシー1時間半程度で「長野」に着くことができるなら,もっとゆっくり宿を出ることができる。
「では,5時30分発で長野までお願いします」と予定をかえる。
4時30分には,旅館「さかや」に到着する。
毎年お世話になっており,館内の様子も,「勝手知ったる他人の館」。
すでにとどけておいたスキー板や荷物を確認し,それから部屋へと通してもらう。
今年は3部屋を確保した。
女性の部屋,男性シニアの部屋,男性ヤングの部屋。
とはいえ,この男性ヤングの平均年齢がすでに40才をこえているであろうことが,いささかつらいところである。
部屋のテレビでゲレンデの様子を確認してみる。
大きなスキー場の代表的なゲレンデの様子が,次々うつる。
「よろしい」。
たくさんの雪があり,気温もそれなりの低さである。
満足して,みんなでただちに風呂に入る。
硫黄の香りが豊かな温泉である。
木の皮をきれいにはいだ丸太を枕に,浅い湯のなかに横たわる。
みんなでならぶと「メザシ」のようでもある。
そして,雪のなかの露天風呂へ,さらにはサウナへ。
椅子もおけも古くからの木製品。
実に良い風情であり,肌合いであり,湯気である。
6時前には,お湯を出る。
風呂を出たところに「休憩所」があり,ありがたいことに,だまっていても「そば茶」と「野沢菜」が出てくる。
しかし,決してだまっていないわれわれは,早くもビールを注文する。
何せ,ここまで一滴も酒を口にしていない。
ビールはその名も「YONAYONAエール」。
味と香りがしっかりとした,このあたりでしかお目にかかることのできないビールである。
サウナでかわいたカラタに,「2005極楽スキー」最初のビールがしみこんでいく。
6時30分から,食事である。
「サービス」として日本酒「水尾」の冷酒が4本もついていた。
それではまるで足りないのだが,もちろんこれはありがたい。
さらに,ビールも,熱燗も,Sちゃんをのぞく9名全員が,おのれのからだにしみこませていく。
食べ終わったところで,ただちに酒の買い出しに出る。
それぞれが自宅からもってきた酒4~5本はあるのだが,
「これでは足りない」「明日も,明後日も飲むのだ」という力強い合意があり,
U田・S藤・I川という,酒買出特殊工作部隊がつくられる。
15分程度で,任務は見事に完了である。
途中,薬局でゲレンデ用の日焼け止めも買ってみる。
部屋にもどって,ただちに宴会である。
毎年のことだが,話題はじつに多様である。
そして,人というのは,話してみねばわからぬところがあるものである。
安保条約,日韓条約,ベトナム戦争といった硬派な話題から,
「スキーより南の島がいい」という人さまの意表をついた酔っぱらい発言,
そして「和菓子づくりが趣味なのです」の声まで。
10時をすぎたところで,シニア部屋3人組が「明日にそなえて」と部屋にもどる。
残ったメンバーも,11時には「本日の宴会」を終了とする。
とはいえ,6時すぎからの飲みである。
すでに4~5時間はやっている。
しあわせな気分でグースカと眠る。
〔7日〕……雲ひとつない快晴である。
11時すぎ就寝,7時30分起床の朝である。
明け方,寒さのせいで目がさめたが,それでも全体的には良く眠ることかできたと思う。
ただちに温泉に向かい,シャクシャクと歯をみがいて,湯船につかる。
8時からは朝食である。
例年,ここから早くも太りはじめる。
そこには注意が必要である。
おいしい「麦とろ飯」だが,上のとろろを主にすすり,コメにはハシがとどかぬようにする。
1日の行動計画をみんなで確認して,いったん部屋にもどってみる。
TVでゲレンデ情報を確認し,気温のあがり具合も確かめる。
9時30分には,スキーウェアに着替えて,全員で宿を出発する。
スキーブーツをガシャガシャいわせ,肩にはスキーをかついで出発である。
長い「遊歩道」をのぼって,ゲレンデへ。
世間は驚くほどの「ピーカン」である。
文字どおり雲ひとつない快晴である。
ゴンドラであがり,リフトを乗り継ぎ,ただちに一番上の「やまびこ」へ。
ゴンドラの中から,雪の斜面に「かもしか」を見る。
ゴワゴワの黒い背中が最初に見え,つづいて2本のツノをのせた大きな顔がはっきり見える。
ほう,かもしかというのは,こんなところにいるものなのか。
まる1年ぶりのスキーである。
滑ってみるが,どうも手,足,腰の動きがさだまらない。
からだのあちこちがうまくつながらないといった感じである。
前傾の深さの問題か,ターンの大きさか,腕の振りかと,あれこれ少しずつためしてみる。
この2年はもっぱらショートスキーを愛好しており,今年も,両手にストックはない。
12時ちょうどには,全員「どんぶりハウス」に集合。
ここでも,食い過ぎをおさえるために,もっともあっさりしている(ようにみえる)醤油ラーメンを食べてみる。
「コロッケカレーの大盛り」といった巨大な食物を,見る見るうちに食べ尽くす屈強な御仁もおられたが。
1時には,ふたたびゲレンデにもどる。
ようやく斜面にカラダがなれてくる。
バラバラだった全身のバランスが,だんだん1つにまとまってくる。
姿勢を低くたもって,両太股の力をガシガシとつかって滑るのが気持ちいい。
調子がもどってきた3時には,全員「パスタ・デ・パスタ」に集合する。
「どんぶりハウス」とあわせて,これらの店は,この数年の安定した「ゲレンデの友」となっている。
苦いカプチーノで,甘いイタリアン・ジェラートを食べてみる。
つめたいものが,かわいたカラダにうれしい。
ふたたび「やまびこ」にあがっていく。
今日が月曜日ということもあるのだろうが,ボーダー禁止のゲレンデは,ほとんど「貸し切り」状態である。
天気の良さにも感謝し,斜面をターンしながら,「よろこびの舞」をM浦先生とともに披露する。
両手の自由なショート・スキーは,こういう時に便利である。
「技術と安全はカネで買え!」。
今年もU田先生が,くり返し吠えている。
全長5キロの「スカイライン」へ。
これは,山の尾根を走る最長コース。
遠くにつらなる雪山を見下ろしながらの滑走である。
じつに気分がいいのである。
4時からは,一番下の「日陰」ゲレンデで時間をすごす。
雪質は悪くなるが,それなりの距離と斜度があるので,ここも楽しくすべることができる。
上でリフトを降りたあたりに,ミニコブがつづいているのを見つけ,恐る恐るためしてみる。
「おお,これは面白い」。
1度目は,コブ3つではじき出される。
2度目も,やはりコブ3つで宙に舞う。
3つめで飛ばされているということは,じつはきっと,1つめからまるで乗れていないということである。
名手ドクターS藤にコーチをお願いし,3度目には,どうにかコブ5つまですべることができるようになる。
斜度が小さいので,気分がラクだ。
「面白い夕方のおもちゃを発見した」と,無邪気に喜ぶ。
5時すぎには,スキー場の入り口にある貸しスキー屋に,こちらのスキーを預けて歩いて帰る。
スキー場も便利になったものである。
5時30分,さっそく風呂でカラダをのばす。
ひさしぶりの酷使に,からだもあちこち悲鳴をあげている。
なんと,Y本先生が風呂の中にまでデジカメをもってきた。
露店風呂で,はいポーズ。
このオッサン集団は不気味である。
今日もサウナで汗をしぼり,6時すぎには「YONAYONAエール」をクピリと飲む。
女性陣をふくめて,ほぼ全員が,ここに集まり飲んでいる。
つづいて6時30分から夕食である。
果たしてウェブ上の日記は「露出趣味」なのか,
ラブリーとラグビーの関係やいかに,あの人の体重はなど,
じつにアホな話で盛り上がる。
アホな大人たちを横目に,まだ5才のSちゃんは,静かに「お子さまメニュー」を食べていた。
8時20分に食事は終了。
見つけたマッサージ機にカラダをはめこんでみる。
ほう,良くできたものである。
ふくらはぎや足のうらまで,もんでくれる。
「ああ」「うう」「いたたた……」などといいつつ,15分間もみしだかれる。
フラフラと部屋にもどり,9時前には,今夜の宴会を開始する。
子どもである自分と父との思想的葛藤,親である自分と子との関係,コブ攻略の方法について,
そして,M杉・I田両先生による二人完結漫談……。
大笑いのなか,今夜の極楽宴会は12時に達した。
〔8日〕……雲を切り裂く「よろこびの舞」。
やや眠りづらい夜をすごし,しかし7時30分の起床とする。
今朝もただちに温泉へ。
足の疲れは平気だが,なぜか背中がはっている。
わがストックなし特殊滑走法は,姿勢を維持するのに,胴体四方の筋肉を良くつかっているようである。
8時からの朝食である。
今朝も「すまないね」とつぶやきながら,「麦とろゴハン」のゴハンを残す。
席の向こうでは「日本人の食事は4割を残飯としている」「この不条理をどう考えるのか」とU野先生が吠えている。
他方で,「旅館の食事はどんな好き嫌いのある人にも食べてもらえるように,
いろんな種類のものをつねに多めに出しているのです」という,
M浦先生のありがたいお言葉も耳に入る。
しかし,わが炭水化物摂取減作戦は秘密とされた。
8時30分,念のため,食後ただちにマッサージ機にはまってみる。
9時30分には,みんなでガチャガチャとゲレンデへ向かう。
山の上は,昨日ほどの「ピーカン」ではない。
しかし,滑ってみると,雪質はいい。
さっそく「やまびこ」に上がり,サラサラ,サクサク,ふんわり雪を踏みしめてみる。
空の色を上下に区切る,遠くの山の上の直線については,
「おそらく逆転層だと思います」とM浦先生に教えてもらう。
なるほど,そういうものなのか。
この人は,いろんなことを知っている人である。
11時半まで,何度も滑り,そろそろ昼食ですねと下に降りる。
途中「上の平」ゲレンデあたりで,I黒親子と合流する。
スキーははじめてのSちゃんも,I黒オカアサンの指導(?)のもとに,
はやくも緩斜面でのボーゲンにカッコウがついてきている。
子どもの運動能力,吸収能力というのは大したものである。
昼食を食べる「どんぶりハウス」は,山の中腹の「パラダイス」ゲレンデにある。
ところが,下に降りるほどにガスが深まり,視界がドンドン悪くなる。
どうやら,山の低い位置の雲が,どんどん上昇しているらしい。
ちょうど「パラダイス」で視界は最悪となる。
目の前の1人がようやく見える程度で,2人先だとほとんど見えない。
「店はこのあたりだ」というカンだけを頼りに,すべっていく。
12時には,食い物を探る嗅覚の力で,なんとか店にたどりつく。
唯我独尊の単独滑走人生をおくるU野先生も,しばらくして無事,食料補給にやってくる。
味噌ラーメンを食べながら見る外は,カーテンをひいたように真っ白である。
「こりゃあ午後はダメかなあ」。
テレビ画面の各ゲレンデも,どこもかしこも真っ白である。
サービスに出されたりんごをかじり,コーヒーを飲んで時間をすごす。
結局,1時の時点で雲の中に残されたのは「やまびこ」だけ。
中腹以下のゲレンデには見事な青い空がひろがった。
「これならなんとかなるだろう」と,午後はいきなり「スカイライン」へ上がってみる。
雲の中に見えた頂上近くからのロングコースだが,あがるにつれて雲が次第に切れていく。
ここでも,空と太陽に向けた「感謝の舞」を披露する。
かつてモーゼが海をわったように(知らないけど),われわれもガスを晴れさせながらすべっていく(本当だ)。
ガシガシ,ガシガシガシガシ……。
3時には,「パスタ・デ・パスタ」にふたたび集合。
今日も,苦いカプチーノでカラダを刺激し,甘いジェラートでカラダをいやす。
アメとムチの両面作戦。
4時からは,「日陰」ゲレンデに下り,昨日にひきつづき,小コブのラインに挑んでいく。
「しっかりと深い前傾を」「スキーの腹を下に見せずに」
「もちあげられたらカラダをかぶせて」「上体は常に谷に向けて」。
1本すべって失敗するごとに,ドクターS藤のアドバイスがとぶ。
「ターンの後半はしっかり踏んで,スピードをコントロールする」。
おお,ついに出来たではないか。
人間,適切な指導があれば,やれることはこの年になってもふえるものである。
その後,何度かの失敗のすえに,見事ふたたび成功する。
満足のひとときである。
5時になると,ゲレンデ全体に「夕~焼~け 小~焼~けで」が流れてくる。
「みんな早くかえれよ~」
「下山の遊歩道をとめちまうぞ~」という合図である。
空には本当に夕陽がさして,うすいオレンジ色があらわれていた。
M杉先生等は,今日はスキーブーツもあずかており,帰りは普通のクツである。
限りなき「極楽」「ラクチン」が追求されているようである。
5時30分には宿にもどる。
宿の玄関には大きな「ハト車」があるのだが,そういえば,この場所をつかったビタミン飲料のCMがあった。
何度かTVで見た記憶がある。
ただちに温泉にひたっていく。
「ああ~,極楽,極楽」。
そして,湯上がりには,やはり「YONAYONAエール」。
「ふたたび,ああ~,極楽,極楽」。
6時30分からの夕食は,地元の牛をつかったすき焼きであった。
「おお,ウマイ,ウマイ」とバクバク食っていると,さらに次々料理がやってくる。
われわれはすでに,人の形をしたブロイラーと化している。
そう思いながらも,うまさに負けて,最後のうどんをズルズルと食う。
「みたび,ああ~,極楽,極楽」。
8時30分,この旅行2度目の買い出しに出る。
われわれの買い出し先は,酒屋以外には考えられない。
M浦・U田・S藤・I川の各精鋭部隊は,先日とはちがった酒屋に足を向ける。
「あれも,これも,そして,こいつも」。
各人各様の酒選びである。
宿にもどり,今夜もマッサージ機にはまり,9時からいつもの宴会とする。
相も変わらずテーマは多様。
「堤の脱税が」「政治家の集まる結婚式は」「武富士会長の脱税も」
しかし,中でも最大の盛り上がりを示したのは「冬ソナと奥様」という巨大な関係についてであった。
全何話をどこまで見たとか,かつての日本のドラマに似ているとか,
これによって日韓関係はどうなるとか,わが家もあれでDVDを買ったとか……。
そんなこんなで,にぎやかに夜はふけていく。
〔10日〕……アクシデント。そして「うまいそばは,急いですすれ」。
12時就寝,7時30分起床の朝であった。
今朝もまずは温泉へ。
すばやく歯をみがき,湯船でうなり,8時からの朝食に間に合う。
残念ながら,今日は最後の1日である。
とはいえ,シュプールなき今年の日程には,いつもにはない「ゆとり」があった。
他方で,宿での宿泊数はふえている。
自覚する以上にカラダはつかれているかも知れない。
「5時30分にはタクシーがきます」「3時30分からは下山をはじめるようにしましょう」。
予定を確認して,各自,荷物をかたづけ,9時30分にはフロント前に集合する。
数々の飲み代の清算もすませ,宿の入り口で「記念写真」をとる。
そして,心して「遊歩道」をあがっていく。
I黒先生とSちゃんの親子コンビは,一足早く,昼には帰る。
ゲレンデに立ったところで,「じゃあ,また」とお別れをすませる。
「ぜひ,来年も来てください」。
「Sちゃんも,酔っぱらいの大人たちにこりないでね」。
こちらは2年ぶりに「長いスキー」をはいてみる。
ショートスキーの経験が,長いスキーの運用にどのような前向きの成果を生んでいるかを確かめるために。
重いスキーをかついであがり,頂上の「やまびこ」で何度かすべってみる。
しかし,「前向きの成果」はひとつもなかった。
驚くべき事態である。
滑り方がまるで違っているらしい。
「う~む,これはイカン」。
これでは,いつものような「楽し,妖しのガジガジ滑り」がまったくできない。
長いスキーに見切りをつけ,1人で下界の貸しスキー屋にもどる。
そして,預けてあったショートスキーにはきかえ,ふたたび山へともどってくる。
昼食時間が近いので,「パラダイス」でショートの味わいを確かめる。
しみじみと,これがからだにあっている。
長いスキーが技術・作法を要する竹刀とすれば,
わがショートスキーはスポーツチャンバラのスポンジ刀。
妙に肌になじむのである。
人柄はスキーを選ぶということである。
12時をちょっとまわったところで,「どんぶりハウス」にかけつける。
今日は,ふたたび醤油ラーメン。
I田先生はから揚げどんぶりの小,U野先生はカレーライス,M杉先生はホットケーキと,それぞれ好きなものを食べていく。
3日もつづけてバクバク食うので,店からドリンクのサービスがついた。
「来年も来てね」ということであろう。
そういえば野沢温泉は,町をあげての「スキー・ボード客歓迎」という姿勢が,じつにしっかりつらぬかれている。
宿泊客減少のご時世のなか,その努力は,町自体の存亡をかけた取り組みでもあるのだろう。
がんばれ,野沢温泉。
ふたたび「やまびこ」にあがり,2時30分には「やまびこ」最後のひと滑りを終える。
これで3時からの休憩に入れば,今年の滑りは終わりである。
名残惜しく「パラダイス」に妖気をただよわせて,ガジガジすべる。
「あんなすべり方は,ゲレンデ中にアンタしかいない」。
足の疲れと闘うことが,心のそこから楽しく思える。
3時すぎ,「パスタ・デ・パスタ」に集合である。
今日は,サービス券をつかった,ただのアメリカンと,金のかかるジェラート。
ここでもさらにサービス券をもらい,「また来年つかってください」と声をかけてもらう。
人に優しいスキー場である。
つい3日前には「蔵王だ,蔵王だ」とさわいでいた連中が,
「やっはりスキーは野沢だね」と,なにごともなかったかのように語っている。
考えてみれば,これはこの数年,毎年くりかえされる光景である。
3時30分,下山の態勢に入っていく。
新しくつくられたコースをとおって,下まで滑り降りていくのである。
ところが,ここで,アクシデント発生。
どうということもない転倒に見えたが,I田先生のスキーのビンディングがこわれてしまった。
流れ止めがグイッとねじれて,すべることができなくなってしまったのである。
そのことに数人が気付いたのは,他のメンバーが先に降りたあと。
下でまちながら,こちらも「なぜ降りてこないのだ」と不思議に思ってケータイしてみる。
このような時,ケータイはまったく便利である。
「すべることができない」「下にいるドクターS藤に連絡した」「モービルが来てくれる」ということで,
「じゃあ,一番下で合流しましょう」という結論になる。
アタフタしながらも,事態は解決の方向を向く。
下の貸しスキー屋の前で,しばらく待つと,赤いランプをクルクルまわした雪上モービルが来る。
乗っているのは,I田先生。
「すみません,すみません」とのことだが,ケガがないのがさいわいである。
今日もまた唯我独尊の1人滑りを楽しんでいたU野先生が,
「いったい何があったのか」という顔で降りてくる。
「さあ,急いで宿にもどりましょう」。
このアクシデントで,20~30分は予定の時間に遅れている。
今日は,スキーもブーツも,みんなが持って,降りねばならない。
4時30分には宿に到着。
ただちに宅急便郵送の準備に入る。
ギュウギュウと荷物をつめていく。
そして,最後の温泉である。
筋肉をほぐした程度で,すばやく湯船を出ることにする。
ただちに外にでて,あわただしい土産購入の行動である。
時間どおりにタクシー(マイクロバス)が来る。
結局,出発時間は予定より2分遅れただけの5時32分。
一致団結しての全員大急ぎ行動の見事な成果である。
後ろ髪をひかれながら,ついに旅館「さかや」を後にする。
食事も風呂も部屋もサービスも,いうことなしの旅館である。
今年も,お世話になりました。
JR「長野」発の電車の時間は7時31分である。
それまでに,なんとか「信州そば」を食べようという作戦である。
I田先生が宿のインターネットで調べてくれた駅近くのそば屋「柏屋」をめざす。
クルマのなかで,全員がウツラウツラしたあと,
「いったいそば屋はどこにあるのか」が大きな問題となっていく。
運転手さんも,その店は知らない。
「長野駅西口にあるバス停の前の大きなとおりをわたって,駅を背にして左側の道を直進して,左側100メートルです」。
I田先生が何度も,悲痛な声でくりかえす。
「あれではないか」「この道でいいのか」「それらしい看板があるぞ」「おおあった」「ここだ,ここだ」。
事前に予約しておいた店に,ドヤドヤと入っていったのが6時50分。
ただちに「ざるだ」「大ざるだ」「熱燗だ」と注文がとぶ。
安全策をとって7時15分には店を出たい。
心は落ち着かないが,出てきたそばはウマかった。
さすが信州のそば屋である。
やや平らな麺の形と,こしの強さ,そばの香りがすばらしい。
「あたたかいそばがいい」と,ぜいたくにも天ぷらそばを注文したU野・Y本両先生分は,当然できあがりが遅くなる。
予定の7時15分になったところで,「ではお先に」と年長者2人を見捨てて,われわれ6人は店を出る。
帰りは特急「しなの26号」。
駅のホームにコンビニをみつけて,酒のつまみを買い足していく。
酒は「さかや」の残りが何本もある。
チーム「天ぷらそば」も間に合った。
ただちに,シートを向かい合わせにして,飲めや,食えやをはじめていく。
はしゃぎすぎて,少々声が大きすぎた。
車内のみなさん,ごめんなさい。
時がたち,疲れがでるほど,われわれも次第に無口になっていく。
10時26分,名古屋に到着。
予定の「のぞみ」まで28分の待ち時間がある。
ここでドクターから「この時間の新幹線はすいてます」「早いのに乗りましょう」と提案がある。
決定即行動で,ただちに乗車。
ドクターのいわれるとおりであった。
車内はガラガラ。
ここでも,シートをグルッとまわして最後の時間を楽しんでいく。
脳味噌溶解からの立ち直りを気づかってか,最初に知的生活への復帰努力を開始したのはY本先生であった。
「読書」である。
おお,この数日,だれもがすっかり忘れていた,なつかしい響きの言葉である。
Y本先生の顔が,さっきのそば屋での顔とはかわっている。
人はこうして仕事モードにもどっていく。
「京都」でU野先生が降りられた。
11時30分,「新大阪」に残り7人が到着する。
大阪の夜は驚くほどにあたたかい。
新快速に乗り換え,「尼崎」で,3人が降りる。
そして,ここからわが極楽メンバーは,北へ,西へ,南へと別れた。
今年の「2005極楽スキー」全日程の終了である。
たくさんのサラリーマンの姿に,どこか違和感を感じながら,12時ちょうどには家にもどる。
ああ,早く,来年にならないかなあ。
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