待ちに待った2008年極楽スキーは、
3月10日(月)から13日(木)の日程で
いかにもにぎやかに開催された。
〔3月10日(月)〕
まずは、「大阪」駅に集合である。
9時42分JR「大阪」発
サンダーバード11号での移動開始となっていく。
M杉・M浦・U田・Y本先生という常連さんに加え、
今年はS藤先生が初顔としての彩りをそえる。
こちらは、8時54分に「座談会ゲラ」をメールで放り込み、
超特急移動の相も変わらぬすべりこみであった。
電車はゴトゴトと動き出し、
JR「京都」から、U野・I田先生と、
A子・C男が乗り込んでくる。
今年は総勢10名である。
この数年では最大の極楽勢力といって良い。
忙しくキーボードを叩く人、
論文や新聞を読む人、
ただただしゃべりつづける人と、
早くも各人各様の人格模様を
はげしく車内に展開しつつ、
12時すぎには「金沢」到着となっていく。
ただちに、全員で恒例の「近江町市場」に突進する。
そして「廻る市場寿司」に直行である。
この時期の北陸のサカナはうまいに決まっている。
おまけにここは市場の中だ。
熱燗、冷や酒などの注文がとび、
モグモグ、ワシワシ、クイクイ、
あ~ウメエ、ウメエ、極楽、極楽と食べていく。
こちらは、わが一族3人分の寿司皿タワー。
全員、ずっしり重い胃袋をかかえて店を出る。
いやはや、まんぷく、まんぷく、
じつにこれは、そのなんというか
人生タハッてなもんですなあ
などと、いつもどおりアホなことをいいつつ、
市場の中をブラついていく。
A子が、さっそくカニを京都に送っている。
店の大将とA子のやりとりを聞いていると、
あらかじめの値札はまったくただの飾りである。
う~ん、高いなあ、う~んと渋ると、
どんどん値段が下がっていく。
とはいえ、それでも、商売は成り立つようにできている。
1時半すぎには、再び「金沢」から北へと向かう。
「世界の車窓」ならぬ「北陸の車窓」には
酒とつまみが良くにあう。
シンと凪いだ日本海をながめるうちに、
次第に、外の雪が深くなる。
3時半には「直江津」に到着。
ここからは、ジャンボタクシー2台で移動。
大人数の場合には、
これがもっともコストパフォーマンスが高くなる。
5時ちょうどには、ようやく、
毎年お世話になっている「旅館さかや」に到着である。
事前に届けておいた荷物を確かめ、
ただちに温泉に沈み込む。
ア~、ウッ、クッ、クッ、クッ、プハ~、
いや~、極楽ですなあ~。
各自、それぞれなりに喜悦の声を発し
それに似つかわしく顔面の筋肉をゆるめていく。
6時半から夕食である。
生ビールで乾杯ののち、
地酒「水尾」をかたむけて、
これはなんだ、こちらはなんだと、
お品書きを確かめながら、
心のこもった料理をいただく。
そして、ガハハハ、
キャハハハと笑っていく。
8時半には、部屋にもどり、
ここでも、酒を片手にテンションを高める。
だが、夜10時の鐘が鳴ると、
節度をもって、楽しき宴もおひらきとなる。
毎年確実に高齢化の度を深めているが、
この歳になって、ようやく
「明日にそなえて」という知恵が
ついてきたらしい。
いささか遅きに失した感もあるが。
部屋から見た旅館の中庭の景色である。
暗い空には、オリオン座や冬の大三角形が
クッキリと白く浮かび上がっていた。
〔3月11日(火)〕
3月11日は、7時30分起床の朝であった。
ただちに温泉につかりこみ、
ウ~ム、ブクブクなど、
やはり各自勝手に悦楽のときをすごし、
8時00ちょうどの食事とする。
あ~、うまい、どうしてこんなに食ってしまうのか
などとつぶやきながら、
全員、ブロイラー化の道に入っていく。
スキーをかついで、9時30分には入口集合。
ちょいと歩いて、ゲレンデまでの「遊歩道」に乗り、
ゴンドラやリフトをつかって、山の上へとあがっていく。
快晴である。
山の麓にはガスがかかっていたが、
上にあがると、空は青く、
遠くの山もキレイに見える。
これが「日頃の行い」の成果というものであろうか。
気温も、雪が溶けない程度のあたたかさである。
寒さを感じることはまったくない。
おとっつぁん、おっかさんは、
みな2本足のスキーを装着。
これに対して、いまごろの若者A子とC男は
やはりボードをはめていく。
パラダイスゲレンデのリフト乗り場につくられていた
大きな虎(たぶん)。
高さ2mほどの大物である。
もうひとつリフトをあがった
上ノ平のゲレンデである。
こちらは、平坦で距離が長いのが特徴となる。
さらにひとつ、脇にそれてリフトをあがると、
乗り場には、こんな雪像が飾ってあった。
あれこれと心配りのあるゲレンデである。
う~む、スゴイ、
う~む、キレイだ、
う~む、どうしたもんだと、
こちは「全般的う~むの人」となっていく。
12時ちょうどには、「どんぶりハウス」に集合となる。
昼食はこの店と、毎年決まっているのである。
脱ブロイラーをめざし、
ここは味噌ラーメンに抑えてみる。
店のマスターにシャッターを切ってもらい、
「どんぶりハウス」前で記念の一枚。
まだ足にも疲れがなく、
誰もがゆとりの表情である。
グイグイとリフトを乗り継ぎ、
頂上のやまびこゲレンデにあがってみる。
人が少なく、春スキーとしては雪質もマズマズ、
おまけに天気良好といいことづくめ。
われわれの精神の極楽度は、
またしてもグイグイとあがっていく。
3時には、これまたいつもの「パスタ・ディ・パスタ」に集合し、
お茶の時間を楽しんでいく。
ケーキやパイもかじってみる。
パラダイスを滑り、4時にはゴンドラで下界におりる。
そして、時間一杯をむかえるまで、
日影のゲレンデで滑っていく。
ところが、ここで、
今極楽唯一の転倒を、
はげしくぶちかますことになる。
ハイスピードでの体操選手なみの
前方2回転であったらしい(目撃者談)。
しかし、さいわいなことに、
打ち身ひとつない、まったくの極楽能天気な結果となった。
今年はじめて着用したヘルメットが、
大きな役割を果たしてくれたようである。
ヘルメット万歳。
5時には、ゲレンデをおり、
温泉街で酒を買う。
そして、風呂でブクブク、
6時半には、A子とC男をのぞき、
総員酒飲みブロイラー道を進んでいく。
ある教員が、
「旅館さかや」のスリッパをリッュクにつめ、
ゲレンデでの守り神としていることが披露される。
チームの高齢化にともない、
そろそろ問題行動も出てきているらしい。
互いを温かい目で見ていくことが大切である。
ふともも、ふくらはぎにエアーサロンパスをかけまくり、
夜の宴を継続するが、
この日も10時すぎの終了となる。
夕べにつづき、実に早めの就寝だが、
これも、ひょっとすると、
単なる老化のためかも知れない。
〔3月12日(水)〕
7時30分起床の朝であった。
温泉から朝食へ、9時集合のスキーへと、
流れるように極楽はつづく。
旅館前にあった同祖神との記念写真。
この神は、信楽のたぬきと共存しているらしい。
なかなかに度量の大きな神である。
今朝も、グイグイと山を登る。
遠くに見えるのは妙高山であるらしい。
あの、空の線はなんですか?
「あれは、逆転層というもので……」。
何でも知っているM浦先生が教えてくれる。
そういえば、同じ質問を数年前にもした気がする。
これも老化のあらわれか。
この日は、山の尾根にそって5キロも滑る
スカイラインを降りてみる。
左右には、いつもとちがった景色がひろがる。
途中、急斜面で動けなくなったボーダーがおり、
パトロールに緊急の連絡もすることになる。
12時ちょうど、今日も「どんぶりハウス」に集合である。
今日は、醤油ラーメンを食べてみる。
朝「ややブロイラー化」、昼「脱ブロイラー化」、
夜「圧倒的ハチャメチャブロイラー化」の日々である。
午後は、パラダイスのゲレンデでノンビリすごす。
こうも人が少ないと、
まったく申し訳ない、申し訳ないといった気分になる。
この日は、前方2回転というハデな技もなく、
無事に、5時には下山する。
ちょうど降りたところの土産屋で、
A子・C男と、野沢菜おやき、温泉饅頭各1ケを
三等分にして食べていく。
そして、温泉プクプクののち、
圧倒的怒濤のブロイラー化の夜を迎えていく。
毎夜の食事は、こんな場所でのことであった。
生ビールと日本酒と、
数々の料理の人生である。
そして、時計が8時半をすぎていくと、
部屋で、ワインがあけられ、
M浦先生から、干したイチジクにクルミをつめたものが配給される。
エアーサロンパスの香りをおともに、
この夜も10時半には、グデリと眠る。
〔3月13日(水)〕
3月13日も、7時半起床の朝であった。
ただし、さすがにカラダがズシリと重い。
疲れがたまってきているらしい。
それでも、温泉から、朝食へとズルズル動き、
荷物をまとめて、9時30分の集合である。
旅館前での記念写真。
だが、鳩ぐるまの横に、
ひっくりかえっている人影がある。
「さかや」のスリッパの神通力は、
ここではまったく通じなかったということらしい。
これがゲレンデに向かう「遊歩道」の中である。
各自、準備運動に余念がない。
ここがスキー場全体の入口であり、
わが前方2回転の日影ゲレンデというところ。
グイグイとゴンドラであがり、
ズンズンとリフトであがって、
今年最後のやまびこゲレンデへ。
やまびこ最終版の急斜面を、
目に涙をうかべてながめてみる(ウソ)。
11時半には、パラダイスゲレンデに集合である。
ずっと練習をつづけたA子とC男は、
若いだけあって、なかなかに上達が急である。
そんな若者の技術的向上とは無関係に、
オトッツァン、オッカサン集団は、
連結ムカデウジャウジャ滑りに挑戦する。
スキーヤー7人がムカデをつくり、
ボーダー2人が両方の触覚をつくるとの計画である。
しかし、現実は、そう思うようにはなかなかならない。
運転手はキミだ、
カメラマンはボクだ、
あ~との8~人~は、
うるさいだけの極楽人間。
高音、低音の全員のワーキャー声は
ゲレンデ中に響きわたり、
そこらへんにへたりこむ若者ボーダーたちも、
驚きの表情でこれを見つめていた。
ちっ、オジ、オバをなめるんじゃないの気分である。
12時30分には、スキー場を去ることになる。
いちばんの入り口には、このようなキッズコーナーがあるが、
遠からず新参登場ということも、
あるのかも知れない。
旅館にもどり、温泉クプププの時間をとり、
宅急便郵送の準備を終えて、
2時30分には、いつものそば屋へ足を向ける。
まずは、うまい塩をあてに、
枡酒である。
この枡の香りが、なんともいえないのである。
そして、この日の遅くなった昼食は、
キリリと冷えた大ざるである。
何枚でも食べられそうな、うまさである。
最後は、そば湯でしめくくる。
「どんな注文があっても、ざる最優先」
というのが、
この店の歴代店主のこだわりらしい。
野沢温泉街をブ~ラブ~ラ歩き、
再び、旅館にもどっていく。
お世話になったみなさんに挨拶し、
ジャンボタクシー2台に乗り込んでいく。
さらば、雪よ、
さらば、温泉よ
さらば、野沢の街よ。
とかなんとかいいながら、
ジャンボタクシーで、グーグー眠る。
4時50分にはJR「直江津」に到着である。
ちょいとお茶をして、
5時20分には、駅のホームに入り込む。
ここで、2つの弁当屋から、
頼んでおいた駅弁を受け取る。
金沢の寿司屋確保と、
ここでの駅弁確保は、
極楽飯隊長S木さんにお世話になった。
ご本人の急遽欠席はまったく残念なことであったが、
心よりの感謝の気持ちを、
野沢の地酒でお届けしたい。
ありがとうございました。
多種多様な弁当模様であったが、
わが一族は「謙信公お立ち飯」で統一する。
つつみには川中島合戦の年表が
刷り込まれていた。
7時30分には、「金沢」で電車を乗り換え、
10時には「京都」、10時半には「大阪」到着となる。
大阪が近くなるにつれ、
フランス現代思想史におけるカミュの地位、
イージス艦衝突問題、京都市長選、
競争主義の文部科学行政と「構造改革」のゆきづまり、
マルクスの推論の冴えなどと、
しゃべりの話題が急速に学者方面化してくるから不思議である。
脱極楽の体内装置がはたらくらしい。
これにて、2008年の極楽スキーは
全日程とも無事終了。
あとは、来年を待つのみである。
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